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教育制度を持たない社会で、なぜ子どもたちは”自然と”教育されていくんだろう? 教育制度が充実した会社で、なぜ自分はなかなか教育されないのだろう?

読む時間取れてないくせに、またこんな本を買ってしまいました。

高い。3740円。ふう。
でも、たまたま気になっていた調べていた著者で、それが近所の本屋でたまたま並んでいたから、なにかの縁だと思って買ってしもた。

この本は、アフリカ・カメルーンに住むBaka族のコミュニティに入り、そこの子どもたちを対象にフィールドワークを行った際の記録だ。まだ冒頭しか読んでいないが、「子ども」を対象にした民族誌というのはそこまで多くないらしい。

わたしが興味を持ったのは、このフィールドワークの課題設定。

教育制度を持たない社会で、なぜ子どもたちは”自然と”教育されていくのか?

というもの(ちょっと意訳してるかも。わたしの理解です)。Baka族は、学校という教育の仕組みを持たないし、大人が積極的に「教える」時間を持つこともないらしい。森の中でひたすら「遊ぶ」うちにさまざまな知恵を身につけ、その中で気づけば大人になっていくそうだ。ふむ。

どれも自分に引き付けて考えてしまうのだけど、いま自分が仕事で抱いているモヤモヤ、課題意識と重なるところがある。いまの職場は、教育の仕組みはすさまじく充実してるんです。研修とか自習用の素材とか。知見の共有システムという点ではワールドクラスなんじゃなかろうか。ただ、なんか、なんというか、ノリきれないんですよね。やった方がいいのは明らかなんだけど、モチベーションを作り切れない。

教育ってほんとうに難しいですよね。そういえば、この文章の送り先であるTGさんは、教育産業にいらしたような気がしますね。

また別の話だけど、子どもが生まれて、保育園でまさに教育される=いろいろなことを仕込まれて帰ってくるのを見ていると、大人が受けている「教育」との違いを感じる。楽しそうだし、身体的だし、プログラムされていないし(実は裏でめっちゃされているかもしれないが)・・・なんだろうね、大人も子どものようにできないのだろうか。大人の世界のメソッド(クリエイティブとかコンサルティングとか)を子どもの教育に活用しようっていうコンセプトのスクールがあると聞いたことがあるけれど、ああいうのはむしろ逆なんじゃないか。

みたいなことをぼんやり頭の片隅にひっかけながら、分厚い本をゆるゆると読んでいきたい。

おわりだよ。

次回予告:おれもnoteの続け方について書こうかな。続けられてないという現状はありつつ、noteっていう場所の面白さも感じ始めている。



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