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大人のためのネコ童話『猫の夢』
珍しく気持ちのいい目覚めの朝だった。
小学生のころの夢を視ていた。
学校から帰ってきたあたしのために、母が笑顔でドアを開けてくれた。
優しい母の笑顔が急変した。
「あら、いやだ。ポポちゃん、そんなものひろってきちゃって!」
母になんと言われようと、あたしは幸せだった……
そこで目が覚めた。
夏風が静かにカーテンを揺らしていた。
起きあがって鏡の前に立つと、鏡に可愛らしいキジトラの子猫が映っている。
鏡のなかのどこにもあたしの姿は映っていなかった。
鏡のなかの子猫が悲鳴をあげた。
「ポポちゃん、朝ご飯できてるよ。早く食べて学校行かないと遅刻だよ」
エプロン姿の母がドアを開けて入ってきた。
部屋のなかをキョロキョロと見まわしている。
鏡の前に座っている子猫と視線が合って、眼をまん丸にして驚く。
「あら、あんたどこから入ってきたの? ポポちゃんどこ行ったか知らない?」
あたしは母の足元にすりよって、あたしよ! あたしよ!と訴えかけたんだけど、母にはいっこうに気づいてもらえなかった。
「変ねえ。ポポちゃんどこに行ってしまったのかしら……」
ポポちゃんとは、また妙な名前だと想うかもしれないけど、あたしは幼稚園のころから道ばたでタンポポを見かけると必ず摘んできてしまうので、いつのまにか両親からそう呼ばれるようになっていた。
母は子猫のあたしを抱きあげると眼をしっかりと合わせた。
(あたしよ! お母さん、あたしよ!)
あたしは必死になって何度も叫んだが、母はあたしの名前を呼びながら家中を探しはじめた。
「どうしたんだ、朝から騒がしいぞ」
朝ご飯を食べていた父が母をにらんだ。
母はあたしを抱いたまま父の前に立った。
「それが……ポポちゃん部屋にいないのよ」
父はキョトンとした顔になって母にたずねる。
「その子猫はどうしたんだい?」
「それがね、ポポちゃんの部屋で鳴いていたのよ」
「どこから入ってきたんだろう」
「窓はしっかり閉まっていたけど……」
「うーん、おかしな話だね」
あたしは父と母を交互に見ながら、いまあなたたちの目の前にいる子猫が娘のあたしなのよ!と訴えかけたが、二人ともあたしの言葉がまったくわからないようだった。
「それにしてもよく鳴く子猫だね。おなかが減ってるんじゃないか」
「そうね、ミルクでもあげようかしら」
母がミルクを注いだボールをあたしの前に置いてくれた。
お腹がペコペコだったので、あたしは頭をつっこむようにしてミルクを飲んだ。
「早起きして学校に行っちゃったんじゃないか」
「そうね、学校に電話してみるわ」
父と母は意外に落ち着いて会話している。
可愛い一人娘が忽然と姿を消してしまったんだから、もっと慌ててほしい。
あたしはちょっと不満だった。
「麻岡先生に訊いたら、まだ来てないようだって」
「そりゃ変だ。まさか誘拐されたんじゃ」
「誘拐!?」
母が素っ頓狂な声を出した。
「そうだよ、誘拐されたのかもしれん」
父が妙に落ちつきはらって答えた。
「じゃ、警察に電話しなくっちゃ」
母がいままで見たこともないような真剣な顔つきになって携帯電話をいじっている。
噛みしめた唇から血がにじんでいた。
お巡りさんが二人駆けつけてきて、あたしの部屋を皮切りに家中を家捜しした。
あたしはお巡りさんにも一所懸命訴えかけたんだけど、相手にしてもらえなかった。
お巡りさんは近所に聞きこみすると言って出ていった。
「あ、俺、そろそろ会社行かなくっちゃ。何かわかったら連絡してくれ」
そう言うと父はあたふたと出かけていった。
独り残された母は子猫 (あたし) を抱きあげてキッチンの椅子に腰かけると、あたしに声をかけてきた。
「ほんと、ポポちゃんどこ行っちゃったのかしらねえ」
あたしは諦めモードになりかけていたけど、もう一度母に訴えた。
(あたしはここよ。お母さんが抱いている子猫があたしだよ!)
