【映画】「ルース・エドガー」感想・レビュー・解説

期せずして、二日連続で、「黒人」に焦点の当たる映画を見た。しかも、主要な登場人物の一人の名前が「ハリエット」だった。昨日観たのは、実在した女性黒人解放運動家の生涯を描いた『ハリエット』だ。もしかしたら、この映画の登場人物の「ハリエット」は、その女性黒人解放運動家の名前から取られているのだろうか?


この映画について、ちゃんと理解できたとは言えない。明確な結論が提示されるわけではない。おそらくこういうことが起こっているのだろう、という推測は出来るが、決定的な描写はない、と感じた。

この映画を観て強く感じたことは、「対立は、対立している者同士の外側に、より大きな原因がある」ということだ。AとBが対立しているとして、その決定的な食い違いや分かり合えなさは、A・B個々にあるのではなく、A・Bが共に属しているXという枠組みにある、ということだ。

これは、外側から見ていれば、気付けることも多い。しかし、もし自分がAあるいはB、つまり当事者になってしまうと、なかなかその事実に気づけなくなる。本来は、A・Bが共闘してXに対峙しなければならない、という状況もあるはずだ。しかし、その構造に気づけないがために、AとBの間の対立という矮小化された問題として顕在化してしまうことがある。

非常に印象的だったのが、このセリフだ。

【これは、あなたや私の問題じゃない。
アメリカが、私たちを箱に入れる】

まさにこれは、Xという枠組み(ここでは「アメリカ」)にこそ問題の本質がある、という訴えだ。しかし、アメリカはデカい。だからアメリカと対峙するのではなく、目の前の障壁に向き合うという選択になってしまうことも多い。

【私たちが入っているのは同じ箱よ。
そして、中まで届く光はほんの少し。
光が届かない人もいる。】

物語の最後でルースは、自身の名前についてスピーチで明かす。その話と合わせると、非常に示唆的だろう。

この物語でのXはアメリカだが、Xは何でもありうる。僕は普段生活していて、自分が何かの枠組みに放り込まれていることを感じない。そういう枠組みを敏感に察知し、捕らわれないように意識してきたからだ。でも、ふとした瞬間に感じることもある。「正社員/フリーター」「結婚している/していない」「子供がいる/いない」「男/女」みたいな枠組みは、いつだってその辺に転がっていて、誰かをそこにはめ込もうとする。

はっきりと目に見えるわけではないこういう枠組みが、社会の中で隠然と機能しているように感じられるのは、一方でそれを求めている人が多いからだろう。自分が枠組みに捕らわれることは嫌悪しつつ、相手は枠組みに入れたいという希望がある。それは、「自分と同じか、あるいは違うか、判断しやすいから」だと思う。そして、「同じ=善」「違う=悪」という単純な捉え方で世の中を見たがる。

僕は、そういう視線にうんざりする。

【みんなにとって僕は、聖人じゃなければ怪物だ】

主人公のルースについて、この映画の中では様々な断片が映し出される。どんな出生なのかは、あまり明確に語られない。想像を絶する苦労があったのだろう、という示唆されるのみだ。表向き、ルースは、非常に優等生だ。高校でスピーチする機会があれば指名され、「全科目での功績を称えます」とその優秀さを評価されもする。友人同士の揉め事を仲介したり、陸上部でもキャプテンを任されたりと、八面六臂の活躍だ。

しかし、そんな彼が窮屈さを感じていることも、また理解できる。彼には、「こうあってほしいという物語」という枠組みが与えられている。明確には描かれないものの、「戦場で悲惨な状況下にあった」ルースは、白人の家族に引き取られてアメリカにやってきて、その類まれな優秀さで誰からも一目置かれている。誰もがそこに、物語を見たがる。特に、大人は。そして、そういう見られ方に対する反発を感じ、「正しいとは言えない行動」を取ってしまう気持ちも、凄くよく分かる。

【本当は皆、心から僕を信じていない】

ルースのこの葛藤は、彼が黒人でなかったとしてもつきまとった可能性はある。しかし、黒人であったからこそ、さらに、悲惨な過去を背負っていたからこそ、増幅したことは間違いない。

こういう話は決して、「黒人」に限らない。ステレオタイプな例だが、例えば、綺麗な女性が営業で成績を上げても、「美人は得だよな」と言って努力を評価されないことはある。自分がどんな枠組みの中に押し込められているのか、という認識からは、誰も逃れられないし、その意識を無視したままでは、きちんと前に進んでいくことは難しいだろう。

善悪というのは、簡単に判断できるものじゃない。しかし、善悪の判断には必ず、何らかの判断基準がつきまとう。そしてその判断基準は、判断される側の自由にはなりはしない。判断する側の恣意的な選択に任されるのだ。

