【能登半島地震】復興信じ輪島守る 遺体安置所で読経、支援者たちをケア
※文化時報2024年3月15日号の掲載記事です。
能登半島地震で被災した真宗大谷派長光寺(石川県輪島市町野町)の松岡惠水住職は、地震発生直後に遺体安置所となった中学校で読経するなど、地域に寄り添い続けてきた。本堂や庫裏の修復が見通せない中、門徒や住民だけでなく、支援に訪れたボランティアも支える役割がお寺にはあると考えている。「復興を信じ、できることをする」との信念で、輪島にとどまり続ける。(大橋学修)
長光寺は、1124(天治元)年に天台宗寺院として創建され、1582(天正10)年に浄土真宗に改宗したと伝わる。かつて本山本願寺(現真宗本廟、東本願寺)の法主が4度滞在し、法要を親修したこともある地域有数の真宗寺院だ。
先の大戦では、戦死したわが子を思って門徒が寄贈した鐘が、落成したその日に供出されたこともあった。戦後、地域の門信徒が新しい鐘を寄贈。昨年の宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年に合わせて、鐘楼の基礎や屋根を改修した。
それが、今回の地震で倒壊してしまった。
境内は約100メートルにわたり地割れが発生。大修理を終えたばかりの本堂や庫裏は倒壊を免れはしたが、屋根瓦や壁が崩落した。本堂内部は、仏像や荘厳(しょうごん)が落下し、手の付けようがないほどだった。
そうした中、松岡住職は犠牲者の遺体が近くの市立東陽中学校に安置されていることを知った。「私にできることは、何だろうか」。10束の花を携えて向かった。犠牲者は17人おり、人数分に花束を作り直して供え、読経した。
松岡住職は「孫を両脇に抱え、守りながら亡くなった方もいた。立派な方ばかりだった」と話す。
門徒の誇り胸に
長光寺周辺の住民たちは、断水などの影響で避難所や親族宅に身を寄せており、自宅で過ごす人はわずかという。
松岡住職の家族も避難したが、松岡住職だけはお寺に残った。指定避難所に食料を取りに行き、トイレはバケツで済ませて、ためた汚物を自衛隊が設営したトイレに運ぶ。
松岡住職は「本堂と過去帳、ご門徒が寄進した袈裟(けさ)を守らなければならない。それが住職としての使命」と強調する。地区の門徒たちは、それぞれが威信をかけ、荘厳であでやかな西陣織の袈裟を奉納する習わしがあるという。そんな誇りを、胸に刻んでいる。
不自由な生活を送りながら、災害ボランティアをはじめとする支援者の支援にも力を注ぐ。東陽中学校の避難所運営を担うYMCAやがれき撤去に取り組む真宗大谷派の僧侶らをお寺に招き、心づくしの手料理を振る舞う。
松岡住職は「輪島市内のレストランや酒店を経営していたオーナーたちは『必ず店を再開して町を復興させる』と言っている。私も優しい心を育んだ風土を守っていきたい」と力を込めた。
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