粗忽世界(紀野珍)

 ひょんなことから〈たいむましん〉を手に入れたんだ。その「ひょん」についてはくだくだと語らないよ。秘密を漏らしたのが私だってのがばれると組織に消されちまう。——というのは冗談で、言っても信じてもらえそうにない荒唐無稽な話だし、私自身、詳しいことはちゃんと理解できてないんだ。
 簡単に言うと、ある御仁から譲り受けた。
 とある晩、寝入っているところを誰かに起こされた。見ると、どこから入ったのか、枕元に奇妙ななりの男が立っている。その男が、一方的に長広舌をぶったあと、〈たいむましん〉なるものを渡してきた。以上。あとのことはなんにも覚えちゃいない。
 あんまりおかしな出来事なんで、てっきり夢のなかの話だと思ってたんだが、翌朝目が覚めると男のいた場所に何かある。ちょうど印籠くらいの大きさの、ぎらぎら光る銀色の物体だ。男のくれた〈たいむましん〉に違いなかった。
 もちろん、〈たいむましん〉という名前も男が教えてくれた。「たいむ」が時間、「ましん」が機械、からくりとか言ってたかな。この〈たいむましん〉、ひと目見れば明らかにふつうのものじゃないと分かる。表面が漆器みたいにつるつるに磨き上げられていて傷ひとつない。色からして銀細工と思いきや、手に取ると気味が悪いくらい軽い。何もかもが異様で現実離れしていて、とても人間のこしらえたものとは思えない。
 だから、未来の世界から持ってきたという説明がしっくりきた。男がそう言ったんだ。自分は遠い未来に生まれた人間で、時空を跳び越えて移動できる〈たいむましん〉という道具を使ってこの時代にやって来たんだって。ぎんぎらの〈たいむましん〉にくっきり映る手前の顔を眺めながら、なるほどな、と思ったね。そんなこともあるのかもな、と。まるで絵空事みたいな話だが、現に、どこからか湧いて出た謎の人物にもらった謎の物体が手もとにあるんだし、きっと真実なんだろうと。
 私の狭い知見で眉に唾を付けるより、未来人の言い分を全面的に受け入れるほうが話は早い。そう結論して、遠慮なく〈たいむましん〉を使わせてもらったよ。それが男の要望だったんだ。この道具を譲るから、いろんな時代にじゃんじゃん跳んでくれって。
 最初に行ったのは見渡すかぎり砂で覆われた灼熱の地だ。かんかん照りのなかたくさんの人が駆り出されていて、山のように巨大な三角の何かを作ってた。
 つぎに跳んだのはどこぞの海っぺり。あたりに人がたくさんいて、みんながみんな同じほうを向いてる。しばらくしたら地鳴りみたいな音がして、遠くでもくもくと煙があがり始めた。そっちを見ていると、何か豆粒みたいなのが炎と煙を噴き出しながらまっすぐ上へ飛んでいく。そいつが雲の中に消えるまで、周囲はやんやの大喝采だ。なんの催しだかさっぱり分からなかったが、どういうわけか心が震えたね。
 馬よりでかいトカゲのバケモノがうろつく荒野の真ん中に出たこともあるし、武器を持った人間が猛獣相手に戦うのを大勢で見物する広場みたいな場所に出たこともある。大地が割れちゃうんじゃないかっていう猛烈な噴火も見たし、どこか外国のお偉いさんが鉄砲で頭を吹き飛ばされる瞬間も目撃した。一度などは、でかい氷の塊にぶつかって沈没しかけてる船の上に出て、あのときは肝を冷やしたね。
 時間旅行のやりかただが、〈たいむましん〉に付いた丸いぽっち、これを押し込むと一瞬でどこかへ跳べる。行った先でぽっちを押せばもとの時代に戻って来られる。怖いくらい単純だ。
 ただ、どの時代のどこへ跳ぶかはぽっちを押すまで分からない。自分で選べない。勝手に決められちまう。移動先でかならず物珍しい体験ができたり、印象深い事件に出くわしたりすることを考えると、時間旅行で人気の〈観光名所〉みたいなところがいくつかあって、どういう順番かは分からないが、そこへ跳んでるだけなんだろうね。だけ、なんて言っちゃバチが当たるな。すごいことだよ、これは。未来はこんなことができるようになるんだ。

 あの日はどこへ行ったんだっけ。そう、京都に跳んで、金閣寺がぼうぼう燃えるのを見てきたんだ。あれはこれから起きる出来事だね。付け火だと聞いた。
 もとの世界に戻ってきて、時間旅行の体験をひとり反芻してたら——これは毎度やるんだが——、後ろから肩を小突かれた。振り返ると——。
「大家さん、何してるんすか」
「——く、熊さんじゃないか」
 店子の熊五郎がそこにいた。
「どうしたんです。ぼうっと突っ立って」
「ど、どうしたって、ここは私んちなんだから何をしてようがかまわないじゃないか。おまえさんこそどうした、私になんか用かい」
「そりゃあ用事があるから来たんすが、いやね、玄関の戸が開いてたんで中を覗いたら、土間に大家さんが湧いて出てきたもんだからびっくりしちまって」
 見られてた。
「湧いて出てきた? そんなはずないだろう」
