酒(義ん母)

トイレより打ち上げ会場の個室に戻ると、泣き上戸は泣いており、笑い上戸は笑っていた。踊り上戸は、歌い上戸と奏で上戸に合わせて踊り狂い、卓上の刺身をひっくり返せば、ぬうと食べ上戸が身を乗り出し、意地汚くもこぼれた刺身を這うように食べ切り、それを見かねた、見かね上戸の女が眉をひそめて窘めれば、食べ上戸は恥ずかしさのあまり、わあわあ、ぎゃらぎゃら、すっかり喚き上戸に変わってしまった。
「今日は俺のおごりだ」と言ったことをいいことに彼らとくればやりたい放題であった。
ところが、個室の隅にいやに静かに縮こまっている男が二人。彼らこそ、我が社を代表する炊き上戸に煎り上戸である。普段、社内には米も豆もないので、膝を突き合わせては「豆さえあらば」「米さえあらば」と愚痴を言い合いながら、舐めあい上戸に成り下がっているとんだ盆暗どもである。さて、この宴の席には米も豆も用意されていたが、生憎どちらも既に炊かれ、そして炒られていた。「豆あるが」「米あるが」などと読経を続ける彼等に頓着しても何ら得は無い。そうこうしている間にも、いよいよ室内の姦しさは尋常の域を越え、泣き上戸と喚き上戸が「酒が足りぬ」と泣き喚く。
これに応えてか店員が恐る恐る襖より顔を出し、この酒宴を見渡していた。どれ、謝り上戸でも来たかと思えばそうではなく、彼は根っからの被り上戸にして、成り行きを見守るほかない悲劇人であった。何をするでもなく、ただただ被っていた。
で、私はどうだ。残念ながら、私は下戸で酒を一滴も呑めない。
従って被り上戸と同じく個室をぼんやり眺め、寄る辺無いままに「そろそろ、お会計を」と被り上戸に耳打ちし、明日も早いため、さっさと引き揚げることにした。
すると、その矢先。ここにきて増え上戸が増え始めたではないか。
こいつとくれば、増えたら増えた分だけどんどん個室を手狭にさせる最も厄介な社員である。酩酊、被り上戸との相性もあいまってか、調子に乗ってどんどん増える。ところが我々のいる個室とくれば、あろうことか運悪くも収め上戸にして、増えたら増えた分だけ、負けじと彼らを収めに収めてくるので切りがない。何故、予約の際に気づかなかったのか。結句、彼らは追加注文を繰り返し、卓上はあっという間に満漢全席の勢い。さすがに懐具合が気になり始めたので、消え上戸の私はその場で消えることにして、事の顛末は書き上戸に擲った。

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