【映画】「The NET 網に囚われた男」感想・レビュー・解説

正しいこと、というのはいつだって難しい。
というのは、皆が「正しい」と思って行動しても、最終的に良い結果が得られない、ということは良くあることだからだ。

この話はよく、ゲーム理論で登場する。ゲーム理論の最も簡単な話は、二人の囚人が登場するものだ。お互い別の部屋に入れられ、やり取りができない。2人の囚人にはそれぞれ、2通りの選択肢が与えられ、全体で4通りの可能性がある。お互いがベストな行動を取れれば両方にとってメリットがあるのだが、疑心暗鬼もあり、自分なりに「正しい」と思う行動をし、結果的に二人共デメリットを被ってしまう、というものだ。

「正しさ」には、常に評価軸が必要だ。何に対して正しいのか、という軸を意識しなくては、「正しさ」が判断できない。そして、その評価軸が対立する場合、両者の「正しさ」も対立することになってしまうのだ。

船の故障で、北朝鮮から期せずして韓国にやってきてしまった男。
独裁国家である北朝鮮から一人でも多くの人を「救う」ことが使命の韓国の組織。

両者の「正しさ」が、真っ向から対立する。

北朝鮮の男は、祖国に家族を残している。祖国ももちろん大事だが、何よりも家族が大事だ。男はスパイ扱いされ、尋問される。あるいは、独裁国家から「救う」ためとして、韓国への亡命を勧められる。男は北朝鮮に帰るのだと、強硬に主張する。しかし、スパイかもしれないと扱いの中、北朝鮮に帰れる見込みは薄い。

組織にいる多くの人は、北朝鮮に住む人間を「可哀想」だと考えている。独裁国家で自由がなく、資本主義ではないために豊かでもない。しかも、洗脳されているが故に、物事の「良し悪し」も判断できなくなっている。そんなところに住む人間は、同じ韓半島民として「救う」必要がある。北朝鮮から来た男も、あの手この手で「救う」手立てを講じるが、男は韓国への亡命を認めない。

この場合、どちらもきっと間違っているわけではない。北朝鮮の男は、祖国に帰ることが正しいと信じており、家族がおり祖国を裏切ることは出来ないというその理由は、少なくとも彼のこれまで生きてきた理屈の中では正しいだろう。一方で、北朝鮮を「可哀想」な国とみなし、そこから一人でも多くの人を「救う」という姿勢も、決して間違ってはいないはずだ。少なくとも、外側から北朝鮮を見ている者からすれば、北朝鮮に住んでいる者を「救う」という発想は、自然だといえるだろう。

この映画では、その「正しさ」の対立を描きながら、さらに難しい要素を加えていく。

北朝鮮の男は、韓国の街を歩く。資本主義によって成長した、きらびやかな街だ。そこには、北朝鮮に存在しないありとあらゆるモノが存在する。しかし男は、また別の側面を見る。まだ食べられる食べ物やまだ使えるモノが街に捨てられている。また、豊かなはずの街で、金を得るために身体を売らなければならない女にも出会う。

男は問う。「この豊かな国で、なぜそんな苦労を?」と。
それに対して、組織に属するある男は、「自由が幸せとは限らない」と返す。

一方で、北朝鮮に対してもまた、ある視点が挿入される。これは物語のラストに直結してくるのでここでは詳しく書かないが、祖国に戻る、と強硬に主張し続けた男の信念を揺るがせるような描写があり、問題の難しさをさらに押し広げることになる。

世の中が複雑になりすぎて、何が正しいのか分からない出来事が頻繁に起こるようになった。その度毎に、それぞれの側の「正しさ」が声高に主張される。もし、選択的に一方の「正しさ」しか見なければ、あなたはその「正しさ」を信じることになるだろう。トランプ大統領が誕生した背景にも、そういう一方の「正しさ」しか見ないという、現代的な情報の受け取り方があったのだろうと考えている。

「正しさ」は複数存在し、お互い正しいままで対立する。そのことを常に意識しておかないと、僕たちは物事を見誤ることになるだろう。そんなことを改めて実感させてくれる映画だった。