「はっきり見ましたもん。何もない空間に大家さんがぽんって。目には自信があるんすよ俺。正確に言うと、土間に湧き出た大家さんは一寸ばかり宙に浮いてて、全身がくっきり現れたあとすとんと着地しました」
 私の知らない情報まで付け加えられた。見間違いで押し通すのは無理だった。
 さてどうしたものかと思案していると、熊五郎が近付いてきて私の足もとにかがみ、小袖の裾をまくり上げた。
「おい、何をするんだ」
「足がある。幽霊じゃない」
「……親も同然の大家を出し抜けに幽霊扱いするとはとんでもないやつだ。このとおり、ちゃんと生きてますよ」
「人の姿をしたものが目の前にぱっと現れたり地面から浮いてたりって、まるで幽霊じゃないすか。じゃあ大家さん、さっきのはいったいなんだったんです。魔法ですか手妻ですか。俺に分かるように説明してくださいよ」
 熊五郎にこう問い詰められて、いっそ全部正直に打ち明けてしまってはどうか、という考えが頭をよぎった。がさつが服を着て歩いてるような〈脳天熊〉のこと、〈たいむましん〉や時間旅行の話が理解できるとは思えない。たとえ吹聴されても、熊五郎のするそんな話をまともに取り合う者などいるはずもない。
 嘘でごまかすのは難しそうだから、ややこしい話で煙に巻くのが得策だと考えたわけだ。
 だから洗いざらい話した。未来人が枕元に現れたところから、〈たいむましん〉の機能や使いかた、私がした時間旅行の内容まで一切合切、包み隠さず。
「——というわけだ。どうだ、分かったかい」
「へえ、なんとなく」
「おや、こんな突拍子もない話が理解できたか。なかなかどうして、頭が柔らかいね」
「何言ってんすか大家さん。石頭で名を馳せてる俺ですよ。こないだなんか仕事にトンカチ忘れちまって、おでこで釘を打ったくらいでして」
「そういうことじゃない。飲み込みがいいね、とこう褒めたんだ」
「それも俺の取り柄でさ。早飯早糞で俺の右に出るやつぁこのへんにはいませんよ」
「分かった分かった。もういい。おまえとのこの手の掛け合いは疲れていけない。とにかく、いまの説明ですっかり納得してくれたんだね?」
「へえ」
「よかったよかった。一件落着だ」
「ひとつ質問があるんですが」
「なんだい」
「そのミライとかカコってのはどのあたりにあるんです? やっぱり京のほう?」
 ずっこけた。脳天熊相手じゃ、煙に巻くこともままならない。
 頭を抱えて、そこでふと、魔が差したというか、悪戯心が起こったんだ。
「行ってみたいか、熊さん」
「へ?」
「未来や過去に。時間旅行に」
「え、連れてってもらえるんすか? そりゃまあ、興味がないことはないですが、あいにくと、のんびり旅行に出る暇なんぞこのさきもしばらくありそうにないんで」
「仕事のことなら心配いらない。これから行って、今日のうちに帰って来られる」
「なあんだ、そんな近場にあるんすか、ミライやカコ。……ええと、あのですね、言いにくいんすが、もう一点、のっぴきならない重大な問題がありまして」
「からっけつだというんだろ? 大丈夫、そっちも心配しなくていい。時間旅行に銭はかからないんだ」
「なんと。日帰りでロハの旅。気軽でけっこうですね。そういうことなら、ぜひぜひ、お供させていただきます。あ、支度はどうしましょう」
「それも必要ない。そのままでかまわないよ」
 時間旅行のことはくれぐれも他言無用で、と念を押されたような気もするが、知られてしまったものは仕方がない。そして、知られたからには、その相手を時間旅行に連れてったところで罪の軽重にさして変わりはなかろう。そう自分に言い聞かせた。
 時間旅行がふたりでできることも承知していた。私も最初の時間旅行は未来人に連れられて行ったんだ。
 懐から〈たいむましん〉を取り出して言った。
「それじゃ熊さん、私のこっちの腕をしっかり掴んでおくれ」
「は? やですよ、恥ずかしい」
「こっちだってやだよ。けどこうしないとふたりで跳べないんだ。誰が見てるわけでもないんだから、ほれ、早く掴みなさい」
「……何が楽しくてこんなお年寄りと腕組まなきゃならねえんだ……はい、これでいいすか。うわ近えなおい」
「ぜんぶ聞こえてるよ。掴んだね。そしたら目をつぶる」
「つぶりました」
「私がいいと言うまでぜったいに腕を離さず、目も開けないこと。いいね」
「へいへい。分かりました」
 これでいいはずだ。
 深く息を吸って吐き、右手にある〈たいむましん〉のぽっちを押した——。

 ばちん、という音を聞いたと思ったら、地べたに転がってた。何が起こったのか、すぐには分からなかった。
 身体を起こしてあたりを見回した。私がいたのは浅草観音の境内だった。視線をぐるりと巡らせ、少し離れたところでもうひとり地面に伸びているのを見付けた。あれは——熊さんじゃないか!
