私の答え(紀野珍)

「無人島に何かひとつだけ持っていけるとしたら、何を持っていく?」という設問があります。設問というと大袈裟ですね。ある種の心理テストや思考実験のようなもの、明け透けに言えば雑談のネタです。みなさんもこれまでに一度くらいは、したり、されたりした経験があるのではないでしょうか。漫才やコントでも定番の題材ですし、企業の面接やグループディスカッションに使われることもあるようです。
 さて、こうしていま私が持ち出したことで、「自分なら何を選ぶだろう」と考え始めた人も少なからずいるのではないでしょうか。マッチやライター、ナイフ、飲料水、調理器具、シャベルやスコップ、釣り竿、テント、ラジオ。ネットでざっと調べた範囲では、このあたりがとくに人気の答えのようです。どれも納得ですよね。ほかに頼る者がない、いつ終わるかも分からない、過酷な環境下でのサバイバル生活に役立ちそうなアイテムばかりです。
 ケータイ、スマホ、ノートパソコンなどは、いかにもイマ的な回答ですね。たしかに、これらが使えれば最高でしょう。というより、もはやサバイバルする必要もない。すぐに助けを呼べますから。もちろん、その島に電気が通っていたり電波が届いていれば、の話ですが。
 変わったところでは、愛読書、友だちや恋人、健康、鶏、といった回答も見かけました。一瞬、頭上にクエスチョンマークが浮かびますが、よくよく考えればおかしくない。充分に妥当性がある。本は無聊を慰めるのに最適です。ひとりきりの生活はひどく退屈に違いありませんから。友だちや恋人、本当に欲しいのはこれでしょう。「何か」は人であってもいいはずです。健康、大事です。むしろ、健康が保証されているなら道具は不要とも言える。鶏は、卵を産むし、朝起こしてくれるし、ペットとして癒してくれるし、いざというときは食糧にもなる、という理由でした。
 もちろん、この設問に「正解」はありません。「不正解」もない。「無人島に持っていく何かを選べ」という問いは、「あなたは無人島へ行ってどうするか」という問いを含みます。「なんとしても生き延びろ」とは言っていない。生還の可能性を信じてがんばるのも、諦念を抱きつつ日々を過ごすのも、島に漂着した者の自由。であれば、持っていっていけないものなどない。正解も不正解もないとはそういうことです。死ぬのが早いか遅いかだけの違いで結果は決まっているのだから、何を選んだところで五十歩百歩。そんな現実主義的な意見も、やはりありました。たしかに、多くの票を集めるマッチやライター、ナイフなどの道具も、いくらかは命を永らえさせてくれるでしょうが、ゴールが確定していない無人島生活においては、ほとんど焼け石にかける水のようなものかもしれません。
 閑話休題。
 ——無人島に何かひとつだけ持っていけるとしたら、何を持っていくか。
 私はこう答えます。「思い出」と。先のニヒリスティックな回答を支持するわけではありませんが、モノも人も要りません。目標を同じくする仲間とともに汗を流し、泣き、笑い、励まし合ってきた約二年半。けっして楽しいばかりじゃない、しかし充実した、かけがえのないこの二年半の思い出を心の支えにすれば、どんな困難だって乗り越えられる、そう確信しています。
 私にとって本大会は、その思い出作りの最終工程、総決算です。思い出がよりいっそう輝きを増すよう、これまで積み上げてきたものをすべて出し切るつもりで全力プレイに徹し、悔いなく胸を張って青春の終わりにピリオドを刻むことを、ここに誓います。
 平成30年8月5日、選手代表、角羽高等学校野球部主将、斎藤富士雄。


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