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浅はかな人間は「一体いつまで我慢すれば…」と考える

※文化時報2021年6月7日号の社説「有事の智慧と平時の心」の全文です。

 政府が東京や大阪、京都など9都道府県に出していた緊急事態宣言の期限を、20日まで再延長した。菅義偉首相は5月28日の記者会見で「たび重なる延長は大変に心苦しい」としながらも、感染者数の減少に向けて「以前より長い時間を必要としている」と語った。

 感染力の強い英国型やインド型の変異株が急速に広がっているのが背景にあることは分かる。それでも、大型連休中に「短期間に集中して感染を抑え込む」としながら、ずるずると宣言を引き延ばしてきた見通しの甘さに対し、反省の弁はなかった。「ご理解とご協力をお願いする」と繰り返すだけでは、国民に不信感を与えるだけであり、たとえ理解を得られたとしても納得はしてもらえないだろう。

 東京では、今年に入って緊急事態宣言が出ていなかったのは、元日~1月7日と3月22日~4月24日のわずか41日間しかない。大半は宣言下の日々なのだから、外出自粛や休業・営業時間短縮などは有事ではなく、平時になってしまったのだと言える。

 こうした状況を踏まえて感染拡大防止に協力する機運を高められるのは、政治家や医師ではなく、宗教者ではなかろうか。

 「一体いつまで我慢すればいいのか」と不満に思う人々に、宗教の智慧を借りて助言すれば「そんな発想は捨てた方がいい」となるのかもしれない。我慢は元々、仏教用語である。自分を高く見て他者をあなどる慢心のことを指していた言葉が、耐え忍ぶという意味に転化した。私たちは、ウイルスを駆逐して文明を謳歌できると無意識のうちに思い込んでいるのかもしれないが、それこそ人間の浅はかな我慢だと言うことができよう。

 世間は批判の矛先をパチンコ店からカラオケ喫茶、〝夜の街〟に向け、今では東京オリンピックをやり玉に挙げている。敵をたたいたつもりになって留飲を下げても、感染拡大は終息に向かわない。そうした人心の危うさを戒める言葉も、宗教者なら持っているかもしれない。

 ワクチン接種を巡る混乱と遅れを見るにつけ、この国の公助には頼れないのか、と悲観せざるを得なくなる。

 認定NPO法人おてらおやつクラブの松島晴朗代表(浄土宗安養寺住職)は、公助、共助、自助に加えて「仏助」の必要性を唱えている。宗教を大切にする私たちは、大いなるものの働きを堂々と伝え、その意をくんだ社会活動を行うべきである。

 冒頭で触れた5月28日の記者会見で、菅首相はこれまでと違って「今回の緊急事態宣言を最後にする」とは言わなかった。そのことをある記者が指摘し、「本当に6月20日で解除できるのか」とただす一幕があったが、菅首相は正面から答えなかった。機能不全に陥った政府に、公助の充実を求め続けるのはいばらの道であると予感させられたやりとりだった。

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