 熊さん熊さんと呼び掛けながら駆け寄り、うつ伏せになってるのをひっくり返す。
 その瞬間、熊五郎が事切れてるのが分かった。脈を取るまでもない。顔に血の気がなくて、まるで昨晩からそこに倒れてるような有様だった。
 ——えらいことになった。
 頭が真っ白になったが、考えた。どうやらしくじったらしい。何がいけなかったのか。未来人がしたとおりの手順を踏んだつもりだが、見落としがあったのか。あったんだろう。だからこうなった。同行者を連れての時間旅行は、私みたいな素人がやっていいものじゃなかったんだ。私が軽率に誘ってしまったばっかりに、熊さんを死なせちまった。熊さん、すまない。
「行き倒れですか」と声を掛けられて我に返った。横に男が立っていた。
「——ええ、そのようですね」
「いまどきめずらしいことだ」
 なにしろそこは浅草観音、つぎつぎと野次馬が集まってくる。亡骸の周りにできた人の輪が、時間とともに膨らんでいく。そのなかに長屋の人間でもいたらことだと思い、手ぬぐいで口を覆って顔を隠した。
 やがてお役人がやって来て検分を始める。死体の身元が分かる者はおらんかと声を張る。そこへ桁外れの粗忽者が現れてお役人とひと悶着起こしたようだが、また物思いにふけっていた私はろくに見ても聞いてもいなかった。
 その死体は店子の熊五郎でございと申し出たとして、これまでの経緯をどう説明したらいいのか。最前まで長屋で会話していた相手がなぜ浅草で行き倒れておる、そう尋ねられてなんと答えたらいい。私にだって事情はよく分かっていないんだ。下手を打つと、あらぬ疑いを招きかねない。
 野次馬が沸く。誰かが言う。
「さっきのおかしいのが戻って来たよ。まさか本当に当人を連れて来たんじゃないだろうね」
 人垣をかき分けて現れた人物を見て、私は心底たまげたよ。
 ふたりのうちひとりが、熊五郎だったんだ。
 そして、熊五郎の手を引いて「ほら熊公、そいつの顔をとっくり見てみろ。おめえに間違いねえだろ」とけしかけてるのは、熊五郎と同じ長屋に住む八五郎だ。
 生きて動いてるほうはこの時代の熊五郎か。合点がいった。——そうか、時間旅行は実行されたんだ。
「ちょっと、困るよあんたたち。——って、驚いたね。あんた、本当に瓜二つじゃないか。もしかして双子かい?」
 お役人も困惑している。
「熊は親兄弟も親類もねえ天涯孤独の身だってさっき教えてやったじゃねえか!」と八五郎が吠える。
 熊五郎も「ああ、間違いねえ、これは俺だ。かわいそうになあ、俺。こんなところでおっちんじまって」なんて言っている。
「当人が自分だって認めたんだからもう文句はねえな。よし熊公、連れて帰るぞ。おめえは頭を抱け。俺は脚を持ってやるから」
「おいおいおい、ダメだよダメダメ。あんたらずっとおかしなこと言ってるよ。落ち着きなさいってほら」とお役人が制するのを無視して、ぽかんと口を開けた衆人——当然私も含まれる——が見守るなか、熊五郎が熊五郎の死骸を抱え上げる。
 そのあとに飛び出した熊五郎の台詞がふるっていた。
 やつは泣き顔でこう言った。
「どうも分かんなくなってきた。抱かれてるのはたしかに俺だが、抱いてる俺はいってえ誰だろう」


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