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【本】木村元彦「オシムの言葉」感想・レビュー・解説

僕は、人の上に立つような人間にはなりたくないが、それでも、そういう立ち位置にならざるを得なくなったら、こうなりたいという理想はある。そして、イビツァ・オシムというサッカー監督は、僕のあらゆる理想を体現している人物だと感じる。

『監督に、最後の佐藤のシュートが残念でしたね、と聞いたんだよ。そうしたら、「シュートは外れる時もある。それよりもあの時間帯に、ボランチがあそこまで走っていたことをなぜ褒めてあげないのか」と言われたよ』

『2004年の仙台戦で勇人が2ゴールを決めた時、そのことについて会見で記者が質問すると、オシムは、
「ユウトが点を取ったのではなく、ジェフというチームが点を取ったのです」と切り返した。』

物事をどう捉え、評価するかという視点が非常にフラットだ。自分なりの軸がきちんとあり、それを揺るがせにしない。どんな立場の誰に対しても、自分の中にある基準に沿って対する。だから、かつてジェフ市原の得点王だったチェ・ヨンスに対しても、オシムは『守備をしないと、お前は使わない』と言うのだ。

『ただ、それより重要なのは、ミスをして叱っても使い続けるということだ』

『ミスした選手を使わないと、彼らは怖がってリスクを冒さなくなってしまう』

僕はマイナス思考の人間だから、これはとても良くわかる。ミスするというのは大体、チャレンジした結果であることが多い(日常生活でのことならともかく、本書で描かれているのはプロサッカー選手の話なのだから、余計そうだろう)。であれば、ミスしたことよりも、チャレンジしたことを褒めなければ、誰もチャレンジなどしないだろう。

『試合前、オシムはこう言って選手を送り出していた。
「守備路はJの中でナンバーワンのチーム。だから、そこに負けても恥ずかしいことはない。まずは、自分たちのサッカーを思い切ってやろう。負けてもいいから」
負けてもいい。
厳格な監督がホッと漏らしたその言葉が「優勝」という未体験の領域に挑もうとする選手を呪縛から解き放った』

技術や練習方法を教えるのだけが、リーダーの仕事ではない。リーダーとは、自分が見ている者達の能力を、いかにして最大限引き出すのか、という点にこそ意味がある。そういう意味でオシムは、選手たちの気持ちを自在にコントロールする術に長けていた。

『常に考えているのは、選手たちの「勝ちたい」、「克ちたい」という強い気持ちを目覚めさせることなんだ。なぜ、勝ちたいのか。その問いに対する答えは11人いたら11人違うかもしれない。だからこそ選手を観察する必要がある。その上で、対戦相手のことを洞察し、まず、相手が何に長けていて何に劣っているのかを考えさせる。そして自分たちが何をすべきなのか、何をしてはいけないのかを言っていく』

オシムは、『サッカーにおいて最も大切なものもアイデアだ』と言う。走り込みを徹底させて身体を作らせる一方で、選手たちにひたすら考えさせた。ミスのないプレーでも、考えていないと見抜かれたら叱責される。1対1の練習をしろと言われたのに、一方が押されていると、なんで誰も助けに行かないんだ、と怒る。1対1をやれ、と言われてただ漫然とやっているだけでは駄目なのだ。『理解さえできていれば、やってはいけないことは何もなかった』というのがオシムのサッカーだった。

『何も言うことはないだろう。10分で代えただけで十分だ。水本自身があの10分で代えた意味が分からないようだったら意味がない。大事なのは言葉ではなく、自分でその意味を感じているか。前も話したが、時としては何も言わないほうが、100万語を費やすよりも伝わる場合がある』

『モチベーションを上げるのに大事だと思っているのは、選手たちが自分たちで物事を考えようとするのを助けてやることだ』

どういう行動を取ったら自分の意図が相手に伝わるのか、どうすれば選手たちが自分たちで考え始めるのか。そういう環境をいかに整えていくのかが自分の仕事であると、オシムははっきり認識していた。

『システムは、もっとできるはずの選手から自由を奪う。システムが選手を作るんじゃなくて、選手がシステムを作っていくべきだと考えている。チームでこのシステムをしたいと考えて当てはめる。でもできる選手がいない。じゃあ、外から買ってくるというのは本末転倒だ。チームが一番効率よく力が発揮できるシステムを、選手が探していくべきだ』

『無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるというのか。大切なことは、まずどういう選手がいるか把握すること。個性を活かすシステムでなければ意味がない。システムが人間の上に君臨することは許されないのだ』

オシムは、与えられた状況の中で最大の成果をどう引き出すかを考える。最大の成果を出すのにこれが足りない、などとは考えない。徹底的な観察と、数学の大学教授への道もありえたほどの明晰な頭脳で、オシムは、目の前にある要素をどう組み合わせて、あり得る最も大きな成果を生み出していくのかを真剣に考える。

そんなオシムは、勝ちにもこだわるが、しかしもっとずっと先を見ている監督でもある。

『私が思考するのは、観客やサポーターはいったい何を望んでいるのか、そして何が目的なのかということです。サッカーとは攻撃と守備から成り立っているもの。その要素の中でいろいろな方法をとることができるが、私としては、いる選手がやれる最大限のことをして、魅力的なサッカーを展開したいと考えている。そういうサッカーを目指すにはリスクが付きものです。しかし(中略)。観客が満足するようなことに挑戦することこそが、大切なことだと私は思っている』

オシムは、日本サッカーをいかに発展させるかと考えている。そのためには、スタジアムにもっとサポーターに来てもらう必要があるし、彼らが来たいと思うような試合をしなければならない、と考えているのだ。