内容に入ろうと思います。
北朝鮮で妻と娘と穏やかな暮らしを営んでいたナム・チョルは、漁師として日々川に船を出していた。韓国との国境付近であるその川岸には国境警備の兵士がおり、常に許可を得て漁に出る。ある日チョルは兵士から、これは仮定の話だが、もし船が故障して国境を越えそうになったら、お前は船を捨てるか?と問われる。男は、船は全財産なので、と答えをはぐらかす。
まさにその日、兵士が言った通りのことが起こった。スクリューに網が絡まったままエンジンを掛けたために船が故障。男はそのまま国境を越えてしまった。国境警備兵が、脱北なのか船の故障なのか判断つきかねている間の出来事だった。
韓国警察に移送されたチョルは、そこでスパイ容疑を掛けられ、尋問されることになる。尋問を担当する男は、朝鮮戦争で家族を失った怒りをぶつけるかのように、スパイ容疑を掛けられた北朝鮮の者たちに容赦なく当たる。明らかに過剰な、暴力を伴った尋問を行うが、それでもチョルは、スパイであるとは言わないし、亡命にも首を縦に振らない。
チョルの警護役についたオ・ジムは、チョルがスパイではないと直感する。尋問担当の男とことある毎に対立し、もしチョルがスパイだったら警察を辞めるとまで啖呵を切る。チョルが厳しい状況に置かれていることに心を痛め、出来る範囲で力になろうとするが、しかし組織の人間であるが故に意に染まない命令に従わざるを得ないこともある。
尋問は繰り返され、また亡命や転向をするようにと説得される。亡命を受け入れさせるために、あくまでも韓国の街を見ないと外にいる間ずっと目を瞑ったままだったチョルを韓国の街中に放置することまでやった。
不屈の精神で北朝鮮に戻ることを訴え続けるチョルは、一体どうなるのか…。
というような話です。

良い映画でした。ストーリーは実にシンプルですが、北朝鮮と韓国という南北の分断が、いかに人々の心を引き裂いていくのか、そして、北朝鮮と韓国という国家同士のいがみ合いの後ろ側で、そこに生きる個人同士は手を取り合うことが出来る可能性があるのか、ということを、全編で強く訴えかけてくる映画だと感じました。

メインどころの頂上人物たちの立ち位置が実にはっきりしているので、物語が非常に分かりやすいし、誰が何で対立しているのかということもよく分かる。


チョルが北朝鮮に帰りたいと強く訴えているということは書いたが、韓国警察内部の面々もそれぞれに立場が違う。

尋問担当の男は、疑わしきは罰するという精神で、とにかくあらゆる手を使ってチョルをスパイだと断定しようとする。イ・サンテク事件の後遺症、という表現がよく出てくるが、どうやら警察を酷く手こずらせたスパイが過去にいたらしい。それもあって、僅かでも疑いがあれば苛烈な取り調べが始まる。

警護担当のジムは逆に、チョルを信頼する。スパイではないと確信し、チョルに寄り添おうとする。しかしその一方で、ジムはチョルを北朝鮮に帰すべきだ、という考えを持っている。本人の意志が尊重されるべきだ、と。しかし韓国警察の使命は、独裁国家から一人でも多くの人を「救う」ことだ。彼はこの点で上司と対立する。

そして彼らの上司は、一番韓国警察らしさを体現する。尋問担当の男を、無理矢理スパイに仕立て上げるなと諌める。そしてジムには、韓国警察の使命を思い出させようとする。

それぞれの人間がそれぞれの立場で「正しい」行動を取ろうとする。それらが、ことある毎に対立してしまう。チョルはスパイであるのかどうなのか、そしてチョルがスパイであるかどうかに関わらずチョルの処遇をどうするか。最後の最後まで、彼らの折り合いはつかない。

そういう物語の進展や対立も面白いが、チョルとジムの関わり合いも物語の中で非常に重要な要素になる。厳しく辛い要素が多いこの映画の中で、二人の関係性は清涼剤のような印象を与える。

もちろん、そこにも葛藤はある。ジムには尋問の領域は関知できないし、組織の一員として辛い命令にも従わなければならない。それでも、チョルを信頼することに組織の一員として特にメリットのないジムは、チョルに出来る限りのことをする。二人の信頼関係がどのように生み出されていくかという過程も見どころだ。

北と南、あまりにも違う価値観によって成り立っている国同士が、お互いの尊厳を掛けていがみ合う。チョルはジムにある場面で、「朝鮮に帰ったら、統一後に会おう」と言う。僕にはそれは、二度と再会できない者同士の挨拶に聞こえた。南北が統一する日は来るのだろうか。この映画を見る限り、その日はまだまだ遠いと考えざるを得ない。

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