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おでんナイト



先日、「おでんナイト」と言うイベントがあった。滅多に降らない雨が降っている夜だから、人もまばらで活気がない。それでも、知り合いのタチロウこと太刀川君がいて、受付に誘われるままついていくと、登録場で、名前と電話番号を書かされた。手首に蛍光色のテープをつけられた。覗くだけのだったので、広い歩道を歩いた。
海老名の酒蔵のいずみ橋が、大々的に露天を出していた。ほっとした敦であった。どこもてかしこも知らない店や露天ばかりだと不安になる。それでも、すいすいと歩き進んで行く。

気がつけば、一番奥のエレベーターに乗っていた。「なか屋に行こう」と家族三人で、東口まで小田急線の上を通って歩いた。大衆酒場「なか屋」は、家族全員が大好きな酒場だ。サラリーマンが千円で飲んで帰れる店を目指すだけあって、一品が安い設定になっている。そんな大衆酒場で一万円を超える飲食をする家族は、狂っているのかもしれない。とにかく、かたつばしから豪快に頼み、食う、飲む、笑う。

おでん屋で思い出すのが、東急池上線五反田駅から大崎広小路駅間の高架下にあったおでん屋だ。十人も入れば満席になるので、常連も多く、なかなか入れない。入れても、窮屈な思いをしながら食べるので、あまり美味しさが伝わらない。そんなハンディをもろともしないのは、活気のある店内の雰囲気だった。敦も、紫色色に染めた女将の笑顔と元気な掛け声に魅了された一人だ。トイレだけは、入りずらい思いをしたな記憶がある。

おでんと言えば、昭和の懐かしさを残す東北沢にあるおでん屋がある。「美味しいおでん屋に連れってやるよ」とケンヤに言われて付いて行った。澄んだ汁に大根がずば抜けて美味しかった。ケンヤは、三軒茶屋に住むもろにヤンキー系の男で、淡路恵子が叔母さんなのが自慢だ。黒沢明監督の「野良犬」で知られ、近年は快活なおばあさん役などで親しまれた有名女優だそうだ。そう言われても、分からないし、ピンと来ない敦であった。ヤンチャ話が面白い上に、ポジティブで明るいケンヤとつるんでいたのが、矢野光雄であった。矢野は、ケンヤより真面目で、堅実なビジネスを好むタイプで、アパレルで成功を収めていた若手経営者だった。ケンヤも兄とイケイケの109系のカジュアルウエアを様々なチエーン店に提供している準経営者でもあった。その二人と絡んでいたのが敦である。どういう絡みかと言うと矢野の経営コンサルタントのような事をしていた関係で親しくなった。

「久々に、ケンヤにまともなおでん屋を紹介されたよ」と矢野が冗談混じりに言ったが、敦も同じように思った。曰く付きの下北沢あたりの店で飲んでいたので、真面目なサラリーマンやOLがいるだけで、驚いていたことを覚えている。

もう一つは、江ノ島のおでん屋だ。江ノ島を渡る大きな橋に、おでん屋が数軒あった。海鮮類、特に貝類が多いのが特徴で、人気があった。サザエやホタテ、蛤などもあった。ひやの日本酒がイケるので、ビールを封印して飲んでいた。潮の香りが、漂うのも屋台の醍醐味だ。誰もが、笑顔になれるひとときを楽しんでいた。全ても店が、今ある訳でもないが、懐かしさと美味しさが、時を経るごとに、倍増していくのを敦は感じていた。

ネットで調べるとおでんもご当地おでんが存在してらしい。味噌と生姜が特徴の「青森おでん」、醤油と牛すじでだしをとった黒いつゆと黒はんぺんの「静岡おでん」、かつおだしに八丁味噌を加えたつゆと他の地方ではなかなか見ない里芋を入れるのが特徴の「名古屋おでん」、とろろ昆布をのせて食べる「富山おでん」、魚介が豊富な金沢ではカニやバイ貝、赤巻などを入れるのが特徴の「金沢おでん」、鰹節やさば節、昆布で出汁をとり薄口醤油と塩であっさり煮込んだ「京都おでん」、餃子巻きが入っているのが特徴の「博多おでん」など驚くほど食べたくなるバリエーションの広がりがあった。

どこにでも名物がある。美味しいか、そうで無いかは、気持ちの問題もある。気分が良ければ、何でも美味しく感じる。全国津々浦々、美味しいおでんがある。行ってみたいが、行けない事情の方が多い。今は、ネット通販で大概なものを食べられる時代だ。それはそれでいいが、その場で食べてこそ、味わえるものがある。

便利とは何だろうか、足を運ぶとは何だろうか、味わうとは何だろうか、と模索している自分が情けなくなっている敦であった。「美味いものは美味い」それだけだ。
思い出で旨さが蘇っている敦に、家おでんが目の前にあった。「あちぃあちぃ。ちょっとやめてよ」とお笑い芸人のダチョウ倶楽部みたいに言ってみた。「馬鹿じゃないの」と妻の瑠璃子が微笑んだ。おでんはどこで食っても美味しい。

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