【映画】「許された子どもたち」感想・レビュー・解説

映画を見ながら、難しいなぁ、と思っていた。
少年犯罪が、ではない。
「証拠がない」状態で、他人を裁くことについてだ。

この映画を見ながら僕は、「神の視点」と「登場人物の一人の視点」を行き来することになる。

「神の視点」で見れば、主人公の市川絆星(キラ)は殺人犯だ。僕は、犯罪の陰には止むに止まれぬ理由がある場合もあると思っているし、だから、犯罪だ、という理由で、その加害者を断罪したいとは思わない。しかし「神の視点」の僕は、キラが特段これと言った明確な理由も根拠もなく人を殺していることを知っている(ちなみに僕は、仕方ない理由や根拠があれば、社会が許さなくても僕は殺人を許容する、というスタンスで生きている。もちろん、その理由や根拠のハードルは、メチャクチャ高いけど)。だから、年齢が何歳であろうが、彼は断罪されるべきだと思うし、何らかの報いを受けるべきだ、と考えている。それだけのことをしたのだから、それは仕方ない。

しかし、そう思うのは、僕が「神の視点」から見ている、つまり、キラがどうでもいいような理由で人殺しをしたという“事実”を知っているからだ。

キラを断罪する気持ちが高まると、それを引き戻すようにして僕は、「登場人物の一人の視点」になってみる。

その場合、状況はまるで変わる。キラと同じ現場にいた残りの3人を除けば、「キラが殺人を犯した」ことを示す証拠は存在しない。つまり、この映画の内部の視点に立つ時、「キラが殺人を犯した」ことを明確に示すことが出来る事実があるとすれば、それはキラ自身が自白する以外にはない。そして、最初刑事に脅されるようにして自白した時以降、誰もキラの自白を聞いていない。

つまり、「登場人物の一人の視点」に立った時、キラを100%の確信を持って断罪出来る状況は存在しないと言える。

だから、この映画の内部の視点に切り替えると、途端に、キラを証拠もなく断罪する野次馬連中に怒りが湧く。なんなんだコイツらは、と思う。お前ら、キラが殺人をしたって確信でもあるのか?何を根拠に、キラを晒し者にしてるんだ?他人の人生を、薄弱な根拠だけで、よくもそんなに簡単に崩壊させることが出来るもんだな。そんな風に、野次馬連中にイライラしてしまう。

映画を見ながら、この2つの視点を、ずっと行ったり来たりしていた。

そして、この混乱に拍車をかけるのが、キラとその母親の存在だ。彼らには、冒頭から、どうも全然共感できない(一応書いておくが、僕は、それが映画であろうが小説であろうが、「共感できない」という言葉を、「作品がつまらなかった」という意味では使わない。共感できるかどうかは、作品の良し悪しとは関係ない、というスタンスだ)。

とはいえ、キラはまだ分からないでもない。というのは、「子どもだったらしょうがないよなぁ」という気持ちが、多少はあるからだ。もちろん、キラの態度を許容したいとは思わないのだけど、特に子どもであれば、大人以上に間違いを犯しやすいし、正しくないことをしてしまった時、それがさらに正しくない状況を招いてしまうなんていうことも、ある程度は仕方ないと思う。子どもだからと言って殺人を許容すると言いたいわけではなく、子どもであれば、正しい判断をすべき時に子どもであるが故に正しい判断が出来ないことがあるだろうし、子どもであるが故に自分の考えや思いをうまく言葉にすることが出来ないということもあるだろう、ということだ。そういう意味で、キラにはまだ同情を感じる部分はある。

しかし、キラの母親に対しては、最初の最初から、受け入れがたさしか感じられなかった。もちろん、これは僕が「親」ではないから、という可能性は十分にある。子どもを持つ親であれば、この母親の言動に共感(あるいは許容)できる、という人も当然いていいと思う。ただ、理想論かもしれないが、本当に子どもを愛しているのであれば、まったく違う選択をすべきだったのではないか、と僕は考えてしまう。よほどのサイコパスでもない限り、「適切に罰され、適切に償いをしなかった」という経験と記憶は、結果的にその本人を内側から蝕んでいくと僕は思っているからだ。

キラとその母親に共感できない、という状況が、混乱を助長する。「神の視点」では、キラに対する怒りを抱くが、しかし「登場人物の一人の視点」に立てば、キラは推定無罪と判定されるべきだし、そういう人物を根拠もなく糾弾する野次馬連中にこそ苛立ちを覚える。しかし、その野次馬連中が糾弾しているキラ(とその母親)が、人間的に守ってあげたいと思わせる人物ではないが故に、原則的には野次馬に怒りを覚える一方で、心のどこかで(もっとやれ)と思ってしまう自分がいることも確かなのだ。

この行ったり来たりが、映画を観終えるまでずっと続く。そういう意味ですごく難しい映画だと思ったし、感情が忙しい。

またこの映画は、被害者側があまり描かれない、という意味で特異に感じられる。物語の定石で言えば、被害者側の描き方によって、観客の感情は大きく揺さぶれるだろう。実際、映画の冒頭でそういう場面はあった。しかしそういう場面は、映画全体に占める割合で言えば僅かだ。基本的には、加害者側から「少年犯罪」というものを切り取っていく。そしてその加害者側が、「感情移入」というものをまったくさせようとしない人物として描かれるために、物語に異質さが生まれるのかな、という感じがする。

