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【能登半島地震】終わりなき避難生活 娯楽・先の見通し必要

※文化時報2024年2月16日号の掲載記事です。

 能登半島地震で被災した石川県内では9日現在、1次避難所265カ所に7199人が身を寄せている。一方で、完成した仮設住宅は輪島市内の18戸と珠洲市内の40戸のみ。被災者からは「終わりが見通せない」と半ばあきらめの声が聞かれる。一方で、避難所での支援に慣れ、自主的に行動しなくなっている人も。輪島市役所の応援に駆け付けた堺市危機管理室の杉岡幹敏課長は「先を見通せる光が必要。娯楽があってもいい。それが次のステップに進むきっかけになる」と話す。(大橋学修)

 約200棟が焼失した「朝市通り」から車で10分ほどの距離にある輪島市立大屋小学校には2日、約100人が生活していた。地震発生直後は約600人が身を寄せていた。行政の手が回らないため、被災者自ら避難所を運営し、支援に訪れた団体や自衛隊などと協議。食事も届けられた食料を使って、自分たちで料理していた。支援団体が届ける弁当があるときだけは、料理しなくて済むという。

 輪島塗の塗師で避難所の副代表を担う小路貴穂(しょうじたかほ)さんは「食料と人的資源の消費が抑えられるから、弁当の支援は助かる」と話した。

 ここで生活する人の大半は、建物の全半壊や断水などの影響で、自宅に戻れない人が大半だ。市は2次避難を推奨しているものの、多くの人は住み慣れた地域で生活することを望んでいる。小路さんは「水道が復旧しても、7割は残ることになるだろう」と予想した。

落ち着きと交流

 輪島市役所の2階には、社会福祉法人佛子園(理事長、雄谷良成・日蓮宗行善寺住職)が運営する福祉避難所がある。地震前は、市内のグループホーム「輪島カブーレ」(定員39人)に入居する障害者たちが、日中活動の場としてカフェを運営していた。

輪島市役所内に設けられた福祉避難所

 地震で施設の一部損壊や断水があり、グループホームの運営が難しくなったため、カフェが入居者の福祉避難所となった。社会福祉協議会からの紹介で、入居者以外の障害者も含めて一時は70人ほどが暮らしていた。

 今は入居者23人と外から来た3人が身を寄せている。入居者で朝市通りの実家が全焼した泉由泰さん(48)は、「家を撤去するのにもお金がいる。行政の動きが悪い」と不満を口にした。ただ、避難所での生活には満足しているという。

 グループホーム職員の冨水知佳さん(30)は「皆さん落ち着いて生活している。ここに来られたことで、大勢との交流が苦手な人も、トランプで遊ぶようになった」と話す。

不便でも地域で暮らす

 輪島市町野町には、各所に自主避難所や支援物資を中継する自主集積場が設けられている。

 寺地地区では、倒壊を免れた数軒の家屋に、集落の住民15人ほどが暮らしている。近くの東陽中学校が指定避難所となっており、物資も十分にそろっているが、「幼い頃から見知った人と過ごしたい」と自主避難を決めた。

 自動車整備業を営む小力大精さん(50)は、支援団体から届けられた弁当や物資を周辺40戸に毎日配り歩く。水道や電気が止まっても、自宅で生活したい人がいるためだ。

 地震直後から10日間ほどは、損壊したアスファルトでタイヤがパンクするなどした車を、1日30台ほど無償で修理していた。金沢市内の同業者から、中古タイヤを譲り受けたという。

 別の地区では、神社の御旅所を避難所にしていたが、市役所職員に説得されて1月31日に解散した。住人の一人はこれからの不安を口にした。

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