【本】大栗博司「大栗先生の超弦理論入門」感想・レビュー・解説
いやはや、メチャクチャ面白かった!
「超弦理論」と聞いて、「うわっ、難しそう」と思った方。はい、正解です。メッチャ難しいです。本書は、メッチャ分かりやすく書いていると僕は感じられますけど、それでも文系の人にはちょっとついていくのは無理だろうと思います。まあ、「超弦理論ってなんぞや?」的な話はおいおい書いていきますが、まずは理論そのものよりも、著者が本書を通じて問いかけたかった事柄の一つに触れてみたいと思います。
それは、「空間というのは幻想かもしれない」ということだ。
何を言っているのかよく分からないだろう。僕も、最初は何を言っているのか分からなかった。というわけでまずは、物理学において「空間」というものがどんな風に捉えられてきたのかを書いていこう。
まずはニュートン。万有引力の法則を生み出した超天才ニュートンは、「絶対空間」というものを考えました。これが一番、僕らのイメージにそぐうものだと思います。「絶対空間」というのは要するに、「『空間』という大きな箱が存在していて、それは変化せずに不動だ」みたいな感じです。僕らは、「◯◯ビルの3階で待ち合わせ」みたいなことをやりますが、これは「緯度」「経度」「高さ」の三つを指定することで、空間の中の一点を指定している、ということになります。「絶対空間」は、そういうことが出来るわけですね。
で、その「絶対空間」を否定しちゃったのが、これまた大天才のアインシュタイン。彼は相対性理論を生み出し、それによって、「空間も時間も相対的だよ」と言いました。どういうことか。太郎・二郎・三郎の三兄弟がいるとします。太郎は教室にいて、二郎は学校の傍を通る電車に乗っていて、三郎はグラウンドにいるとしましょう。ニュートンの「絶対空間」なら、太郎のいる位置(教室の位置)は、二郎から見ても三郎から見ても同じです。だって、不動なんですから。でもアインシュタインの場合は違います。アインシュタインは、例えば動いている二郎が捉える太郎の位置と、止まっている三郎が捉える太郎の位置は違う、と主張します。アインシュタインは、両者の間に相対的な速度差がどれだけあるか(この説明で正確なのか自信ないけど)で、物体の位置や長さや時間の流れが変わる、と主張します。つまり、空間も時間も、観測者次第であり、不動のものではない、ということですね。
とりあえず今僕らは、このアインシュタインの描像の中にいます。あれ?「超弦理論」は?と思った方。いや実はこの「超弦理論」、まだ理論としてはちゃんと認められていないんです。ここからは聞き流してもらっていいですけど、この「超弦理論」は、量子論(めっちゃ小さいモノを扱う物理学)と一般相対性理論(大きなモノを扱う物理学)を融合させる最有力候補と言われてはいます。物理学にとって、量子論と一般相対性理論(というか、何らかの重力理論)を結び付けることはある種の悲願なんだけど、二つの理論があまりにもかけ離れているために、結構苦労してるんですよ。でも、この「超弦理論」ならもしかしたら行けるんじゃ!って期待されてるってことですね。ただ、物理理論というのは、何らかの予測をして、それが観測されることで初めて正しいと認められるんだけど、「超弦理論」はまだその試練をくぐり抜けていないから、ちゃんと認められているってところまで行っていないんです。
さて、そんなまだ認められていない「超弦理論」ですけど、もし「超弦理論」が正しいとしたら、空間というのはどう捉えるべきものになるのか。それが本書の主眼の一つです。
そして本書を(頑張って)読むと、「空間って幻想かも」という風に感じられるようになると思います。
とはいえ、「空間って幻想かも」っていう文章の、そもそもの意味が分かりませんよね。まずその辺りから説明してみたいと思います。
本書の中ではよく、「温度」の話が出てきます。僕らは様々な場面で「温度」と日常的に関わることがあるし、物理学でももちろん「温度」は使います。しかし「温度」というものは、実際には存在しないんですよね。僕らが生きているマクロな世界では「温度」だと捉えられているものは、ミクロの世界(原子とかの世界)では分子が持っているエネルギー(の平均)のことです。マクロの世界では存在する「温度」が、ミクロの世界に行くと消えてしまう。