「あなたは何を謝りたいの?」

ある場面である人物が言うこのセリフから、物語はまた別軸に入り込んでいく感じがする。そこからは、さらに他者を踏み入れさせないというか、言動を受け入れられないというか、理解を拒んでいるようなそんな領域に踏み込んでいく。「あなたは何を謝りたいの?」まではまだ、僕の中にも、彼らを「理解しよう」という気持ちがあった。しかし、「あなたは何を謝りたいの?」以降は、ずんずんと遠ざかっていく背中をただ眺めているだけというか、追いつこうという意欲さえ失われるような、そんな「遠さ」を感じた。そして、その「遠さ」を感じることが、この映画を見る価値なのではないか、と思っている。

内容に入ろうと思います。
13歳のキラは、ショーン、カミュ、グリムという4人組でいつもつるんでいる。彼らは、倉持樹というクラスメートをいじめていて、その日も、樹が自作した割り箸ボーガンを川辺に持ってこさせ、遊んでいた。樹のちょっとした反抗的な態度に苛立ったキラは、割り箸ボーガンを樹に向ける。どうするのかと周囲が息を呑む中、キラはボーガンを発射し、尖らせた割り箸が樹の首に刺さり、樹は死んでしまう。
現場からすぐに逃げた4人だったが、監視カメラの映像で4人が川辺に集まっていたこと、遅れて樹がやってきたことが分かり、また、5人のグループラインで樹が呼び出されていたことを掴んだ警察が市川家にやってきた。警察は両親を外させ、キラと二人になると、今ここで自白しないと、反省しなかったとしてしばらく少年院から出られないぞと”脅し”、キラの自白を引き出した。学校や自宅周辺は混乱に陥るが、弁護士の尽力もあって、キラは結局「不処分」という形になる。しかし、樹の両親はそれを不服とし、民事裁判でキラを訴えると記者会見をしている。彼らは引っ越しし、姿をくらますことにするが…。
というような話です。

有名な俳優が出てくるような作品ではないし、公式HPを見ると、演技経験がほとんどないような人も役者として出演しているという、かなり自主制作に近い(あるいは自主制作なのかな?)映画なのだけど、そんな風には感じさせない映画でした。映画全体として、ものすごく「リアル感」が漂っていて、「少年犯罪の裏側で、実際にこういう感じになっているんだろうなぁ」という怖さみたいなものを感じました。

冒頭では、キラの母親に共感できない、という話を書きましたが、キラの母親以上に共感できない登場人物がいます。それが、キラの転校先のクラスメートの二人です。物語のかなり後半の方の話になるのでぼやかしながら書くけど、彼らは「正義は我にアリ」ということを一切疑っていません。そしてそのスタンスが、僕はどうも好きになれない。

この映画では、ネットの書き込みを模した文字が画面上に表示されることが結構あって、僕が冒頭で「野次馬」と呼んでいるものの大半は、そういうネットの書き込みのことです。ネットの書き込みだから許容する、というわけではありませんが(最近も、ネットの誹謗中傷を苦にしたと考えられる自殺が大きく取り上げられたし、ネットの中傷を甘く考えているわけではない)、しかしやはり、リアルで関わる人間の距離感とはまた違う、と考えています。その二人は、キラとリアルに関わりながら、ネットの書き込みと同レベル(あるいはそれ以上)のことをやっているわけです。冒頭でも書いたけど、僕は、犯罪の陰には何か事情がある場合もある、と考えています。結果的にキラのケースは違ったけど、しかし、この二人は、キラの事情を想像する素振りも見せないまま、キラを追い詰めようとします。そのスタンスが、どうも気に食わない。

もちろん、冒頭でキラを擁護したのと同じ論法は使えます。つまり、彼らも、子どもなんだから仕方ない、という理屈です。しかし、彼らの場合は、子どもだから仕方ないではなく、子どもであることを自分の都合に利用している、という雰囲気さえ感じます。いろいろと誤解を生むだろう書き方をすると、僕は、その二人より、殺人を犯したキラの方がまだ人間としてマシなんじゃないか、とさえ思ってしまいます。キラの行動原理は謎めいている部分は多いし、暴力的な部分も多いけど、それでも、自分は安全な場所にいたままで誰かを貶めようというような卑劣さみたいなものは感じない。そういう意味で、その二人は最悪だな、と思ったりします。

とはいえ、「神の視点」にも立っている僕は、「なんだかんだ言って、無慈悲に人を殺したキラが、やっぱり一番悪いんだよなぁ」という思いも拭えないでいる。分かりやすい納得感を与えてくれないという意味で、賛否両論ありそうだけど、でも、こういうモヤモヤした感覚を残してくれる映画というのは、大事なんじゃないかと思います。

正直、見ようかどうしようか当落線上にあった映画なんだけど、観て良かったなと思います。

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