見出し画像

〈15〉自然を畏怖する心

※文化時報2021年8月23日号の掲載記事です。

 今年のお盆(月遅れ盆)は、かつてない経験をされたお寺も多かったと思う。新型コロナウイルス感染拡大による帰省の自粛。その上に連日の大雨である。自然が怒っているとしか思えない。

 日本列島は災害が多い土地である。地震、噴火、台風、大雨。人々は常に自然を畏怖しながら暮らしてきた。科学が発達し大都市が形成されても、その脅威がなくなったわけではない。

 日本列島に住む人々は、自然に「勝つ」というような傲慢な考えを持たなかった。自然を崇拝し「共に生きる」ことを大事にしてきた。それがいつの間にか、科学を神にまつり上げ人間が世界の支配者になったような錯覚に陥っている。言い過ぎだろうか?

 8月は霊性を感じる時期である。広島、長崎の原爆忌に始まり、15日の終戦の日。それがお盆とピッタリ重なっている。多くのお寺は、一年中で最も忙しい時期であろう。真夏の棚経は、日本列島に暮らす人々の安寧を支えてきた。

 しかし、戦争体験者は年々減っていく。日本が米英中を相手に戦争をしたことを知らない若者も多いと聞く。戦争の悲惨さを伝えていくことは大事ではある。それでも風化はしていく。これもまた自然な流れであろう。

 感染症は、社会に大きな変化をもたらした。お盆という「魂の行事」も転換期を迎えているように思う。お寺も檀家さんも棚経が負担になってきているようであれば、もう長くは続かない。

 仏教がわが国に輸入された理由として、疫病や自然災害に対する恐れがあったのではないだろうか。自然の怒りを鎮めるために、神仏に祈りをささげる。己の無力さを自覚した人々の自然な行為である。

 今、宗教者がすべきこと。それは、自然を畏怖し「共に生きる」ことを人々に伝えることだろう。自然は人々に災いをもたらすだけではない。「共に生きる」という謙虚な気持ちを失わなければ、必ず大きな恵みをもたらしてくれる。その恵みを「自分の力」と錯覚してはならない。その戒めが宗教だ。(三浦紀夫)

 三浦紀夫(みうら・のりお)1965年生まれ。大阪府貝塚市出身。高校卒業後、一般企業を経て百貨店の仏事相談コーナーで10年間勤務。2009年に得度し、11年からビハーラ21理事・事務局長。上智大学グリーフケア研究所、花園大学文学部仏教学科で非常勤講師を務めている。真宗大谷派瑞興寺(大阪市平野区)衆徒。
【サポートのお願い✨】
 いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。

 私たちは宗教専門紙「文化時報」を週2回発行する新聞社です。なるべく多くの方々に記事を読んでもらえるよう、どんどんnoteにアップしていきたいと考えています。

 新聞には「十取材して一書く」という金言があります。いかに良質な情報を多く集められるかで、記事の良しあしが決まる、という意味です。コストがそれなりにかかるのです。

 しかし、「インターネットの記事は無料だ」という風習が根付いた結果、手間暇をかけない質の悪い記事やフェイクニュースがはびこっている、という悲しい実態があります。

 無理のない範囲で結構です。サポートしていただけないでしょうか。いただければいただいた分、良質な記事をお届けいたします。

 ご協力のほど、よろしくお願いいたします。



サポートをいただければ、より充実した新聞記事をお届けできます。よろしくお願いいたします<m(__)m>