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【能登半島地震】神戸から七尾へ「えーしあう」 被災地NGO恊働センター

※文化時報2024年1月23日号の掲載記事です。写真は被災地NGO恊働センター提供。

 阪神・淡路大震災を機に1995(平成7)年に発足した被災地NGO恊働センター(頼政良太代表、神戸市兵庫区)が、能登半島地震発生の翌2日から、石川県七尾市中島町を拠点にメンバーの派遣を続けている。2007年の地震以来、16年余り続いてきた被災地同士のつながりを元に、物資を提供。宗教者も協力している。(松井里歩)

 支援にあたっては、姉妹団体のNPO法人CODE海外災害援助市民センターや兵庫県防災士会と連携。11年の東日本大震災を機に物資の協力を得ている融通念仏宗浄谷寺(十石慈洋住職、大阪府富田林市)からは、米90キロとカレーなどの食料品、使い捨てカイロなどの生活物資の寄付を受けた。

 被災地NGO恊働センターの顧問を務める村井雅清さんとCODE事務局長の吉椿雅道さんは2日、先遣隊として、神戸から8時間かけて七尾市中島町の小牧(こまき)地区へ入った。

 小牧は、07年の能登半島地震の復興支援で被災地NGO恊働センターが写真集『いとしの能登 よみがえれ!:ボランティアの能登ノート』を制作して以降、深いつながりのある地域。2日時点で77人が避難していた中島地区コミュニティセンター西岸分館に食料や水、ガソリン、灯油、ポータブル電源、衛生用品、生理用品などを届けた。

 中心となって避難所を取りまとめていた女性は「指定避難所にもかかわらず物資は来ず、2日目の夜にしてやっと市職員が冷凍の弁当を置いていった。電気を節約して使っているのに、電子レンジで50人分の弁当を温めろということなのか」と首をかしげていたという。
 
 3日の段階では、避難所の前を通る国道249号の小牧跨道橋が通行できず、電波も途絶えていた状態だったが、住民らで協力しながら道路や避難所の整備を進めた。小牧では、お互いが助け合うことを「えー(結)しあう」という。何か手伝いをする際には「えー行くぞ」との掛け声が上がる様子を見た村井さんは「みんなで助け合うのが当たり前で、えーしあっていた」と振り返る。

「えー」が飛び交う避難所を訪問した村井さん(左)(被災地NGO恊働センター提供)

 今後も、運送会社では配送が困難な輪島市や穴水町など県内各地に支援物資を運ぶ方針だ。

宗教教団の後押し必要

 村井さんはその後5、6日にも、珠洲市の正院小学校や輪島市門前町の曹洞宗興禅寺を訪問。現地の様子について「珠洲市は他の地域とは雲泥の差があると感じた。ほぼ全滅、という印象だ」と話した。

 また、宗教者には寄付や物資による支援だけでなく、地域の拠点としての活躍を切に願うと強調。「現地に行くと『能登はやさしや土までも』という言葉を実感する。07年の地震では、被災した興禅寺の周辺住民らは『自分の家よりもお寺が先に立ち直ってほしい』と願っていた」と明かし、「敬虔(けいけん)な信徒が多い地域だからこそ、お寺が率先して中心となり、役割を果たせる。現地の力だけでは難しい部分もあるが、教団やメディアの後押しが力になる」と話した。

押しつぶされたように崩れている建物=石川県珠洲市(被災地NGO恊働センター提供)

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