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【本】加藤文元「数学の想像力 正しさの深層に何があるのか」感想・レビュー・解説

メチャクチャ面白いんだけど、どんな内容なのか紹介するのが非常に難しい本です。
でも頑張ってみましょう。

本書では、「数学における『正しさ』とは何か?」ということが主要な手間として挙げられる。しかし、多くの人には、この問いの意味がよく分からないだろう。多くの人は「数学」というものを、「よく分からないもの」と思っているだろうし、数学が好きな人でも、「数学は正しいんでしょ?」と思っているはずだ。

本書の中で著者はこんな風に書いている。

『「数学をカチコチの論理という臆見から解放する」こと。一般の人々が数学に対しているような「頭の硬い人々が理屈をこね回してでっちあげる机上の空論」という印象をぬぐい去ること。これらもまた、この本の基層に流れる主要テーマの一つである』

さてでは、「数学における『正しさ』とは何か?」という問いそのものについてまずは考えていこう。

そこで重要になってくるのが、「証明」というものだ。数学が嫌いな人にとっては、「証明」という響きは非常に嫌なものだと思うが、現代数学はとにかく、「証明」というものを重視する。というか、「正しいと証明されていないこと」にはほとんどの場合価値がない(証明が与えられていない「予想」と言われるものであっても価値を持つ場合もあるので、必ず価値がないとは言わないが)。しかしこの「証明」というのは、数学の歴史という観点からすると非常に「特殊」なものなのだ。

『実際、我々が後に第8章で行うように、時代性・地域性という観点から「証明」という行いを見たとき、数や図形を論じる際に<正しさ>を確信させる方法として演繹的証明を採用するという流儀は、むしろ極めて特異なものに見える。それは古代ギリシャで生まれたものであるが、むしろ古代ギリシャでしか生まれなかったということの方が重大だ』

「数学」という学問は、様々なところで生まれ、割と独自の発展を遂げてきた。相互に影響し合っている部分もあるだろうが、しかし「中国」「インド」「アラビア」「ギリシャ」「エジプト」「日本」と、数学という学問は様々な地域で生まれ、それぞれなりの発展を遂げた。「0」を発見したのがインド数学だったように、「位取り記数法」を発見したのがアラビア世界だったように、「証明」という手法を発見したのがギリシャなのだ。「証明」という論証スタイルは、何故かギリシャでしか生まれなかった。他の地域の数学は、証明よりも計算に重きを置いていた。例えば和算においては、江戸時代には既に円周率を18桁まで計算できていた。いや、それより以前にオランダ人が、35桁目まで計算している。しかし、そのオランダ人は、その生涯のほとんどを円周率計算に注ぎ込み、力技で計算したのに対して、和算の方では、まったく異なる手法で計算されていた。そしてその手法は、証明を伴ったものではないが、「観察する」ことによって規則性を見抜き、その規則性を利用して計算を行う、というようなものである。


こんな風にして、ギリシャ以外の地域では「証明」は重視されなかった。ではなぜギリシャでは「証明」を重視したのか。

そこには「宗教」が関係してくる、のであるが、その前に、まず古代ギリシャにおいて、数学の正しさがどのように認められていたのかを見ていこう。

それは、要するに「見る」ことによって行われていた。例えば、同じ大きさの三角形が2つ目の前にあれば、それらは「見る」ことによって同じだと判定できる(もちろん実際には、辺の長さや角度などが共通しているのかを確かめるのだけど、それらも結局「見る」という行為である)。古代ギリシャ人は、「見れば分かるでしょ」という、まあ自然と言えば自然な態度で、数学というものと関わっていた。

しかしその状況は徐々に変わっていく。その背景に「宗教」がある。

「ピタゴラスの定理」でお馴染みのピタゴラスが作ったと言われている組織は、今で言う宗教団体のようなものだったらしい。「数」というものに神秘を感じ、「万物は数である」という思想を持っていた彼らは、「数」というものに対する、他の地域の人々が抱いていなかったある幻想を持っていた。

それが、「数というのは有理数しかない」というものだ。有理数というのは、要するに「分数で表すことが出来る数」のことだ。世の中には、「有理数」しか存在しない。それが「万物は数である」というピタゴラス教団の真理だった。

しかしそのピタゴラス教団が、「有理数」ではない数を発見してしまった。長さが1の正方形の対角線の長さは√2だが、この「√2」という数字は「有理数」ではなく「無理数」、つまり「分数で表すことが出来ない数」である。そのことを彼らは証明してしまったのだ。

この「無理数の発見」は、「通約不可能性の発見」と呼ばれているが、この「通約不可能性の発見」は当時の人々にとって衝撃的な事実だった。そしてこのことが、彼らが「見る」という形ではなく、「論証」という形の「証明」に行きつくきっかけとなる。

