【映画】「ブルー・ゴールド」感想・レビュー・解説

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僕は、それほど引っ越しを経験することもなく、また、公共料金の値段にもさほど敏感ではなかったので、「水道料金は地域によって違う」ということを、ここ数年以内のニュースで初めて知って驚いた。水道は、市町村単位での管理のようで、「市町村の水道事業に掛かる経費」を「人口」で割った数字が水道料金になるのだという。水源が豊富で人口が多い地域は水道料金が安く、水源が遠く(水道管などをより長く引いかなければならない)人口が少ない地域は水道料金が高いという。地域によっては水道料金が10倍以上も違う、なんていうこともあるようだ。ビックリした。

さて、そもそも、どうしてそんな「水道料金が地域によって差がある」などというニュースが取り上げられていたのか。それは、水道事業の民営化をしやすくする法改正が行われたことを伝えるニュースだったからだ。水道施設などの所有権は市町村に残したまま、運営権だけを販売するコンセッション方式を進められるように、というものだった。

しかし、日本は梅雨や台風などによって天からの水供給がふんだんだし、世界中でも類を見ないほどの国民皆水道の国だ。蛇口をひねればそのまま飲める水がほとんどタダみたいな値段で供給される国はほぼない。それなのに、何故コンセッション方式が検討されているのか?

それは、水道管の補修にある。水道管の耐用年数は40年と定められており、定期的な補修が必要不可欠だが、そこに莫大なお金が掛かる。ネットでざっと調べてもちゃんと出てこなかったので分からないが、水道管を1m補修するのにも相当なお金が掛かる。まあ、それはそうだろう。水道管を補修すると言っても、水道を止めるわけにはいかない。地面を掘り、迂回するための水道管を一度設置し、補修すべき水道管を取り替え、流れをまた元に戻す、ということをやり続けなければならないのだ。これを市町村の財源でやらなければならない。それは不可能だ、というわけで、水道事業の民営化が日本でも検討されているのだ。

しかし、それは考え直した方がいい。

僕が見たニュース番組の中でも、慎重な意見はあった。この、水道事業の民営化というのは、欧米ではかなり昔から進んでいる話で、その結果、水道料金は跳ね上がり、水質は悪化するという事例が積み上がってきているからだ。

この映画を見て初めて知ったが、ニューヨークなどアメリカの様々な州も、水道事業を多国籍企業の水企業に委ねているという。そう聞くと益々日本の今の現状は稀有なのだと感じる。

しかし、この映画では、水道事業の民営化に警鐘を鳴らす。この映画は、2008年に公開されたものだが、民営化への警鐘の象徴的なエピソードが最後の方で紹介されていた。この映画公開の時点で、世界的な水企業は3社あったが、その内の2社はフランスに本社を置いている。しかし、パリ市議会はある時点で、水企業との契約を打ち切ったという。水道事業を公営に戻すことに決めたのだ。自国に本社を置く企業にNoを突き付けた形だ。これは、水道事業の民営化の危険な側面を如実に示すものと言っていいだろう。

この映画を見て初めて知った事実は多いが、中でも驚いたのが、世界的な水企業がどうして台頭することになったのかという背景だ。そこには、国連のある決議が絡んでいるという。世界的な水問題を背景に、国連は「水」をどう定義するか検討を始めたという。そしてその結果、なんと、「水は商品である」と定義したのだ。これを受けて多国籍企業は、堂々と水を商品として売り出すことが出来るようになった。

さらに、世界銀行やIMFも加担しているという。発展途上国に、水道事業の譲渡を要求してくるという。例えばアフリカのボリビアでは、国内の水事業に対する支援を世界銀行に頼んだ。しかし世界銀行はそれを拒否し、代わりに水道事業の譲渡を要求してきたという。ボリビアの水道事業は多国籍企業が管理するところとなり、国民はなんと雨水を集めることも禁じられたという。異常だ。ここに至って市民は蜂起、闘うことを決める。政府は多国籍企業を守るため市民と対立。市民に銃を向けることまでした。しかしボリビアは企業を提訴し、勝訴した。後に、その市民運動を主導した人物がワシントンで講演を行い、スタンディングオベーションとなる名演説を行うことになる。

アフリカにおける水不足は深刻だ。どの国だったか覚えていないが、その国では、水道を使うのに電子キーが必要だという。電子キーを使って水道管を開けると、1滴単位で記録され料金が徴収される。

このせいで、信じられないような不幸が起こった。母親が仕事に行っている間、娘2人が残る家で火事が起こった。娘は、電子キーがないから消化のための水が使えない。近所の住民も、高価な水を提供する余裕がない。2人の娘は、そのまま焼死してしまったという。

さすがにそれは、あんまりだ。

ガーナでは、週に1度しか蛇口から水が出ず、それがいつなのかも分からない。蛇口をひねると、空気しか出てこないが、しかしそれでも、蛇口をひねった分料金が請求されるという。また、ケニアにある淡水湖のナイバシャ湖は、取水によるダメージを受けていた。ある欧米人の女性ドキュメンタリー監督は、自然保護にも力を入れており、このナイバシャ湖周辺の自然も守る活動もしていた。しかしある日、自宅にいるところを銃撃され、大腿部に被弾、出血多量で亡くなってしまったという。

