女たちの長谷みち
蜻蛉日記の著者 道綱母と更級日記の著者の孝標女の長谷寺詣の旅をたどる八回目で木津川から奈良までです。
当時は奈良街道を通る道と現在のJR奈良線沿いの道と祝園神社から相楽を通って朱雀大路へ出る。歌姫越えと呼ばれる三ルートありました。
今回は蜻蛉日記で二回更級日記で一回通った,奈良街道沿いに歩いてみました。
道綱母の方は、時の最高権力者の藤原兼家の正妻では無いけれど妻ですから、各地で接待を受け、京より長谷寺まで3泊して行きました。
孝標女の方は貴族とは言え下級なので十分な宿を得られず,恐ろしい思いをしたり野宿をしたりで2泊ぐらいで行ったらしいです。 とは言え弓矢を持った護衛の男達も侍女達も居て,自分は牛車に乗って行く特権階級ではありました。
道綱母は木津川ほとりの泉橋寺に泊まり翌朝そこから舟で渡ったようです。
市坂辺りで弁当を使い奈良市の宿院町辺りに宿を取ったそうです。
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