「空間」も同じようなものなのではないか、というのです。僕らが生きているマクロな世界では、「空間」というのは存在するもののように感じられるけど、「温度」が実は分子のエネルギーだったように、「空間」も実は別の何かがそう見えているだけなのではないかと、「超弦理論」を研究している物理学者たちは考えているわけです。
何故そんな風に考えるようになったのか―。それをちゃんと説明するにはかなり色んなことを書かないといけないし、その色んなことを全部ちゃんと理解しているわけでもないし、っていうかちゃんと知りたいなら本書を読めよって感じなのでするっとまるっとすっ飛ばして核心の部分だけ書いてみます。
何故「空間って幻想かも」と思うに至ったのか。それは、
「9次元で成立するある理論のあるパラメーター(要素)をちょっとずつ大きくしていくと、10次元で成立する別の理論へと連続的に変化することが分かったから」
ということになります。
と言っても、意味不明でしょう。というわけで、恐らくまったく正確さを欠いた説明だろうけど、なんとなくイメージしやすい形に置き換えてみます。
例えば、マンガは紙に書かれています。つまり二次元です。この二次元で成立するマンガのあるキャラクターのあるパラメーター(ここでは、線の太さということにしましょう)をちょっとずつ大きくしていく(つまり線を太くしていく)と、二次元だったはずのキャラクターが徐々に三次元の存在に変化していく、みたいな感じです。
どうでしょうか、凄いと思いませんか!!あるパラメーターをちょっとずつ大きくしていくだけで、次元が一つ上がってしまうんです。実際に、それが数学的に証明された、ということです。
さてそうなると、「次元」ってなんだろう、と疑問に思わないでしょうか?だって、線の太さをちょっと変えるだけで、二次元のマンガが三次元に変わってしまうんです(これはあくまで喩えですけどね)。もしそんなことが本当に起こるとしたら、「空間」なんて別に全然本質的なものじゃない、という発想が生まれるのも当然という感じがします。
実はもう一つ、凄い話があるんです。マルダセナという物理学者が発見したものです。これも、途中を省いて結論だけ書きますけど、彼は、
「三次元空間の重力を含まない理論と、九次元空間における重力理論が完全に対応する」
ということを発見しました。「対応する」というのは、要するに「まったく同じ」と言い換えてもいいです。
この発想は、ブラックホールの研究も絡んでいます。ブラックホールという天体は、「表面」に存在する情報のみから、ブラックホールの「全体」が理解できるのです。ブラックホールの全体というのは、もちろん三次元ですから、ブラックホールというのは、二次元の情報のみから三次元全体のことが分かる、ということになります。そして、これを他の事柄にも応用し、「三次元空間の重力現象が、重力の存在しない二次元世界で描像できる」というアイデアを、「重力のホログラフィー理論」と呼ぶそうです。
これも「次元」や「空間」の考え方を変えるものでしょう。だって、「三次元」の情報が「二次元」ですべて理解できたり、「三次元」のものと「九次元」のものが一致しちゃうんだから。
そんなヘンテコリンな「超弦理論」を、どうして物理学者は熱心に追求するのか。そこにはちゃんと理由があります。
これまで物理学の世界では、様々な理論が生まれてきました。万有引力の法則、相対性理論、量子論など、様々な理論がありますが、これらは基本的に、「三次元」以外でも成立します。どんな次元の空間であっても、成立するのです。
別にいいじゃないか、と思うかもしれませんが、物理学者というのはなかなか欲張りなのです。物理学者は、「何で俺らが生きているこの世界は三次元なんだよ!」っていう、えっ、そんなことも疑問に思っちゃうの?的なことまで考えちゃうような人たちなのです。あるいは、標準模型には「世代」というカテゴリーがあって、僕らが生きている世界の「世代」は「3」なんですけど、これも「なんで3なんだよ!」ということを物理学者たちは知りたいわけです。現実に「三次元」だし「世代は3」なんだからしょうがないじゃん、とは彼らは考えません。世の中を統べる理論の帰結として、それらが現れて欲しいわけです。
