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雨がしとしと


テレビで『雨がしとしと日曜日』とザ・タイガースのジュリーが、甘くカン高い声で「モナリザの微笑み」を歌っていた。聞かない日がないくらいラジオでもテレビでも流れていた。まだ、レコードが全盛期の頃だから、1967年夏に発売されたものが翌年の1968年に大ヒットしたりした。事実、この歌は、空前のグループ・サウンズブームに乗って、ヒットしたように思う。

聡が、高校生の頃には、英国モデルのツイッギーの来日でミニスカートがブームになっていた。近所のおばちゃんまで履きだすほどのブームだった。それに加えて、ザ・ブルーコメッツ、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズなどザ・タイガースと競い合うようにヒット曲を量産した。当時は、THEを頭にちゃんと付けるのが流行っていた。

聡が大学になる頃には、ウッドストック・フェスティバルがアメリカの片田舎の農場で開催された。40万人の観客を集めた歴史に残るイベントをテレビで観た若者は、歓喜に包まれた。音楽だけでなく、商業主義や権威主義に対抗するカウンターカルチャー(対抗文化)の出現によって、世界中の若者が衝撃を受けた。聡も会場にいた若者達のヒッピースタイルに驚きと衝撃を受けた。

日本では、ヒッピーの理念や思想よりもファッションとして大流行した。裾が鐘のように広がったベルボトムパッツや花柄プリントのシャツやTシャツ、幻覚的な極彩色のサイケデリックなプリントの絞り染めTシャツなどを実際に聡も着ていた。その頃から、ロックやハードロックなども主流だったが、グループサウンドに飽き始めた若者たち。フォークソングに人気が移り始めた。

新宿西口のフォークゲリラなど反戦ソングもあったが、ボブ・ディランを筆頭ににほんでは、トワ・エ・モアや千賀かほる、森山良子、新谷のりこは「フランシーヌの場合」学生運動をしながらで80万枚の大ヒットを飛ばした。聡は、カルメンマキと並んで好きなフォークシンガーだった。

その後、聡が井上陽水をはじめとする黄金時代を迎えた頃によく聴いたのは、リリィ、小椋佳、さだまさしだった。当時は、LPレコードで聴いていた。今なら、簡単にスマホで聴ける。70年代頃から、メガヒットの曲は無視し、自分の好きな曲しか聴かないようになった。いい意味で、聡だけでなく、自我が芽ざまていく。音楽を思い出しただけでも、たった数年で歴史が作り替えられるものだと思った。

今の聡は、何を聴いているかというと、A K Bの「恋するフォーチュンクッキー」と「365日の紙飛行機」の山本彩バージョンや、あいみょんの曲などアイドル系の歌が好きらしい。

「大体、若い女が好きなだけじゃん」と友達の桂子にも言われた聡。
「だんだん、自分の歳と反比例していくもんだよ。桂子だって、若い菅田将輝や瑛人が好きなくせに。今が一番いいと言うことか。過去は、過去でしかないんだね」
「雨がしとしと日曜日か、そんなセンチメンタルな心も無くした男だからね」
何かを得て何かを失う。若さを得て、心を失ってしまったんのかもしれない。
ドジだな、本当にドジだなと聡は、思った。
「ところで、センチメンタルって何?」
と真顔で桂子に聞いた。

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