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「水と風と人」■半径1キロメートルの旅、山形県飯豊町

「水没した林にカヌーで入ることができる」
「ただし4月と5月の2ヶ月だけ」
そんな情報を手に入れたのは5月の初めごろ。
このチャンスを逃したら来年まで参加できない。
大急ぎでスケジュールを調整して予約を入れた。
そして訪れた山形県飯豊(いいで)町は思っていた以上に美しい街だった。

■湖

飯豊町の市街地から離れた山の中に佇む、白川湖という名のダム湖。
春には山からの雪解け水が注ぎ込み、普段より10メートル近く水位が上がり、周囲を覆う林の一部は水に浸かる。
水は5月に入ると少しずつ引き始め、6月には水没林はほとんど見られなくなる。

普段から白川湖でのSUPやカヌー体験を行っている「いいでカヌークラブ」が4,5月の2ヶ月だけ行っているのが水没林カヌーツアー。
ガイド付きで水没林と白川湖をカヌーで行く90分ほどのツアーだ。
今回は日の出とともに湖に分け入る早朝のツアーに参加した。

2023年、5月中旬。
まだ空気が肌寒く感じられる5時に、湖畔の公園にある事務所に集合。
参加者はぼく以外に3組6名。
20代のカップルと50代のカップルが2組。

まずは簡単な漕ぎ方のレクチャー。
湖など静かな水面でのカヌーはそれほど難しいことはないので、初心者でも簡単に漕ぎ出すことができる。
レクチャーが終わるとさっそくカヌーに乗り込んで湖へ。

沖縄で体験したマングローブ林とも似た雰囲気だけど、少し冷たい空気が肌を引き締めてくれるようで心地良い。
この日は風がなかったのでカヌーはとても漕ぎやすく、波のない湖面が鏡のように水没した木々を映し出す。
また早朝ということで湖畔の人影も少なく、鳥の声だけが湖の上に響き、時間はゆっくりと流れていく。
とても贅沢な時間を過ごせた。

■宿

カヌーの前日、集合時間が早いので飯豊町内のホテルに宿泊。
泊まったのは「HOTEL SLOE VILLAGE」
見た目はログキャビン風のおしゃれなホテル。
内装はシンプルだけど必要充分な設備で清潔。
快適に泊まるができた。

ロビーはかなりこだわった作り。
電源のある大テーブルがあり、ドリンク類も何種類も無料で楽しむことができて、ここで一日仕事してもいい。
日替わりの朝食の提供もあり。
二泊しましたがチーズトーストとお茶漬けでなかなかのレベルでした。

支配人さんは以前は白川湖湖畔のホテルの支配人だったとのこと。
東日本大震災のときに建物がダメージを受けて閉館になってこちらに移ってきた。
ツアー中にそれらしき建物をみつけたので話してみた。
外から見た限りはまだまだ使えそうでしたがと聞いたところ、中の配管類が相当ダメージを受けていて全部直すには新築するのと同じくらいのコストがかかるのだそうだ。

■呑

ホテルで夕食の提供はないので外食。
泊まった日はたまたま近くのお店がほとんどおやすみだったので、歩いて30分ほどの少し離れた居酒屋へ。

「大衆屋」さん。
地元の酒蔵「若の井」さんの斜め向かいに店を構える居酒屋。
表に看板やメニューがなく窓もないので入りにくかったけどここが大正解。

地元の方中心のお店で観光客向けの変わったメニューはないけど全体的においしい。
アルコール類も日本酒、ワイン、ウイスキー、カクテルなど種類が豊富。
お値段もそこそこリーズナブルでおいしくいただきました。
常連さんメインだけどマスターは感じのいい方で、一見にもキチンと対応してくれます。

明日、白川湖の水没林に行くと話すと「朝はモヤがかかってるとすごくきれいなんですけど明日はどうかな。4月中だとモヤる日多いんですけどもうちょっと遅いかな」と。
「でもこの時期は4月とは違う魅力もあるので楽しんで下さい」

■水

宿とお店の間は歩いて30分ほど。
ただひたすらに水田が続く。
田植えが始まったばかりらしく、田起こしして水が張られただけの田んぼや、田植えが終わって苗が並んだ田んぼがまだらに見えている。

