散文詩(ボーフラ)

僕は電車を待っていた。とても疲れているので、駅のホームに座り込む。喉がひどく乾くので、ペットボトルのお茶を飲む。それでも足りないので、妹が持たせてくれた水筒を飲む。もうまるで立ち上がれないみたいだ。

電車がゆっくりと近付いてくる。僕は奇声をあげて、電車に転がり込む。僕の滑稽な様子を見て、みんな笑っている。僕もとても愉快な気分になって、そのまま、車窓に合わせて歌を歌うんだ。

それはこんな歌だった。

♪ソーダ水、丁寧さのある表情で、そうだそうだ下水、下水、入ります、しりとりをします、しりとり始めます、しっとりとした肌感、スペード、ハート、ダイヤ、クラブ、剣山…(略)

女の子が、僕の方をじっと見ている。そう、僕は、ここまで来た。途中、何回も出逢ったあの子だ。ずっと大声で叫ぶ。おーい、おいでよって叫ぶ。彼女も元気そうだ。良かった。聖母マリアの処女懐妊に、すんでのところで間に合わないところだった。パトカーが来た。いつものお巡りさんだ。言い換えるなら、同時にお巡りさんが来た。また同時に巡査長が来たとも言える?僕は脱糞して、電柱に突撃する。血まみれになった。こういうのを血だるまと呼ぶのなら、僕自身に関して言及すれば、血だるまじゃなくて、赤いだるまだな、と思った。
赤いだるまと、青いお巡りさんが同時に発生するとなると、これは、黄信号だ。

僕は正気に返った。これじゃ、まるで、頭がおかしい人じゃないか。どうして、こんな風な振る舞いをしたのだろう?まず、逃げなきゃいけない。何処までも遠くへ逃げないといけない。チケットを取ろう。チケットなら何でも良い。チケットぴあが来た!!!!ぴあを載せたタクシーだッ!!!!交差点の向こうから、バニラが来るッ!!!!間に合えッ!!!!!バーニラバニラバーニラ求人!!!!!バーニラバニラバーニラ求人!!!!!!

「タクシーッッ!!!!」
「お客さん、どちらまで」
「散文詩を作れるところなら、何処だって良いんだ!!!!!」
「わっかりました、石原裕次郎記念館まで行きましょう」

タクシーの運転手も、正気でなかったようだ。防犯用の衝立に、消費者金融のシールが貼られている。円形にぐるりと整然と並べて貼られていて、真ん中には私立探偵のシールが貼られている。運転手の香水が特徴的だ、個性が強い。幼い頃、卒園式ではじめて会った先生の香水に似ている。いや、似ているのではなく、同じ香水だ。カーラジオのチューイングをしっかり合わせずに、遠くから中国語の放送が途切れ途切れに流れている。広島県なのに、石原裕次郎記念館までどうやって行くというのだろう?僕は、脱糞を止めないで、考える事も止めなかった。ようやく県境を越えた。検問を避けた事で、偶然にもショートカットして、参道を車で走り抜けると、大勢の人が、日の丸の旗を振って応援してくれている。僕はスターだ。思い出した。僕は金メダリストだった。失われた記憶が、少しずつ蘇ってきている。僕は悲劇の金メダリストだった。

「お客さん、着きましたよ」
「ああ、どうも、これは"樋口一葉の一万円札"だが…」

僕は一万円札を投げ捨てて、タクシーから転がり出した。アッ!!!!しまった!!!!!ここは、坂道じゃないか!!!!傾斜が深いッ!!!!!!罠に嵌まった!!!!!!

血だるまになって、転がりながら、転がりながら、僕は散文詩のイメージが浮かんだ。それは太陽とサボテンと、壊れたくるみ割り人形に関するイメージだった。特に重要なのが、サボテンの赤茶けた色だ。それは、酒飲みの太鼓腹を思わせる。

僕は意識を失って、そのまま、何処かへ運ばれた。入院ではない。僕は病院に行った事がない。そこから数か月の記憶がなく、気が付いたら、スーツを着て、成田空港につっ立っていた。凛として立つ未亡人たちが、北ウイングまで見送りに来てくれた。同衾した真夜中の猿の息遣いと表情を真似て、僕は、

「アッ、アッ、アッ、アッ、アディオス!!!!!」

と別れを告げた。未亡人たちは苦笑するでもなく、全く表情を変えないで、やはり凛として立っていた。僕と彼女たちの間には、鉄格子があると思った。猿山のそれではなく、危険で獰猛な猿と客の間にある、頑丈な鉄でできたそれだ。僕は少し絶望した。未亡人たちが用意してくれたトランクには、沢山のワイシャツが入っている。僕はこのトランクを手放すまい、と思った。行き先はだってアメリカだ。トランクを失くしたら、失踪者になってしまうだろう。このワイシャツは、アメリカの社交場で大いに役立つだろう?

「もうすぐフライトですね…」
「ありがとう。見ず知らずの僕を…」
「甘えん坊さんね…」

僕が颯爽とフライトにチェックインすると、未亡人たちは、堰を切ったように、髪を振り乱し、取り乱して泣いた。それは狂気そのものだった。警備員が集まってくる。僕は他人の素振りで先に進んだ。アジア系のキャビンアテンダントが目配せして、肩をすくめてみせたので、僕も肩をすくめてみせた。

数年後、僕は、アメリカで詩人デビューした。「手負いの猿」でデビューした。滅茶苦茶売れた。今ではとても有名な詩人として、大きな邸宅に住んでいる。元は有名なNBAの選手が住んでいた家だ。彼はもっと良い邸宅に引っ越したという塩梅式さ。あの頃の奇行は収まって、今では僕は常識人だ。あの頃の奇行が、まるで夢のようだ。僕はアメリカで正気を取り戻した。この病気の大国で、一切の服薬も通院もしていない。妻のロザンナは、僕の過去の奇行は、僕の優れた想像力によるもので、本当にはやってはいないのよ、と言う。僕はロザンナを抱き締めて、抱き締めて…。

抱き締めた時の、ロザンナの香りが、あの時のタクシーの運転手と、同じ香りなんだ。きっと同じ香水を使っているのだろう。僕は苦々しい気分になる。でも、その度に心の底に刻まれるんだ。この香りのせいで…。いずれ、この香りに堪えられなくなる日が…。この香りが、僕の無意識を蝕んでいる。

ロザンナが日本から船便で三ヵ月かけて取り寄せた服薬ゼリーが、リビングのテーブルの上にある。

「ロザンナ?」
「ああ、気にしないで。この服薬ゼリーは、スイーツ作りに使うのよ」
「なるほど……………」
「薬の替わりに、マシュマロを包むの。素敵でしょう?」
「そうだな………………」
「パーティーで、小さい子供たちが、このスイーツがとても大好きなの」
「幼児が…」
「あたし、生まれ変わったら、保母さんになりたいわ」

ロザンナは、微笑んで、歌いながら化粧台のあるロザンナの部屋へスキップしていった。何時もと同じなら、十分後、瞳孔が開いたロザンナが僕のところに戻ってくる。僕はロザンナの瞳孔を見つめながら、また、散文詩を考える。僕は信じる。信じている。


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