この映画で初めて知ったが、「水」という漢字には元々「支配」という意味があるという。また、「敵(ライバル)」の語源は、「川(リバー)」だという。言語が生まれる過程からも、「水」というのが争いを生んできたことが分かる。

水の問題は当然、発展途上国に限らない。

ネスレ=ペリエ社は、五大湖の水資源を狙ってある州に話を持っていったが、そこは突っぱねた。以前同州は五大湖の一部を民間企業に譲渡していたが、最高裁で「五大湖は共有財」と判断が出てそれを撤回したのだ。それでネスレ=ペリエ社はミシガン州に行った。ミシガン州で五大湖から取水を行っていた同社は、市民団体からの抗議を受け、裁判に発展した。しかし、最高裁は同社の取水を認めるばかりか、ミシガン州に利益がもたらされるなら水の輸出も認める、という判決を下した。

水資源の輸出入は、非常に大きな問題だ。水資源は、大きな循環サイクルの中にある。例えば農業は、かつては地産地食が当たり前だった。だから、農業で使われた水が別の地域に行くことはなく、その地域で循環していた。しかし、水資源がどこかに輸出されてしまえば、その水はもう戻ってくることはない。水そのものをペットボトルに詰めて輸出するのも問題だが、「仮想水」というのも考える必要がある。

例えば、車1台作るのに35万リットルの水が必要だという。マイクロチップ1枚作るのに32リットルだそうだ。ある地域で水を使い、それが別の地域に移される。このような水の移動は、水資源の循環サイクルを壊し、さらなる水不足を生み出していく。

そもそも地球上にある水の97%は海水で、淡水は3%しかない。そして、水資源の問題は、この淡水が海に流れ込んでしまうことにある。

かつては、雨が降れば地面に染み込み、木の根が水を蓄えた。これらは、地下水となり蓄えられ、淡水として循環していく。しかし現代では、アスファルトや住宅などの存在により地面に水が染み込みにくくなり、また森林が伐採されることでさらに水が蓄えられなくなっていく。また、ダムも問題だ。確かにダムは、水をせき止めるが、水は動かなくなると温度が上がり、それにより養分が死に酸素が減る。世界中に5万基も作られたとされるダムが、良い水の循環を阻害するのだ。

淡水が海に流れ込むことは、別の問題も引き起こす。海水が増えることで、海底により力が加わり、そのせいで地震や津波が起こりやすくなっている、という指摘もある。

一方、海水淡水化という技術により、海水から淡水を作り出す工場が作られるようになっている。素晴らしいじゃないか、と思うかもしれないが、この工場の設立には莫大なお金が掛かるので、超巨大企業にしか建設が不可能だ。生命の存在に必要不可欠な水の供給が、ごく一部の私企業に委ねられる、ということになりかねない。また、海水淡水化には莫大なエネルギーが必要で、それは原子力発電で賄われている。この環境に対する影響も計り知れない。

映画の中で印象的だったのは、個人の動きだ。ある少年は、小学校で水の問題を知る。アフリカで、水がないせいで子どもたちが死んでしまう、防ぐには井戸を寄付すればいい、と知り、親に相談した。親は、「お手伝いをして70ドル貯めなさい」と言い、実際に貯めた少年は基金の事務所に行くが、足りないと言われてしまう。母親は、井戸の設置には2000ドル掛かると知っていたが、それを言ったら動き出せないと思って伏せていたのだ。この少年は諦めず、地域で講演をするなどしてお金を集め、その動きは大きくなっていき、「ライアンの井戸財団」という組織になっていく。266のプロジェクトを通じて、50万人以上の命を救ってきたという。

また別の少年も、小学校で水の問題を知り、プラスチックボトルに入ったミネラルウォーターを買わないようにする運動を始める。彼は、学校や地域で、自作のポスターなどを使って話をし、その様子は新聞も取り上げた。よく行く肉屋でミネラルウォーターが売られていたので、売らないように頼んだところ、翌週には1本も置かれていなかった、という。

また、ある環境活動家は、ボランティアを募り、「ミニダム作り」を進めている。地面に穴を掘ると、そこに雨水が貯まり、地面に吸収されていく。それが出来る穴を、色んなところに掘るというプロジェクトだ。こういう地道な活動は、本当に大事だと思う。

しかしやはり、この問題は、地球全体で考えるべきだろう。

水問題に関わる団体は、「水は誰もがアクセスできる共有財である」と国連が明確に定めるべきだ、と主張する。確かに、「水は商品である」と定義するからこうなるのだ。しかし、水企業の力は強大で、かつてフランスの大統領が水道事業を公営に戻そうとして断念したという。それぐらい、強大な権力を持っているのだ。

日本も無関係ではない。日本の水道事業は市町村単位なので、自分が住んでいる市町村の判断で、普段の水道の命運が決まってしまう。この映画で描かれているわけではないが、ネットで調べたところ、世界的には水道事業を公営に戻すという潮流になっているそうだ。であればあるほど、水企業は日本に手を出そうとするだろう。

その時大事なことは、本書で誰かが言っていたように、

【一人一人が水の番人になるべき】

という意識だろう。

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