この映画は、そういう窮屈な現実を理解した上で”再生”を目指した一人の青年の物語だ、と感じた。

内容に入ろうと思います。
NOVA高校に通うルース・エドガーは、誰もが認める優等生だ。「優等生」とネットで調べればルースの画像が出てくる、と校長が発言するくらいだ。勉強も運動もでき、生徒からも教師からも信頼が厚い。そんな彼は、車の運転よりも銃の使い方を先に覚え、白人家族に引き取られてからも長い治療の時間を必要とした、苦難の幼少期を過ごしていた。そんな逆境を撥ね退けながらここまで歩んできた、という点にも、高い評価が集まっている。
ルースの母親であるエイミーは、ルースの歴史政治学の黒人教師であるハリエット・ウィルソンに呼び出された。ルースに関して相談があるという。ウィルソンはレポートの課題として、歴史上の人物を一人指定し、その人物の主張を代弁するという課題を出した。そこでルースが選んだのが、パン・アフリカ主義の主導者で、アルジェリアの独立運動で指導的な役割を果たしたフランツ・ファノン。彼の主張を代弁するレポートの中でルースは、「意見の対立は銃で解決する」と書いたのだ。ウィルソンはこのレポートに不穏なものを感じ、ルースの個人ロッカーを捜索したという。するとそこから、違法な花火が出てきた。ウィルソンはエイミーに、そのレポートと花火を渡し、ルースと話をするように言い含める。
エイミーは、長い時間を掛けてルースと信頼関係を築いてきたと考えており、今回の件でルースとの関係が壊れることを危惧している。夫のピーターは、エイミーの逡巡にあまり取り合わず、ルースを問い詰めてみるべきだ、という立場だ。エイミーがルースに話を切り出せないでいる内に、ルースはエイミーが隠しておいたレポートと花火を見つけてしまう。そして、ウィルソン先生の関与を疑い、「討論部に協力してほしい」という名目で反撃することに…。
というような話です。

ここまで書いたところで、この映画について調べてみると、「リスペクタビリティ・ポリティクス」というキーワードが出てきた。「差別されないように模範的な行動を取ること」という意味だそうだ。「リスペクタビリティ・ポリティクス」という言葉は知らなかったが、確かにそういう方向性でこの映画を捉えていた、と感じた。

この映画で、最も焦点が当たるのは、当然ながらルースだ。しかし、ウィルソン先生も、ルースと同程度に重要な役どころだ。そして僕には、ルース以上にウィルソン先生の方が謎だった。

もちろん、彼女を理解する補助線として、精神的な病を患っているらしい妹・ローズの存在が挙げられる。こちらも、状況が詳しく描かれるわけではないが、施設で生活していた彼女を、親族の中で唯一、ウィルソン先生が味方となって引き取り、自宅で一緒に生活をしている、という感じのようだ。そしてこの妹の存在は、「ウィルソン」という人物像に影を落とすものとして描かれているように思う。

これまた状況は詳しく描かれないが、ウィルソン先生はおそらく、黒人として厳しい環境にありながらも、信頼される高校教師としての地位を少しずつ固めてきた、というような人物なのだと思う。そういう人生において、劣等感を強く刺激される経験もしてきたが、おそらくそれらは撥ね退けてきたのだろうと思う。そういう中にあって、妹の存在だけが、「ウィルソン」という個人の評価を”脅かす”ものとして、彼女は認識していたのだろうと感じる。

という背景はなんとなく理解できるのだが、しかしだからと言って、彼女の行動原理が理解できるというわけではない。もちろん、ここでいう「彼女の行動」というのは、あくまでも「ルースの憶測」でしかなく、ウィルソン先生の真意がきちんと描写されるわけではない。というわけで、そもそも思考の土台とすべきものもないという状態なのだが、仮にルースの憶測が正しいとした場合、ウィルソン先生というのはなかなか謎めいた存在となる。

とはいえやはり、ウィルソン先生についてもおそらく、黒人でなければそんなことをしなかったのだろう、という気はする。黒人としてアメリカで生きるということは、日本人の僕には想像が及ばないような現実なのだろうし、だからこそ、ニュースなどで「黒人差別に反対するデモ」などという報じられ方を見ても、やはり遠く理解の及ばない感覚を抱いてしまうのだろうと感じた。この映画で描かれるのは、「黒人」に矮小化されるものではなく、あくまでも「リスペクタビリティ・ポリティクス」なわけだが、物語として捉える場合、やはり「黒人として生きる」ということの遠さみたいなものが理解を妨げるな、と感じる。

自分を取り巻く枠組みは、自分の意志で簡単に取り外しが出来るものではない。意識してしまえば、受容するか拒絶するかしかない。複雑化する社会の中で生きる現代人に、「お前はどうなんだ」と突き付けてくる作品だと感じた

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