見出し画像

ラーメン道に新風


ラーメンを初めて食べたのは、四歳くらいだった様な気がする。横浜で、大きなお祭りがあったかで、家族で見物に行った時に食べたのが初めてだ。シナチクを食べた印象が強く覚えている。

敦の両親は、貧しい農家の出身だ。母親は横浜だが、名前だけの横浜で、白根と言う寒村に育った。土地はいっぱいあっても、何の役にも立たない。小さい頃は、よく相鉄線の鶴ヶ峰駅で降りて、兄と母と三人で歩いて四キロくらいある白根の母の実家まで行った。白菜の漬物がとびきり美味かった事を覚えている。

白根の家には、兄と同じ歳の男の子と、敦より一つ歳下の女の子と、三つ下の女の子がいた。子供は、すぐに打ち解けるので、すぐ近くのお寺さんの境内で遊んだ記憶がある。健康だけが取り柄の子供たちだった。

未だ、若かった両親が、横浜のお祭りに子供を連れて行ったのだろうと思う。逸れては一大事なので、しっかりしがみついていたはずだ。横浜のどの辺で食べたのか全く記憶がない。ただ、家では食べたことのないラーメンを食べた記憶だけが残っている。

中学校、高校時代は、ひたすら袋麺のインスタントラーメンを食べていた。今でも頻繁にインスタントラーメンのお世話になっている。中華街に行ったのは、大学生になってからだった。横浜に住む男のような威勢のいい吉田靖子が連れて行ってくれた。大学生なので、お金もないので、ラーメンに近いものを食べただけだと思う。吉田は、同じ学部で、日産自動車のセールスマンになり、部下をたくさん引き連れて事業所の責任者になったほどの女性だ。

敦も一度だけ、彼女からプリメーラの新車を買ったことがあった。上品なパールホワイトの車に3年くらい乗った。それだけだが、しつこいセールスもなく、それだけで付き合いが終わってしまった。それほど、捌けた女性だ。何しろ、呼べば来るが、呼ばなければ、全く来ないような関係なので、楽といえば、楽な友達関係が続いている。感じとしては、和田あきこをおとなしくした雰囲気だ。

ラーメンと横浜の関係は、深いのかもしれないと敦は思った。「中華街には、人さらいがいて、外国に売られちゃうから気をつけろ」とおじちゃんから脅されて育った。だから、とてもじゃないが近寄れない場所だった。だから、本格的に中華街に行ったのは、社会人になってからだった。

笑ってしまうが、仲間の暁子や真由美や秀子と四人で中華を食べに行ってのが初めてだった。ちょうど、四人なので、コースを頼んで食べた。中華街には、広東料理、上海料理、四川料理、北京料理、福建料理、台湾料理など様々な種類の店がある。一番店数も多い広東料理を食べたと思う。

それから、妻の瑠璃子と何度か足を運んだ中華街だが、二人では食べ切れないことが分かったので、餃子やシュウマイ、春巻きなどの飲茶や点心などを扱う店を選ぶことにした。瑠璃子の実家の家族と父親が健在の時は、「萬珍樓」「海員閣」「華正樓」など有名店で食べることもあった。どれもこれも美味しいことに変わりはない。中華の大皿で、みんなで突っつきあって食べるのが美味しい。その醍醐味が格別だと思う。

ラーメンは、ある意味、日本で進化した食文化だと言われいる。支那そば、中華そば、南京そばとも言われる。1910年に開店した「来々軒」がラーメンの元祖と言われている。それから110年が経ち、ラーメンは、ご当地を含め、進化し続けている。不思議な食べ物である。本家中国が、驚くほどカテゴライズされた単品商品である。

敦もラーメンが大好きだ。昨日も、ビナウォークに開店したばかりの店に行った。ラーメン暖暮、横浜系ラーメン海老名屋、清勝丸、麺屋いろは、麺屋銀星海美風、麺処 ぐり虎と準備中を含め7店舗のら〜めん処がある。その中でも、『麺処 ぐり虎(GURIKO)』は、イタリアンシェフから生まれた、岡山のミシュランガイド2021掲載の日本一の塩ラーメンの店だと後から知った。そのグリコで塩ラーメンを食べた。白をベースした店内は、明るく清潔感あふれるレストランのような雰囲気だった。店のスタッフの制服も洒落たデザインだったのを覚えている。ラーメン道に新しい道筋ができたように思えて感動した。

ラーメン店が変わる。それがすごく嬉しい。と敦は思った。味さえ良ければ、どんな店でも客は来る。いや汚い店ほど繁盛店として人気が出る。それは、昔の話。清潔、簡素、おしゃれな店に客は集まる、と思う。

ラーメン店も第七世代とか言われるようになりそうだ。世代交代が進む。古くても、小綺麗で、掃除が行き届いた昔ながらの中華屋は生き延びる。しかし、匂いがキツく、油まみれの床やテーブルでは、客は遠ざかる。それくらい清潔で、プチレストランのようなラーメン屋が誕生した。ショッキングだった。

日本のラーメン文化に新しい変化が起こっている。それは、いつか日本の食文化も変えていくのかもしれない。食べると言う単純な行為の中に、おしゃれさや粋さが蘇るのかもしれない。それほどのパワーを感じた敦の1日だった。「たかがラーメン、されどラーメン」と口ずさんだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?