そういえば宿の支配人さん
「田植えが近づいて田んぼに水を入れ始めると、水をたくさん使うので白川湖の水位が下がってくるんですよね。だから水没林は今くらいまでしか見られないんです」

見渡す風景のほとんどは水田。
その間にポツリポツリと家が見える。
田んぼを見ているとなんとなく心が落ち着く。
ぼくもしょせんは日本人ということだろうか。

水田の間をいくつもの水路が通っていて、たっぶりの水が音を立てて流れていく。
豊富な雪解け水が、広大なこの地の田んぼすべてにたっぷりと注がれる。
この土地は水に祝福されているみたいだ。

■風

この辺りの農家は水田の中にポツリポツリと住居が建つ散居(さんきょ)という形態。
冬になると北西からの季節風が強くなり、また雪も深く積もるので、建物の北西側に風よけ、雪よけの林があるのが普通。
これも外から見ると郷愁を誘う美しい景色だ。

散居の周りだけでなく、集落の中にある家にも周囲に何本かの木が植わっているところが多い。
やはり風除けや雪よけのために木が生えていたほうがいいのだろう。
よくよくみるとほとんどの木が同じ方向に傾いている。

そういえば、この日も風が強い。
たぶんいつも同じ方向から風が吹き続けるのだろう。

■碑

歩いていると道端に石碑を見つけた。
グーグルマップにも出ていないが立派な石碑。
近づいて碑文を読んでみる。
昭和40年頃に大規模な土地改良事業が行われたようで、その完成の記念碑だった。

この辺りはいくつもの川が流れていたが、たびたび水害や干ばつに見舞われていて水にはとても苦しめられていたようだ。
石碑には「血のにじむような」努力で「幾多の困難を克服し」などの文言も並ぶ。
「荒廃していた原野の開田が完成し」「整備された広大なる田圃を見渡すと感無量のものがあります」とも書かれている。

いままで平和な田園風景だと思って眺めていた景色が、ふとまるで違って見えてきた。
遠い昔からずっとこの景色があったわけではない。
ほんの50年前、この土地はどんな姿をしていたのだろう。

様々な自然条件に苦しめられながらもこの土地で生き抜いてきて、よりよい暮らしを望んで努力した。
最初から平和な土地だったわけではない。
人が自らの手で掴み取った、それがこの穏やかな景色。
水田の向こうの山並みに日が沈んでいく。
はるかな昔から変わらぬ夕陽が。

■人

この土地を立つ前に、宿の近くにある「農家レストラン エルベ」というイタリアンのお店でランチを食べることにした。
地元の食材を使ったおいしい料理がリーズナブルに食べられると評判。

店に入ると、昨日の夜に飲みに行った居酒屋「大衆屋」のマスターを見つけた。
昼はこちらの厨房で働いて、夜は自分の店をやっているのだとか。
帰ろうとするとわざわざ厨房からあいさつしに出てきてくれた。

帰り道に、昨夜気になっていた「わかのい屋」さんへ。
酒蔵の隣にある直販施設。
ここも「open」の札は出ているけどドアが閉まっているし中が見えないので少し入りにくい。

入ってみるととても親切で試食や試飲をいろいろとさせてもらった。
商品ではなくたまたま試作していた甘酒なども出してくれた。

飯豊町の観光スポットと紹介されている土地をいくつか回ってみた。
正直、白川湖意外はそれほど心惹かれる場所はなかった。
それでも、飯豊町を訪れてよかったと思う。

東北の人はあまり社交的ではないと思いこんでいたけれど、会った人はそんなことはなかった。
少しとっつきにくいところはあるかもしれないけど、中に入ってしまうとごく普通に接してくれる。

■半径1キロメートルの旅をする

水田しかない土地を歩いてみた。
webやグーグルマップで調べても、一見なにもない。
だけど自分の足で歩いてみるといろいろなものが見えてきた。

飯豊町を歩いてみて、ぼくはこんな旅が好きなんだと改めて思った。
遠くまで行かなくてもいい。
有名なスポットを観て回らなくてもいい。
ただ半径1キロメートルを自分の足で歩き、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じて。
そんな旅をこれからもしてきたいと思った。


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