〈35〉医師に雇われる宗教者
※文化時報2022年6月28日号の掲載記事です。
「大阪で医療者と宗教者の連携が進んでいるのは分かりました。私の地域で連携できる寺院はありますか?」
またこのご質問を頂いた。11日に横浜で開催された「日本プライマリ・ケア連合学会」でのこと。医療系のシンポジウムに登壇すると必ずと言っていいほどこのご質問を頂く。「お近くのお寺を訪ねてみてください。きっと協力的な所が見つかるでしょう」と答えてみるが、少し後ろめたい気持ちになる。
全国に福祉仏教のネットワークが広がることを願いながら、コラムの連載を始めて1年半がたった。なかなか状況は変わらない。
新型コロナウイルスの影響でここ2年ばかり、大勢が集まる学会やシンポジウムは中止されていた。だが、今年度からはオンライン併用でも会場開催が増えている。医療系の学会で筆者の登壇予定も続いている。また同じ質問が出てくるだろう。
医療の世界もここ20年でずいぶんと考え方に変化が出てきた。大きいのは「緩和ケア」と「在宅ケア」だと思う。この二つのキーワードは仏教と極めて相性が良い。「臨終行儀」が求められているように強く感じる。
以前から僧籍を持つ医師はいただろうが、40代以下の若い医師は考え方が柔軟だ。仏教を勉強する医師がもっと増えてくる予感がする。患者や家族に仏教を説くのは、住職ではなく医師に取って代わられるかもしれない。それくらいの勢いが若い医師たちから感じられる。
もしそんな時代になったら、檀家に支えられる寺院などなくなってしまうだろう。医療の「付帯サービス」として医師が仏教を説く。それで人々へのニーズは満たされてしまうかもしれない。勤行が葬儀ビジネスの「付帯サービス」になりつつある現状を見ていると、あながち間違った予測ではないかもしれない。
医師が「お迎え(来迎)」を口にする抵抗感がなくなる前に、医師に雇ってもらえる宗教者になっておくのがいいかもしれない。もちろん、本心ではないが。(三浦紀夫)
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