サラエボでオシムのことを聞くなら彼が適任、と言われるほどの人物が、オシムのことをこう評している。

『指導を受けていた我々はイビツァ(オシム)をこう呼んでいたよ。「天国から来た人間」と。コーチであると同時に教育者だった。彼の教えのおかげで私は世界選抜に選ばれたと思っている』

もし何らかの指導者になるような機会があるとすれば、オシムのような人間でありたいと思う。

内容に入ろうと思います。
本書は、ユーゴスラビアの崩壊という現代史の混乱の真っ只中にいながら、信念に基づきサッカーチームを指揮し、また日本では弱小チームを再生し優勝へと導き、また日本代表をも率いた名将、イビツァ・オシムの生涯を描き出した作品だ。

僕は、サッカーにはほとんど興味はない。サッカー選手の名前もメジャーな選手を何人か知っているぐらいだし、サッカーの試合をまともに90分間通して見たこともない。だから、本書のサッカーに関する記述は、よく分からない部分もあった。とはいえ、それでも十分に楽しめる作品だ。何故なら、それほどまでに、オシムの言葉が強く、サッカー以外の場面でも響くからだ。

「オシム語録」とも呼ばれた、ユーモアとウィットに富んだ哲学的な発言は、様々な形で広がりを見せた。オシムは、言葉をとても大事なものと捉えていて、こんな発言をしている。

『実は発言に気をつけていることがある。今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も日常生活も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いこと、大体真実であろうと思われることを言うようにしているのだ』

『言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。私は記者を観察している。このメディアは正しい質問をしているのか。ジェフを応援しているのか。そうでないのか。新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある』

そんなオシムが、通訳とどんなやり取りをしているのかという話も本書では触れられていて、それも実に面白いのだが、ここでは割愛しよう。

彼を世界最高の指揮官に足らしめた背景には、間違いなくユーゴスラビアの崩壊という激震があった。オシムはそのことを、こんな表現で曖昧に肯定している。

『確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが…。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言ったほうがいいだろう。そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が…』

オシムは、1941年5月6日にサラエボで生まれた。そのちょうど一ヶ月前には、ドイツ軍がユーゴスラビアに侵攻している。そういう時代だった。ボスニアは、過半数を占める同一の民族が存在しない多民族地域であり、ユーゴスラビアの中で民族名を冠しない唯一の共和国だった。中でも首都サラエボは、セルビア・クロアチア・ムスリムの3民族が融和する多元主義精神の極めて発達した都市だった。そんなサラエボで生まれ育ったことは、間違いなくオシムの人格形成に大きな影響を与えている。

後にオシムはユーゴスラビアの代表監督に就任するが、試合を行う地域をホームとする選手を優先的に起用するようにという圧力をよく受けていた。しかしオシムは、どんな状況であれ、選手の実力だけで起用を決断した。どんな場面においても、フラットに、自分の信念に沿って決断をする。だからこそオシムは、どんな立場の人間からも支持された。

『私はユーゴスラビア崩壊後、すべての共和国のサッカーシーンを取材して来たが、驚くべきことにどの地域の関係者からも、オシムこそが最高の監督であったと聞き及んでいる。そう、バルカンの火薬庫と言われたコソボですら、である。分離独立した後の各共和国が、自民族ではない指揮官の名前を挙げる、それはある意味で国家の正史から外れる行為であり、タブーとすら言える。すべての民族と平等に接していたオシムが如何に求心力を持っていたかの証左である』

『オシムは、あの頃、サラエボの星だった。食料はなくなるし、狙撃を恐れて街を歩けなかった。寒くて、凍えて…。誰が誰にレイプされたとか…。信じられず、仲が良かった友人が、密告し合う…。想像を絶する暮らしが私たちを待っていた。そんな中で、オシムが我々に向けて言った言葉、「辞任は、私がサラエボのためにできる唯一のこと。思い出して欲しい。私はサラエボの人間だ」…そしてその後の彼の活躍を、皆が見ていた。間違いなく…、わが国で…、一番…、好かれている人物です』

オシムは、国内リーグの試合のハーフタイム中に、故郷ボスニアで戦争が始まったことを知る。試合に入り込んだら、何があっても90分間絶対に集中力は途切れないと言われていたオシムは、その日ばかりはピッチから気持ちが離れていた。結果的に、妻とは二年半も会うことが出来なかった。彼が指揮を取るパルチザンは、サラエボに攻めている人民軍のクラブなのだ。難しい決断だった。オシムはそれでも、一つの区切りまでは監督としての責務を果たし、そしてそれから、サラエボのために監督を辞めたのだ。

『オシムは内戦時に自分がサラエボにいなかったことを、強烈な負い目として感じている。心から愛して止まなかった故郷で人が殺されている時、別の場所にいたことを「一生かかっても消えない自分にとっての障害だ」とまで言い切る』

歴史の教科書に載るほどの現代史の渦に巻き込まれながら、自身はプロフェッショナルとして監督の仕事を全うし、同時に故郷を思う者としても何が出来るかと考える。そういう経験が、オシムという異次元の指導者を生みだした。本書の中には、オシムを讃える言葉がこれでもかと登場する。特にそれは、オシムと直接関わった者から発せられることが多い。厳しいが良い監督だ、という評価を、彼の指導を受けた多くの選手が口にする。そして、彼らの薫陶を受けた者たちが、その教えをさらに広めていく。

『現在のサッカーの常識になっていることを、ヨーロッパは百年かけて作りあげました。それを日本はたった十数年で身につけたかに見える。しかし、残念ながらそれらの常識は、まだ日本人の血肉となっているわけではないのです』

そんな、日本サッカー過渡期に強烈なインパクトを残したオシムは、その膨大な「オシム語録」がによって多くの者を鼓舞し続けている。凄い男である。

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