よしみは四文字じゃないし熟語じゃない(井沢)

家庭教師とはいえ人見知りだ。
学生生活課で見つけた拘束時間に対し割りのいいアルバイトだった。数ヶ月前まで受験勉強をしていたから中高生の勉強ならば新たに技能を身に付けることなく手持ちの学力でできる。

生徒は主に14、15歳。学年で言うと中学2、3年生〜高校1年生の女子。カテキョと呼ばれ、センセイと呼ばれ、「名前+ちん」で呼ばれる。

一般的な家庭で、親が家庭教師を導入する理由はだいたい4つぐらいある。1.普段宿題をやらないから見てやってほしい、2.厳しくする必要はないがとにかく机に向かう習慣をつけてほしい、3.シンプルに成績を上げたい、4.日頃あまり喋らない子供とコミュニケーションをとってほしい。

人見知りの彼女はほとんど喋らなかった。こちらも先生というスイッチを入れなければ負けず劣らず人見知りだ。軽めに自己紹介をして、会話は彼女が「はい(うなずく)」「いいえ(首を振る)」で答えればいい程度にして、一緒に問題集をやった。勉強している分には会話はさほど必要ないのは救いでもある。ただ、親御さんが先述のどのつもりで家庭教師を導入したかによるのだった。三日後、二回目の授業に行くと玄関の前で親御さんは「今日は体調が悪くて。すみません」と平謝りし、後日派遣先からもう行かなくていいそうですと連絡がきた。彼女の気持ちは分からないし、なんとなく分かるようにも思う。合う先生が見つかるといい。

隣町の病院の娘は、アニメが大好きだった。家庭教師など付けなくても成績はいい。そういう子は苦手潰しと宿題のサポートをしてあげつつ、趣味の話に付き合う。毎回開始10分くらいは「前回来た日からどうだった?」から始まる雑談をする。学校の話のこともあるが、アニメや漫画の話題が多い。アニソンは曲をかけて教えてくれる。そして帰り際に私に漫画を貸し出し「これ読んどいて下さいね」と言う。同じものを見聞きして共通の話がしたいのだろう。ある日、期末テストも好成績に終わり今日は特別と思ったのであろう、彼女は得意げにお薦めのアニメのOVA(オリジナル・ビデオ・アニメーション。この単語も彼女が教えてくれた)を約50分間丸一話分ひとりで演じ分けて聴かせてくれた。拷問である。何度か白眼になりかけたし、瞬きも増えていただろう。だが彼女は生き生きしているし、なんか面白いし、定時になれば終わりは来るのだからそういう時間として過ごした。
近年、ストリートビューでその病院を見つけた。入り口で折れてバイクを停め母屋の玄関へ入っていく自分を思い浮かべた。テスト前に夜じゃなくて昼間に行ったことが一回あったかなと、ぼんやり頭が夏空になる。あの子も中学生の頃を思い出して悶絶したりしているのだろうか。

農家の娘は冬休みの宿題の書初めに「天童よしみ」と書いて担任に呼び出されていた。よしみは四文字じゃないし熟語じゃない。書き直しを命じられ、翌日彼女が提出したのは「ポークビッツ」だった。確かに、学校は必ず四字熟語でなければいけないとは言っていない。彼女は勝負のしどころをずらすというかなりコミュニケーションとして高等な視点で挑んでいるのだ。

石屋の娘とは一番長い付き合いになった。中2から高1の足掛け三年一緒を一緒に過ごした。学校の話も沢山したし、漫画やアニメや音楽や服飾の話も沢山した。ご両親やお祖母様まで芸術を専攻していた私を面白がって仲良くしてくれた。サンマや大根やうどなど様々なものをバイクの荷台にくくりつけて帰宅した。

彼女達が共通して聞いてくる質問がある。
「ざわちんはモーニング娘。では誰が好き?」
「GLAYでは誰が好き?」
モーニング娘。でとは何だ。GLAYでとは何事だ。何故こちらが全メンバー知ってる前提なんだ。もしあなた達が女子中学生にこの手の質問をされマジで一人も興味ないわーと思っても、ここは一旦「誰がいたっけ?」と聞けばいい。彼女達は喜んでグッズを持ち出し指差しながら全員の特徴を説明してくれる。それを菩薩の顔で聴いていると覚えてしまうものだ。

一度信頼関係を築くと予想を超えて長く見ることになる。自身の卒論・卒制が忙しくなるまで3年以上週2で通い続けた。集団ではなく1対1での適度な距離感はなかなか密な時間で、その後の人生でふと思い出すことがある。それはもうあまりにも不意にエピソードが零れ落ちてくる。
私が触れた彼女たちの人生の一部分が、今では本人の記憶になくても今に繋がっていても構わない。思い出すとやはりこちらの人見知りなどすっ飛ばして話をしている。


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