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ゴールデンカムイにハマっている自分がいる。(今さら)

漫画アプリで、確かアニメの3期か4期かの放送記念で、結構な巻数が無料開放されていたのがきっかけで。

興味のある題材という訳でも無かったけれど、とにかく読ませる力というか、物語自体もものすごいのだけど。

登場人物がことごとく闇堕ちしているのが、個人的に惹かれた理由なのかも知れない。

あと、画力というか躍動感というか、個性的であるけれど、画がすごい。野生の漫画というか、この独特な感じがとても魅力的。

こう、日本ってむっつりスケベ体質と申しますか。

やたらに潔癖であることを求めようとして、表向きに性的な意識から遠ざかろうとした結果、春画等の謎の独自的文化を現代まで形を変えて貫き通してきているように感じます。

(あくまで個人の感想です)

あからさまに、そういう意図した創作物というのが苦手なのですが、ゴールデンカムイって自然的な人間というか。

異常性も、執着も、愛も、欲望も、人の持つさまざまな価値観や文化や生き様や、欲望や死への恐怖や生への執念や、本当にむき出しの感情をコミカルにシリアスに描いていて。

嫌味のない、人間群像劇を楽しめる良作なのかなぁと考えてみたり。

原作漫画を全話読み終えて、実写映画見て、アニメを現在3期を視聴途中なのですが。

やはり、それぞれの媒体に個人各人それぞれの見方があって、原作強火ファン勢からすると、大衆に受け入れられた実写映画でも難色示したりとあるのだろうとは思いつつ。

3つのメディアミックス媒体を自身の目で見て、それぞれで得る情報が異なることで、登場人物への印象がかなり異なるのだなぁ、と感じたのでだらだら書き連ねてみます。

原作漫画を読んでいる時は、白石→尾形→牛山の流れで好きなキャラクターが推移していきました。

最終話まで読み切ったら「やっぱり白石が居たから、最後まで読んだんだよなぁ。」という感じで、なんだかんだ杉元、アシリパさん、白石の3人組が好きだったのを思い返したり。

ただ、白石がキロランケを「キロちゃん」と呼んで仲良くしているのも、すごく好きだったり。海賊さんもそうですね。

この作品のすごいところって、敵とか味方とか、勧善懲悪が存在しなくて、本当に「ただ人間が己の正義を主張しあっている」そこに生まれるドラマがものすごい。

裏切りとかそういう単純なものでなく、杉元や鶴見中尉、土方にキロランケ達の「己が信念をただ一本貫き通す」生き方や、依存や崇拝、執着に囚われた生き方が、交わったり離れたり、対立したり。

国も、置かれた状況も環境も異なる人間たちの、信義のぶつかり合いと申しますか。

綺麗事じゃない、「人の生きる様」の凄まじさと申しますか。すごいとしか言いようがないです。(凡人の極み)

尾形は、アシリパさんとの時間で癒されて欲しかったけれど。幼少から壊れた人間の修復って困難極めるの、ものすごく理解できるので、彼の最期は彼にとってしあわせだったろうと思いました。

杉元も家族の病と戦争と、相当な目に遭っているのですが、彼がアシリパさんという希望に触れて人に戻れたのは、やはり青年期までに穏やかで愛された体験と記憶があったからに他ないと考えます。

しかし、牛山の漢気がすごいと思うので、もっと女性にモテて然るべきでは?と感じたのですが。性欲モンスターだからなのだろうか‥‥お金持ってないからなのだろうか。

あれだけ規格外に強かったら、用心棒とか出来そうなのに。女こどもに優しく見えるけど、遊女投げ飛ばすくらいだしDV気質なのだろうか。
家永カノにも無理矢理キスしてたし、力任せに強引すぎて駄目なのか。なんの考察だ、これ。

面白いのが、原作ではほぼ興味のなかったキャラクター達が、アニメ版でめちゃくちゃ好きになる不思議現象。

ゲンジロウちゃん、お笑い枠だと思って流し読みしてたけど、アニメでカッコよく思えました。細谷ボイス恐るべし。

インカラマッ、原作で印象になかったのに能登ボイスでめちゃくちゃ印象的に。セクシーな女性の中に、幼い頃の恋心でウイルクを慕い続ける乙女心というか、少女のひたむきさが残る感じが堪らんです。

原作序盤を読み流しすぎたのか、アニメで改めてゲンジロウちゃんへの恋心募らせてるの確認して、なんとも言えなかったです。結末わかっていて安心。実写版の再現度も凄すぎる。

後は、月島軍曹。原作でも救われて欲しいなぁと感じてはいましたが、竹ぽんボイスが刺さりすぎでした。アニメで一番好きなキャラクターです。ロシア語勉強しようかと思い始めた。

江渡貝くんちで尾形と喋ってるの見てたら「博士と教授!!」となったのは私一人ではないはず。竹ぽんもつんちょも、テニプリで知ったんだよなぁ‥‥懐かしい。脳内では何故かテニミュの4年と2ヶ月と15日が再生される。

そんな感じで、原作漫画は視覚的要素と自身の想像力と経験からで読み解きますが、アニメになるとここに聴覚的要素が加わり。

さらにアニメーションスタジオとか制作スタッフとか、主題歌に声優にと複雑なバックボーンが加わり好みも印象も、受取手一人ひとりでまったく異なってきまして。

実写に関しては、2次元を3次元化するという、次元を超える、もはや神の領域の所業ですよね。

そりゃ「そこに愛はあるんか?」って話です。
愛も尊敬も、プロという信念や誇りもなく生み出された実写作品が、反感を買うのは仕方ないかとも思いつつ。

メディアミックスに恵まれたように感じるゴールデンカムイは、安心して見られてとてもよいですね。

アニメも今さらながらに視聴しましたが、樺太編からエンジン上がってて非常に好き。

蛇足ですが、実写映画では土方がひたすらにかっこよかったです。

表現媒体によって、登場人物の印象も違ってきて、とても面白い。

ただ、この作品における一番の魅力って、やはり杉元佐一という人物かと考えます。

愛する家族と幼馴染との別れ、優しさゆえに生きるために壊れた心。温かく、美しかった自分の記憶の中の過去を体現するかのようなアシリパさんの存在に、癒され支えられ。

「無敵」でなく「不死身」というのもいいですよね。シマエナガ回は、誰かが処理した肉を食う文化の我々にはサイコパスじみて見えるところもありますが、とにかく「生きること」に執着することで自分を奮い立たせていた杉元としては当然の流れというか。

「命をいただき、生に繋げる」こういった自然の摂理を、アイヌの生活や文化を通じて学べる作品でもありますね。

時々出てくる変質者囚人たちも、こういう人間も存在するよって教えになりますしね。

今さらではありますが、ゴールデンカムイを知れて良かったなぁと。それだけの話でした。

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