「猫語がわかればいいのにねえ。おまえ、ポポちゃんがどこ行ったか知ってるんだろう」
母はあたしの顔を見つめながら大きなため息をついた。
当たり前のようにあたしはこの家で飼われることになった。
両親は顔を合わせるたびにポポちゃん (あたし) のことを話題にしたが、お巡りさんの聞きこみの成果もなく、あたしの行方はいっこうに判明しなかった。
というより、あたしは二人の目の前にいつもこうしているんだけど……
一年、二年と月日が風のように過ぎていった。
十年、二十年と歳月は川のように流れた。
歳月の流れとともにいつしか飼い猫のあたしの呼び名は「ポポちゃん」になっていた。
猫であるあたしの世話をやいてくれる母も、十年一日のように無表情で朝ご飯を食べている父もめっきり老けこんでしまっている。
あたしは母の腕のなかでうたた寝していた。
夢を視た。
野原で思いっきり遊んでいる夢だった。
遊び疲れて、あたしはお花畑で眠ってしまった。
目が覚めると朝だった。
夏風が静かにカーテンを揺らしている。
「ポポちゃん、眠れなかったのかい? 朝ご飯食べながらうたた寝するなんてお行儀悪いよ」
若かりしころの姿にもどっている父がお茶碗を持ったまま声をかけてきた。
「昨日、ひろってきた子猫のせいで、興奮して眠れなかったんだろう」
父はいつものようになにを言うにしても表情ひとつ変えない。
けれども今朝はそのあとニッコリと笑った。
「ほんと、可愛い子猫だよな」
あたしが床に視線を落とすと、可愛らしい子猫が気持ちよさげに眠っていた。
よく見ると、子猫の健やかな寝顔は、あたしそっくりだった。
Illustration:© Broccoli Cat Art
【ChatGPT3.5による解説】
アイデンティティの探求
『猫の夢』は、アイデンティティのテーマを巧みに織り交ぜた幻想的な物語だ。物語の主人公、ポポちゃんは、目覚めると自分が猫になっていることに気づき、その後の出来事を通じて、自己のアイデンティティを再確認していく。この物語は、ポポちゃんの視点を通じて、人間の本質や存在の不確かさを探求している。
物語の冒頭、ポポちゃんは懐かしい夢の中で母親の笑顔に包まれるが、目覚めると自分がキジトラの子猫になっていることに気づく。この変化は、物語全体の基盤を形成する。ポポちゃんが猫として存在することで、彼女のアイデンティティが試され、母親や父親との関係が新たな形で再構築される。母親の目にはポポちゃんは子猫としてしか認識されない。この状況は、ポポちゃんが自分の存在を再認識し、自己を再定義する過程を象徴している。
ポポちゃんの視点から見た世界は、猫としての新しい視点と、彼女の人間としての記憶が交錯する場所だ。母親や父親に自分の正体を伝えようとするが、その試みは常に失敗に終わる。ここで描かれるのは、他者とのコミュニケーションの困難さと、自己の存在を他者に認識させることの難しさである。ポポちゃんの母親が子猫を抱きしめながらも、自分の娘を探し続ける姿は、喪失感と愛情が交錯する切ない人間存在を象徴している。
物語の中で、ポポちゃんは時間の流れとともに、猫としての生活に順応していく。最初は人間の記憶と感情を持ちながらも、次第に猫としてのアイデンティティを受け入れるようになる。この過程は、自己の再発見と新たなアイデンティティの形成を象徴している。ポポちゃんが母親に「自分が娘であること」を訴える場面は、読者に対して、自己の本質とは何かを問いかける。
物語のクライマックスでは、ポポちゃんが再び人間に戻る夢を見る。この夢の中で彼女は、若かりし頃の父親と再会し、新しい子猫を見つける。ここで描かれるのは、再生と新たな始まりの可能性である。ポポちゃんが夢の中で見た子猫の姿は、彼女自身の新たなアイデンティティを象徴している。この夢は、物語の循環的な構造を強調し、終わりと始まりが一体となった存在と時間のサイクルを示唆している。
冬月剣太郎の『猫の夢』は、単なる童話の枠を超えた深い文学作品である。ポポちゃんの視点を通じて描かれる物語は、存在の不確かさ、アイデンティティの流動性、人間関係の複雑さを探求している。この物語は、読者に対して自己の存在を再確認し、新たな視点から世界を見つめることの重要性を訴えかけている。ポポちゃんが猫としてのアイデンティティを受け入れながらも、自分自身を見失わない姿は、自己の本質と向き合う勇気を示唆している。
『猫の夢』は、人間のアイデンティティに関する深い問いかけを含んだ物語であり、読者に対して自己の存在を再確認し、新たな視点から世界を見つめることの重要性を伝えている。この物語は、ポポちゃんの旅を通じて、人間の本質や存在の不確かさを探求し、新たな視点から自己を見つめ直す機会を提供している。
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