それまで彼らは、「数直線の上には有理数しかない」と考えていた。確かに、「有理数」というのも山のように存在する。「0」と「1」の間に限って考えてみても、例えば、「1」という数字を「2」「3」「4」…と様々な数で割って行けば、それはすべて「有理数」となる。それだけでも無限にある。さらに、分母と分子の数字をあれこれ変えていけば、さらにたくさんの「有理数」を作ることが出来る。だから、当時の人々が、「数直線はすべて有理数で埋まっている」と考えても不思議ではない。


重要なポイントは、「数直線はすべて有理数で埋まっている」ということを「見る」ことによって確認することは出来ない、ということだ。そして、「見る」ことでは確認できない物事に対して、「無理数」という、彼らにとっては予想だにしてなかった存在が表れうる、ということを知ってしまったのだ。

『無理数という、彼らのそもそもの数認識では到達不可能な数の世界が現実に広がっている以上、数のとりあつかいには極めて慎重にならざるを得なかった。いい加減なことをやっていると間違いをしでかすことになりかねない。このような心理的警戒感かが、恐らく紀元前五世紀頃からのギリシャ数学には蔓延し始めていたのではないだろうか。そしてそのために、彼らは「見る」ことによる直感的な議論で物事を考えるよりも、ピタゴラス学派がやったように「見る」ことをできるだけ排除して演繹的に、そして儀式的に議論を勧めるほうが<正しさ>を留保するためのより確実な方法と感じたのだ、と推察されるのである』

そしてこのような発想から、ピタゴラス教団のみならず、当時のギリシャ世界全体で、「目に見えるものはまやかしである」という考えが浸透し、数学の「証明」は「天上世界とアクセスするための儀式」と捉えられるようになったのだ。

このようにしてギリシャ数学は、「計算」ではなく「証明」に向かうことになる。

その後ギリシャ数学は、「背理法」という、現代数学においても非常に重要な証明法を生み出すことになる。「背理法」というのは、証明したい命題(「A」とする)がある場合、まず「Aではない」と仮定する。そしてその仮定の元で議論を積み上げることで、どこかで矛盾を導き出す。そして、「『Aではない』と仮定して矛盾が出てきたんだから、じゃあ『A』ですよね」と結論付ける、というものだ。

背理法という証明法は、非常に有効で、僕も学生時代よくテストなどで使ったが、一方で、よくもまあこんな証明法を思いついたものだよな、というものでもある。僕は数学が好きで、学生時代に背理法の存在を知った時も、「そういうものなんだな」と特段疑問に感じなかったが、やはりこの証明方法を奇異に感じる人もいることだろう。

では、そんな背理法はどのように生まれたのか。それが、「通約不可能性の発見」と並んで、ギリシャ人たちを怯えさせたもう一つの存在の影響が大きいと著者は言う。それが「無限」である。

ゼノンのパラドックスという有名な話がある。一番有名なのは、カメとアルキメデスの競争の話だろうが、他にも「飛んでいる矢は止まっている」という「矢の逆理」と呼ばれるものがある。飛んでいる矢は、瞬間瞬間で切り取れば静止している。どの時間で切り取ってみても矢は静止しているのだから、つまり飛んでいる矢は静止しているということになる。

この「矢の逆理」の話は、「空間・時間は無限に分割できる」ということを前提にしているから奇妙なことになってしまう。では、「空間・時間は無限に分割できない(それ以上分割できない<単位>から成り立っている)」ということを前提にしたらどうか。ゼノンはこれを「競技場の逆理」というパラドックスとして提示している。これは説明が難しいので具体的な話は省略するが、この「競技場の逆理」はやはりパラドキシカルな状況になる。つまり、「空間・時間は無限に分割できない」ということを前提にしてもやはりおかしなことになるのだ。

ここでまとめよう。「矢の逆理」は「空間・時間は無限に分割できる」を前提にすることでおかしくなる。一方、「競技場の逆理」は、「空間・時間は無限に分割できない」を前提にすることでおかしくなる。「矢の逆理」も「競技場の逆理」も共に「運動」に関する話だから、結局これは、「空間・時間は無限に分割できるとしても、分割できないとしても、運動は不可能である」という結論に至ってしまうということになる。しかし僕らは現実に「運動」というものが当たり前のようにあることを知っているから、この結論は明らかにおかしい。

では何故おかしいのか。それをギリシャ人は、「無限」なんてものを考えるからおかしいんだ、と捉えた。このような理由から彼らは、「無限」を回避したい、という感覚を持つようになったのだ。

例えば、円の面積の公式は、アルキメデスが導き出したのだが、円の面積を求めるにあたって、普通に考えれば「無限に分割したものを足し合わせる」という計算が必要とされる。しかし彼らはどうしても「無限」なんてものを考えたくなかった。だからどうにか「無限に分割する」なんていう発想を回避して円の面積の公式を導き出したかった。そのために考え出されたのが「取り尽くし法」というもので、それ自体はここでは説明できないけど、アルキメデスは非常に巧みな方法で円の面積の公式を導き出している。

