朝ドラからの学び
※文化時報2021年10月25日号の社説です。
NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」が最終週を迎えた。東日本大震災からの復興を描いた意欲作であり、被災者支援や対人援助に当たる人々の間で反響を呼んでいる。
ドラマは、宮城県気仙沼市出身の主人公、永浦百音(清原果耶)が、生まれ育った島を離れて成長し、気象予報士として東京で活躍した後、故郷に戻る―という設定だ。ヒロインが地方から上京し、困難を克服して幸せをつかむという方程式通りの朝ドラに見えるかもしれないが、そうではない。
百音は震災発生当日、高校受験のため島を離れており、すぐに戻れなかったという負い目を抱えて生きている。東京での仕事は順調だったが、「身近な人のために働きたい」と帰郷する。震災で母親を亡くした同級生からは「きれいごとにしか聞こえない」と言われ、妹には「私の気持ちなんか、分かるわけない」と突き放される。
それでも、「きれいごとだと思われても仕方ない」と同級生の言葉を受け止め、妹には「聞くから、全部。思っていること全部言って」と伝える。
百音は、口数が少ない。そのことで、心の声を聴き、傷を癒やそうとする傾聴の姿勢が描かれている。
漢字で人の為と書けば「偽」になるように、「あなたのため」が「自分のため」になってしまうことは、往々にしてある。対人援助の現場では、それが善意や価値観の押し付けとなって相手を傷つけ、二次被害を生みかねない。
「あなたのため」は、相手から掛けられる「あなたのおかげ」という言葉によって増幅される。「あなたのおかげ」と言われれば気分がいいが、それを聞くことが目的になると、「あなたのため」を強いてしまう。
ドラマでは、百音の恋人の医師、菅波光太朗(坂口健太郎)が「『あなたのおかげで助かりました』っていう、あの言葉は麻薬です」と、端的に言い当てた。
こんな会話もあった。百音の母親の元教え子で中学生の石井あかり(伊東蒼)が家を訪ねてきた時のシーンだ。「またおいでね」と百音が言うと、あかりは「助けてもらってばっかりで悪いから」とためらう。
これに対して百音は「違うよ。あかりちゃんを助けてるようで、こっちも助けてもらってるから」と言い、こう言葉を継ぐ。
「もし助けてもらってばっかりだったとしても、それはそれでいいという世の中の方が、いいんじゃないかな」
復興と心のケア。私たちは安易にこの言葉を使いがちだが、被災地の現実は複雑で、人々の思いは千差万別だ。震災発生から10年が経過し、支援は自立ありきに傾きはじめた。こうした現実を、私たちは本当の意味で理解しているのか。あるいは、理解しようとしてきたのだろうか。
物語は終盤になって「祈り」というキーワードも出てきた。はっと気付かされる場面が多く、大変学びになるドラマである。
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