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【本】ゼエブ・ローゼンクランツ「アインシュタインの旅行日記 日本・パレスチナ・スペイン」感想・レビュー・解説

アインシュタインは、1922年10月から1923年3月にかけての約半年間、長旅に出た。目的地は、日本・パレスチナ・スペインである。本書は、その際にアインシュタインが著した日記の初の全文邦訳である。

とはいえ、その日記だけでは一冊の本としては分量が少ないので、著者が日記の文章を分析する文章を130ページぐらい書いている。また本書は、膨大な註釈があり、註釈だけで70ページぐらいある。アインシュタインの記述に対して、そんなことまで書くか、というぐらい細かな情報が註釈に書かれている。一例を挙げると、アインシュタインが博多で泊まった宿は「栄屋旅館」で、女将の名前が「倉成タツ」であると書かれている。マニアック!

アインシュタインがこの旅行を計画するきっかけになったのは、改造社という日本の出版社の社長・山本実彦の依頼だった。山本は当時、世界の知識人を日本に招聘し、講演を行なってもらう計画を立てた。その一人として、アインシュタインに白羽の矢を立てたのだ。色々すったもんだ揉めたらしいが、最終的にアインシュタインはその依頼を受けることにした。

アインシュタインが日本からの依頼を受けた一因は、東洋に対するアインシュタインの憧れにあったという。当時の西洋人には一般的に、東洋に対する関心が強かったらしいが、アインシュタインは異国情緒への刺激として日本行きを捉えていたようだ。アインシュタインは、日本に来てしばらくしてから書いた文章の中でこんな風に言っている。

【私が日本に招聘されたということをみんなが知ったときほど、私がベルリンで羨ましがられたことは、それまでの人生で一度もありませんでした。というのもわが国では、日本ほど神秘のヴェールに包まれている国はないからです。】

アインシュタインは日記の中で、日本や日本人については概ね好意的なことを書いているが、一方で、先の文章の続きとしてこんな風にも書いている。日本に来る以前の、ベルリンでの日本人に対する印象だ。

【わが国にいる多くの日本人は孤独な生活をし、熱心に学び、親しげに微笑んでいます。自分を守っているようなその微笑みの背後に流れている感情を解明できる人は一人もいません】

しかし、日本に来て、日本人と接することで、アインシュタインはかなり日本人を気に入ったようで、日本旅行中にドイツ人協会から何度も電報をもらったことに日記の中で触れ、こう書いている。

【少なくとも日本にいるあいだは日本人を相手にしていたい】

とはいえ、アインシュタインは、日本人の知性が劣っている、という風にも捉えていたようだ。

【以前の日本人は、国内の南の島々のほうが北の島々よりも暑いのはなぜかを考えたことがなかったようだ。また、太陽の高さが南北の位置によって異なることも知らなかったようだ。ここの国民は知的欲求のほうが芸術的欲求よりも弱いようだ-天性?】

たまたま会話をした相手がそういう知識を持ってなかった、ということだろうが、残念な捉えられ方である。

ただアインシュタインは、日本は、西洋に見習うべきところはあるが、独自路線を貫いてくれよ、という文章も書いている。同じような文章を二度も書いているから、よほど訴えたかったのだろう。

【しかし気になっていることが一つあります。日本人は正当にも西洋の知的業績に感嘆し、成功と大いなる理想をめざして科学に没頭しています。しかし西洋より優れている点、つまりは芸術的な生活、個人的な要望の簡素さと謙虚さ、そして日本人の心の純粋さと落ち着き、以上の大いなる宝を純粋に保持し続けることを忘れないでほしいのです】

【私が申し上げているのは、私がとても驚嘆している大好きな日本の伝統、芸術、社会、倫理の面でのあなたの国の伝統のことです。そのことをもし知れば、それはいいことです。そうなれば、ヨーロッパの生活様式をやみくもに受け入れるのが危険だと感じるようになります。日本人は欧米文明を受け入れるのが好きです。しかし、自国の心のほうが、外見は輝いて見えるそうしたくだらない文明より価値があることを知るべきなのです】

アインシュタインは、出会った人すべてに対してこんな感じに好意的に書くわけではない。というか、なかなか辛辣なことを書くこともある。2月1日にポートサイドに着いた日の日記には、【外国人や人間のくずが集まる都市】と書かれている。なかなかの言い草だ。また、中国人に対する、こんな文章も書いている。

【勤勉で、汚く、鈍感な人々。家々は月並みで、ベランダがミツバチの巣のように並んでいる。すべてがぎっちり、そして単調に建てられている。港の後方は軽食堂ばかりなのだが、中国人たちは店の前でベンチに座ることなく、ヨーロッパ人が外の木陰で気軽に用を足すときのようにしゃがんで食べる。だが静かでおとなしい。子どもたちでさえ無気力だし、鈍感に見える】

こういう記述を読んで感じることは、死後とはいえ、人に見せる予定じゃなかった日記を勝手に公開されちゃうというのも、なかなか辛いものがあるだろうなぁ、ということだ。

日本では、超絶過密スケジュールが組まれ、アインシュタイン夫妻がガイド抜きで二人で出かけたのは2回だけだ。日本には2週間ぐらいいたらしいが、予定が詰め詰めにされていたということだろう。アインシュタインは日記の中で、【1万回目の写真撮影】【果てしない夕食会】などと書くことで、そのうんざりした様を表現している。

アインシュタインは、この旅行中にノーベル賞を受賞し、そのことでさらに世界的なスタートなった。しかしアインシュタインは、旅日記の中では、一度もノーベル賞には触れていない。旅行中、スヴァンテ・アレニウス(手紙は「敬愛する同僚」と書き始められているので、同僚の科学者だろう)に手紙を出しており、その中で、ノーベル賞を受賞できて嬉しい理由をこう書いている。

【私はとても喜んでいます―理由としてはまず、どうしてあなたがノーベル賞を受賞しないのかと、非難を込めながら訊かれることがもはやなくなったからです(いつも、私はノーベル賞に値する人間ではないからだと答えてきました)】

アインシュタインらしい主張である。

11月26日の旅日記に、【その後、巨大な書店を訪れる。250人の社員全員が顔をそろえていた】と書いてある。東京のどこかの書店だと思うけど、どこだろう?


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