その本質的に重要な部分は、「与えられたどんな量よりも小さくできる」という考え方である。「無限に分割する」というのは、「どんどん小さくなり、『極限』においては0になる」と表現できるが、しかしこの「極限」というのは「無限」という考え方を含んでいるので困る。そこでアルキメデスは、「与えられたどんな数よりも小さくできる」と表現した。

例えば目の前に1kgの砂糖があるとする。そしてこの砂糖を半分ずつ取り除いていくことを考える。最初は500g、次は250g…と言った具合である。この時、例えば「0.001g」という数(=与えられた数)が設定された場合、「半分ずつ取り除く」という作業を「ある程度の回数」繰り返せば、いつかは「0.001g」を下回ることが出来る。この「与えられた数」がどれほど小さな数であっても、状況は同じだ。もの凄く多くの回数を繰り返さなければいけないかもしれないが、しかしいつかは(有限の回数内で)、その「与えられた数」を下回ることができる。


このような表現によって、アルキメデスは「無限回の分割」を回避し、「有限回の手続き」だけを使って円の面積の公式を導き出すことが出来た。そしてその際に使われた「取り尽くし法」で重要な要素として使われているのが「背理法」なのだ。

つまりギリシャの人々は、「無限」というものをどうにか回避するために「背理法」を生み出した、と言えるのだ。

ここまでが、何故「証明」というものがギリシャだけで生まれたのか、そしてそれが重視されていったのか、という説明である。

ここからさらに、数学における<正しさ>の話になる。

17世紀に「微分積分学」というものが生み出された。これは要するに、「無限に分割したものを足し合わせる」というような「計算」である。古代ギリシャの人々が頑張って回避しようとした「計算」を、「きちんとした結果を導き出すもの」として整備したのだ。これは、かつては「証明」という方法に則らなければ<正しさ>を留保できないと思われていた問題に、「計算」によってアプローチ出来るようになったという革命的なことだった。

しかし「微分積分学」は当時、オカルト的な扱いをされることもあった。「無限に分割したものを足し合わせる」というのは、「信仰」の問題として受け入れ難かったのだ。計算結果がいかに正しいものであろうとも、「微分積分学」が乗っている論理的な基盤が脆弱であったために、創始されてすぐに受け入れられたというわけではない。

じゃあその基盤を整備しようじゃないか、ということで、「微分積分学」は、「limAn=1(n→∞)」という式に対して、

『いかなる正数εに対しても、十分大きく番号Nをとれば、それより大きなすべての番号nについてAnと1との差はεよりも小さい』

という基盤を与えられた。「イプシロン―デルタ法」と呼ばれるこの基盤によって、「微分積分学」は<正しい>という基盤を与えられた、と数学者は考えている。

しかしこれは、実のところ、アルキメデスが言っている、「与えられたどんな数よりも小さくできる」というのと同じ話なのだ。アルキメデスが「無限」を回避するために生み出した発想と、「微分積分学」の基盤は同じものなのだ。同じものであるのに、どうして現代では「微分積分学は<正しい>」とされているのか。

そこには、「科学的精神」というものが関わってくる。

「科学」も西洋が生み出したものだが、この「科学」という学問が、「モデルによる正しさ」という考え方を生んだ。例えば物理学の世界では、「大きな物質については一般性相対性理論が成り立つ」「小さな物質については量子論が成り立つ」というモデルが作られている。例えば、小さな物質に一般性相対性理論を適用したらうまくいかないし、逆も又然りである。つまり「科学」というのは、「あるモデルを作り、そのモデルの範囲内で正しいかどうかを判定する」というやり方をしている。

そしてこの発想が、「数学」に対しても持ち込まれた。つまり、数学もあるモデルを考え、その範囲内で正しいかどうかを判断する、ということだ。

アルキメデスらの時代の<正しさ>というのは、要するに「絶対的な正しさ」であった。絶対的な正しさを目指す場合、「無限」というのは非常に厄介な存在だった。しかし現代数学は、絶対的な正しさを目指すのではなく、「決まった範囲の中での正しさ」を目指す。「イプシロン―デルタ法」という枠組みの中では、「微分積分学」は正しい、という認定をするということだ。

このように、「数学」という学問においては、実は<正しさ>というのは限定的なものなのだ、ということが明らかになるのだ。

さて、大体これが、僕が理解した本書の大まかな流れだ。もちろん本書には様々な枝葉があり、その枝葉の部分も非常に面白い。「数学」というものがどのように生み出され、どのような経緯を経て現在に行き着いたのかを知ることで、「数学的に正しい」という意味が変化していることが分かるし、現代における「数学」というものが「モデルによる正しさ」を目指す以上、そこには「そのモデルを信じるかどうか」という、非常に人間的な視点も入り込んでくる、ということも面白いと思う。数学の奥深さを実感させてくれる一冊だ。


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