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ガガーリンの世界初有人宇宙飛行から60年!

“Поехали!(さぁ行こう!)”
当店の「パエハる」というツイートが一時ツイッターで話題となりましたが、この言葉がガガーリンが飛び立つ際のこの一言から来ていることは、同志の皆さんならご存知のことでしょう。人類で初めて宇宙へ飛び立ち、歴史に大きく名を残した人物ユーリイ・ガガーリン。彼の名前を知らなくても「地球は青かった」や「神はいなかった」などの言葉を耳にしたことがある人は多いでしょう。(実際に発した言葉とは異なるという説も最近では有名ですね笑)

4月12日は彼がボストーク1号に乗り、人類初の有人宇宙飛行を成功させた記念すべき日です。そして今年2021年はその功績から60周年!今回の記事はその偉業を成し遂げたソ連の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンの紹介です。

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ガガーリンは、1934年にモスクワ西方のグジャーツク市に近い村クルシノで労働者の両親の元に生まれました。勤勉で優秀だった彼は金属工場の見習いとして働き出した後、技術教育を受けるためサラトフの学校に送られます。
その工業学校でエアロクラブに入り、軽飛行機で飛ぶことに夢中になった彼は次第にパイロットを志すようになり、卒業後は空軍士官学校に入学。その後はノルウェーの国境付近にあるムルマンスクの基地に配属されました。

そして1957年にソ連が世界初の人口衛星スプートニク1号の打ち上げに成功すると、冷戦下にあったソ連とアメリカの間で宇宙開発競争が始まります。宇宙技術はミサイルなどの軍事技術への応用が可能なことなどから両国での競争の主戦場となり、60年代に競争が本格化しました。

激化する競争の中で、ソ連では宇宙飛行士の選抜が始められ、ガガーリンも20人の候補生の1人に選ばれました。厳しい訓練を受け、ついに最終選考で選ばれたガガーリンは、1961年4月12日、ボストーク1号に乗り世界で初めて宇宙へ飛び立ちます。ガガーリンを乗せたボストーク1号は地球周回軌道に入り、108分で大気圏外を1周するとソ連領内の牧場へと着陸し地球へ生還。一躍時の人となりました。

生還した後は、ガガーリンはソ連の広告塔として世界を旅しました。1962年には来日もしており、冷戦下にも関わらず多くの日本人が「ガガーリン万歳!」と書かれた看板を掲げ歓迎したそうです。

ガガーリンの来日時に京都で撮影された写真(おそロシ庵)

宇宙飛行を成し遂げて英雄となったガガーリンですが、1968年3月(当時34歳)、教官と共に搭乗した戦闘機が飛行訓練中に墜落し、不慮の事故で亡くなってしまいます。事故の原因は諸説ありますが、現在でも謎に包まれており、真相は明らかになっておりません。

若くして悲劇の死を遂げてしまったガガーリンですが、現在もロシアで大人気!ロシアを誇る偉人は誰かというアンケートを取ると、今でも多くの人がガガーリンと回答するようです。

彼の故郷に近いグジャーツク市は、彼の死から1ヶ月も経たない内にガガーリン市に改名を決定。ガガーリン記念館や記念碑なども建てられたりしてガガーリンの功績を讃えています。

2013年には彼の伝記映画「ガガーリン 世界を変えた108分」も作られたり、今年も宇宙到達から60年を祝して、岐阜県にある航空宇宙博物館がイベントを行なったりと、話題に事欠きません。

ガガーリンの遂げた消えることのない世界初の功績。60周年というこの機会にぜひ皆様も彼の功績や宇宙の神秘に想いを馳せてみてください。

Ryusei


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