そういう意味で「超弦理論」というのは、史上初めて「成立する次元が限定される理論」なわけです。実は「超弦理論」は、九次元空間でしか成立しません(ちなみに、詳しく書きませんが、「超弦理論」とは別に「弦理論」というのもあって、こちらは二十五次元空間でしか成立しません)。
いやいや、俺らは九次元空間なんかに生きてないじゃん!という総ツッコミがありそうですが、彼らにとって別にそれは大したことではありません。実際に物理学者たちは「カラビ-ヤウ空間ってものがあって、それによって六次元の空間が丸まっているんだ!」などという、パンピーにはまったく理解できない主張によってこの問題を解決してしまいます(実際に僕らの生きている世界が九次元で、それがカラビ-ヤウ空間によって丸まっている、ということが示されたわけではありません。あくまでも、カラビ-ヤウ空間というものが数学的に存在していること、そしてもしこの世界がカラビ-ヤウ空間によって丸まっているのなら超弦理論が成り立つことが確認されている、ということです)。
彼らにとって何よりも大事なことは、「理論的な制約によって次元が決まる」ということなのです。これで彼らはテンションが上がってしまいます!だって古今東西、様々な物理理論が現れては消えていきましたけど、そんな「次元の制約」を要求するような理論はこれまで存在しなかったんです。しかも、標準模型では説明できなかった、「世代数が何故3なのか」問題も、「超弦理論」なら解決出来ちゃうわけです(ここでもまた、カラビ-ヤウ空間が登場するわけですけど)。
そんなとんでもない「超弦理論」ですけど、一時期不遇だった時期もあるそうです。素粒子物理学の中で「場の理論」がめざましく発展した時期があって、その時は「超弦理論」は忘れ去られていた、と。僕も昔読んだ本では、「超弦理論(僕が読んだ本には「超ひも理論」と書かれていたはず)」は面白いけど机上の空論、みたいなことが書かれていたような気がします。
けど、シュワルツという、著者の同僚だった物理学者が「これは超弦理論に一生を捧げてやるんだ!」と言って孤軍奮闘し続けたお陰で、その後の爆発的な大発見に繋がっていくわけです。
そもそもこの「超弦理論」は、「弦理論」ってものを出発点にしています。「弦理論」では、大別して二種類あるクォークの内片方しか作れなかったんだけど、「超空間」の内部で「弦理論」を考えることで、フェルミオンとボソンという両方のクォークを生み出すことが出来るようになったそうです。ちなみにこの「超空間」ですが、「同じ数を掛けると0になる」という意味不明な性質を持つ「グラマン数」も座標に含む空間、らしいです。意味不明ですね。
で、何を書きたかったかと言えば、その「弦理論」を生み出したのが、あの南部陽一郎だそうです。南部陽一郎って何した人か忘れちゃいましたけど、とにかく物理学の凄い発見をした人だったはずです(弦理論ではない何か)。その人が、弦理論なんていう、統一理論(量子論と重力理論を結び付ける理論はこう呼ばれる)となるかもしれない理論を生み出しているんだから、やっぱすげぇなって思います。
あと、本書を読んでてビビったのは、オイラーが発見したという、数学ネタでよく登場する数式です。オイラーは、
「1+2+3+4+5+…=-1/12」(見えにくいかもだけど、右辺は「マイナス12分の1」です)
という数式を残しています。ゼータ関数だったと思うんだけど、そういう特殊な数学の分野の話らしいんですけど、もはや何を言っているのか意味不明ですよね。でも、その意味不明な数式が、まさか物理学で実際に使われているとは驚きでした。いやー、これはビックリ。
まあそんなわけで、相変わらず線引きまくりの、大興奮の読書でした。超面白かったなぁ。でも、もう少しちゃんと、本書に書かれていることを理解できる頭が欲しい。
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