【能登半島地震】取材ノートから:足を運べば道になる
※文化時報2024年6月21日号の掲載記事です。
元日の能登半島地震の発災から間もなく半年を迎える。奥能登は、仮設住宅の建設が遅れている一方、避難所の統廃合が進んでいる。生活再建のめどは立っていない被災者がほとんどだ。
本紙は、私を含む大半の記者が地震発生から1カ月以内に現地を取材した。訪れる頻度は減ってきたが、ほとんど時が止まっているかのような、静かな動きだとの印象を受けている。
現地に暮らす人々の多くは真宗大谷派の門徒であり、それ以外の宗旨も含めて宗教色は豊かな土地だ。各宗派や有志の僧侶が、がれき撤去や門徒・檀家宅の清掃、炊き出しなどを行っている。避難所でカフェを開いているグループもある。
一方、現地出身の寺院関係者は「能登の人々は主張をしないことが多いが、本音はもっと手伝ってほしいと思っている」と話す。京都を中心に取材活動をしている私も、どうすれば被災地への関心を持ってもらえるのか考える日々だ。
今月、臨済宗妙心寺派大本山妙心寺(京都市右京区)で霧隠軒・山川宗玄第36代管長の晋山に合わせてインタビューを行う機会に恵まれた。後日詳報するが、地震に関わる山川管長の所感を紹介したい。
大伽藍(がらん)を持つ寺院の住職を兼務しながらも、行動派で知られる山川管長は、2011(平成23)年の東日本大震災では発生半年後に現地を訪れていた。今回も、管長に就任していなければ「今すぐにも、能登へ赴きたい」と話した。その上で、被災者支援についてこう説明する。
「軍に『しんにょう』と書いて運ぶ。首に『しんにょう』で道になる」
ここでいう「しんにょう」は、進むことを指す。山川管長は、言葉を続けて「炊き出しやがれき撤去など、被災地に足を運べば、宗教者として何をすべきか見えるはずだ。それが道になる」と力を込めた。
図らずも、被災地支援の第一歩を再確認する機会となった。(高田京介)
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