見出し画像

運動会とアンパン


聡は、校庭から聞こえる運動会の徒競走の音楽や行進曲を聞くと、小学生のころ、中学校の運動会に一人で見に行ったことを思い出していた。

あの頃は、一家総出で校庭に集まった。お祭りの一つだったので、酒を飲んで見学する父兄も多く、酔っ払って、子供と一緒にかけてしまう父親もいて、大爆笑されていた。

聡は、コーヒー牛乳とアンパンの駄賃をもらって、運動会を一人で見るのが好きだった。貧しい家だから、現金収入が殆ど無かった。米と食べ物に不自由しないが、それはそれで、楽しかった。

友達と一緒にいると、もっと美味しい物を食べたり、買ったりするので、格差を、感じてしまう。だから、一人で、至福の時が過ごせる運動会が好きだった。

牛ややぎ、鶏、豚などを飼っていた。食料としててなく、大きく成長させて業者に売るための家畜だ。鶏は、卵を産むので、貝殻を砕いて餌にする。祖父が、鶏の首を優しく捻って絞める姿を見ても、感傷的にならなかった。生命に感謝をすれど、美味しい鶏肉が食える程度しか、考え無かった。

いまは、スーパーで、ラップに包まれた鶏肉を買っている。自分で捌けないのだから、それに甘んじると聡は思った。

家に色々な動物がいるのは、いいのだが、出産もある。牛の出産は、大人が二、三人いても大変だ。足から出てくるので、それを引っ張って出してあげる。本当は、自然に出てくるのだろうが、苦しんでるいる牛の姿に人間が耐えられない。大人たちが加勢している間、子供たちも見守る。

新しい藁を深々と敷き詰める。赤ちゃんが、地面に叩きつけられないようにする配慮からだ。子供心に、生命の誕生は、感動する。仔牛が、ひょろひょろと立ち上がる姿は、立ち会った者にしか味わえない感動がある。昔の生活は、ほとんど手作りだ。それを通して生命の大切さを学習する。

馬頭観音が庭にある。馬に名前はついていないので、戒名はない。聡が、二、三歳の頃の僅かな記憶の中に、馬の鞍に乗って、庭を歩いた記憶がある。

聡が大学生の頃、何気に
「そういえば、馬を飼っていたよね」と聞いた。
「あれは、農耕馬だよ」と父親から言われた。そのわりには、すらっとしていたように思っていた。大学時代、女友達の川田則子が、
「私、馬で学校通っていたの」
「どんだけのお嬢様だよ」
「俺んちも、馬飼ったよ」
とにかく、門から家までが歩けないくらいの大きな家らしい。秋田の大金持ちの出身で、しかも、超美人。同級生の男が、誰も近寄らないくらいのモデル級美人だった。聡は、怯むことなく仲良しになった。やっぱりというか、フランス人と同棲していた。聡は、そのフランス人とも知り合いだだった事もあり、仲良くなった。

聡は、アテネフランセに通っていた。そこの先生だった。一度、則子から食事に誘われた。友達数人とアパートを訪ね、食事をした時に彼氏とばったり会って、お互いにビックリしたのをおぼえている。

貧しかったが、それなりに仲良しになれるキッカケや体験をさせてくれた両親に感謝をしている。聡は、しみじみ、懐かしくなってしまった。
秋晴れの下で行われる運動会。徒競走のピストルの音、くす玉が割れる瞬間、騎馬戦の地響き。
どれもこれも、至福のときを思い出す。
聡は、猫のように気品があり、犬のようになつくヤギが好きだと思い続けている。

「本当は、今でも庭でヤギを飼いたい。」
と妻の茉里に言った。
「とりあえず、紙でも食べてから、考えたら」つれない返事が返って来た。
「それもそうか」と聡が頷いた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?