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コロナを越えて⑭「ゼロの論理」で苦と決別

有限会社GM会長・玉屋伊兵衛氏

※文化時報2021年4月12日号の掲載記事を再構成しました。

 「つらく苦しいのは、自分自身の期待がかなえられないから」と話すのは、次世代リチウムイオン電池などに用いる電導ポリマー技術を提供する技術コンサルタント、有限会社GM(京都市中京区)の玉屋伊兵衛会長。起業した会社を譲渡せざるを得ない状況に追い込まれるなど、さまざまな辛苦に直面してきた。多忙な日々でも月に1度の墓参りは欠かさず、「先祖とのつながりの中で授かった命。その原点に立ち戻れば、生きていてよかったと思えて、再出発できる」と語る。(大橋学修)

 玉屋伊兵衛(たまや・いへえ) 1946(昭和21)年10月生まれ。立命館大学経済学部卒業後、薬剤の開発製造を担う企業に就業。97年に新技術を用いたリチウムイオン電池の製造を手掛けるベンチャー企業を設立。同業他社に事業を譲渡した後、2007(平成19)年に有限会社GMを設立し、電導ポリマー技術などを提供している。趣味は歴史探訪。

十一代目が味わった苦悩

 《伊兵衛という名前は、玉屋家の当主が代々襲名する。かつては生糸の卸売りをなりわいとする豪商だったが、先の大戦で家業を失った。現在の玉屋氏で十一代目。幼い頃には、一家は財産を切り売りしてやっとのことで生活を送っていた》

――仏教との出会いはいつ頃でしたか。

 「玉屋家では、季節によって掛け軸を替えたり、神社仏閣に参拝したりと、伝統とする行事が決まっていた。日蓮宗の菩提寺にある墓に参るのもその一つで、幼い頃からの習慣だった」

 「最初は父に菓子で釣られて行っていたが、物心ついた頃には、なぜ先祖を大事にするのかと考えるようになり、私という個人があるのは、先祖から脈々とつながってきたからだと分かるようになった。高校生の頃は『自分とは何か』『生と死とは』を考える哲学青年。家が貧乏でつらかったこともあり、自殺を考えるほどの悲観論者になっていたが、大学に通いはじめて物事には裏と表があるのだと気付いた」

――裏と表とは、どういうことでしょうか。

 「気付きや目覚めは、自分自身で生み出すことはできず、人との交流の中で生まれる。交流の中にも正と邪がある。すべてが良いものではないが、悪いものは反面教師となる。それに気付いて、自分の生き方を考えるようになった」

 「起業前に勤めていた会社では、大勢の前で部下を叱責することで、自分の支配力を高めようとする上司の下にいた。そういった人を他山の石として見ながら、自らの未熟な点を改善することで困難を乗り越えられることにも気付かされた」

――せっかく立ち上げた企業を譲渡せざるを得ない状況に追い込まれましたが、再び立ち上がりました。

 「結果は後からついてくる。結果が良くないのは、努力が足りないからであり、自分が未熟であるということだ。ならば、諦めなければ良い」

 「目標を定めて、それに近づくために、手順を一つ一つシミュレーションする。それを、生きている限り続ける」

今までの自分を捨てる

 《玉屋氏は、「苦しみは、見方によっては苦しみにならない」と考えている》

――苦しいことは、苦しいと思えるのですが…。

 「苦しみを受け止め過ぎると、苦しみが循環し、ストレスのサークルから出られなくなる。心の持ちようを変えなければならない」

 「苦しい時は、一時でしかない。例えば収入が大幅に減って苦しいのは、今までの生活に執着しているから。だから、苦しい、つらいという心をいったん捨てる」

 「捨てると、ゼロになる。うれしいはプラス、苦しいはマイナス。マイナスをプラスにするのは難しいが、ゼロからなら、ちょっとした喜びでプラスになる」

2021-04-12 経済面・玉屋伊兵衛氏02

――そういった視点は、どこから学んだのですか。

 「やはり先祖から脈々と続いてきて今の自分がある、ということに尽きる。自分が生きていることが原点であり、ゼロであると気付いた。ゼロという概念は古代インドで生み出されたが、つくづくすごい発見だと思う」

 「生まれる前の段階である無から、この世に生きる有という状態に変わる。無と有の境目がゼロ。ゼロとは、何もないというわけではない」

 「生まれたての幼児は、乳の欲しさに泣く。衣食住の全てが欲によって成り立つ。それが満たされないからつらい。ただ、すべてが欲という現実から起きていると思えた時に、生きていることが喜びなのだと感じるようになった」

――新型コロナウイルス感染拡大の影響で、企業が倒産したり、職を失ったりした人もいます。

 「生を頂き、一生のうちにあるかないかという出来事に巡り合えたと思えるかどうかだ。しばしば『我慢する』と言われるが、それは、わがままな自分がいるということ。わがままな自分を捨てれば、これから何をしようかという前向きな気持ちになる。飲食業でテークアウトを始めるなど、チャレンジする気になる。新しい自分を発見することができる」

 「自分を捨てる努力をすることで、ゼロにできたならば、『何か良いこともあるさ』と楽観的になれる。私自身も、これを続けていくことになる。棺かん桶おけに足を入れた時、もしも意識があるならば、全てが意味のある人生だったと思いたい」

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