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愛と平和と

谷川俊太郎のエッセイで、『《好き》から《愛》へ』というものがある。音楽について書いたもので、芯を捉えていた。「歌い手と聞き手との殆ど完璧な交流があった。何故か?そこには聞き手の《愛》があるれていたから。その巨大な《愛》の内部で、歌詞はアノニマスなものになった。」「その劇場の中では、グループサウンズそのものがアノニマスなものになっていた」と書いている。アノニマスを「無名的」な意味で使っている。

《愛》と言うと、愛人、愛妻、愛児、愛子(あいし)など下世話なことしか頭に浮かばない謙也は、『愛してる」とたまに言う。妻だけでなく、綺麗なお姉さんにも言う。軽すぎるので、「本当に」と疑われる。

愛を真剣に考えたことはない。人類愛とか人間愛とか、大袈裟に言えば、世界平和やヒッピー的な思想ともリンクする。『ヒッピーは、搾取的だった一部のキリスト教教派に批判的であり、「ヒューマン・ビーイン」に代表されるような、新しいムーブメント、哲学、宗教や魂(スピリチュアティ)の体験をもとめた行動』(Wikipedia)をいう。

ありていに言えば、夫婦愛、家族愛、親子愛などを基盤とする日常生活での愛は、自然に育まれ、育っていく。あまり広げると、共同体生活への回帰に始まり、カウンター・カルチャーとして音楽、野外フェス、性解放、フリーセックス、大麻等のドラッグ解禁、男女平等、各種差別の廃止、ヴィーガニズムとつながる有機野菜の促進など、主流とは異なったオルタナティブな社会の実現などとややこしくなる。

愛というのは、不思議なもので、猫や犬などへの動物愛もある。それぞれ、個人という単位で活動している限り、社会やコミュニティに迷惑はかからない。動物愛も保護や虐待禁止などとなると大きな組織が動き出す。

愛の問題は、不倫や浮気などが事件化すると全く関係のない他人が介入する。家族と当事者の問題なのに、他人が出てくるとややこしくなる。特に、芸能人や有名人のトラブルは、それで事件化し拡大する。それは、他人のことだから、口を出したくなる人間の本能のように思う。

LOVE&PEACEを掲げた「1969年8月、ニューヨーク州のベテルでロックの大祭典「ウッドストック・フェスティバル―Wood stock festival」が開催された。40万人の若者がコンサート会場に集まる歴史的なイベントだった。背景にベトナム戦争中ということもあり、平和と愛と反戦を主張するイベントでもあった。

この様子は、全世界に中継はなかったがニュース配信され、世界中がロックに酔いしれた。謙也も大学生だったので、その様子を鮮明に覚えている。世界が一つになることは滅多にないが、戦争中ということもあって、反戦が深刻な問題であり、共通な問題であった。

「ヒッピーは、1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、既成社会の伝統、制度など、それ以前の保守的な男性優位の価値観を否定するカウンターカルチャー の一翼を担った人々、およびそのムーブメント」だった。

インドやアフリカ、東欧、中近東の民族や部族の衣装の要素が取り入れた「フォークロア」やTシャツとジーンズなどの生活着をファッションアイテム化させた脱スーツ、脱オフィシャルなスタイルが大流行した。世界レベルで流行した。ファッションと音楽、アートの融合などが起こった。サイケデリックアートもその頃に起こった。

サイケデリックとは当時カリフォルニアでは合法だったLSDや幻覚剤によってもたらされる幻覚を想起させるさまや派手な色や音楽などに対して言った。サイケと呼んだ。そんなカウンターカルチャーの大変革期に起こったのがウッドストックだった。
世界中の若者たちが夢中になって真似をした。

若者を中心とするカルチャーは、爆発的破壊力で拡散する。成熟社会の現代では、無理なムーブメントかもしれないが、アフリカや中東、アジア、南米などで新しいサブカルチャーが生まれる可能性がある。

コロナで疲弊した世界を変えることが起こると謙也は信じでいる。大人の作った社会を壊すのが若者の使命だと思っている。そんな夢が実現すればいいと思う。

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