絡みづらい(ボーフラ)

今回もエッセイを書かせて頂きます。

「絡みづらい」という言葉がある。テレビのバラエティ発祥の言葉なんだと思う。同様に「寒い」という言葉もある。

テレビでの使われ方と同様で、「俺は、お前と絡みづらいよ」「俺は、お前の冗談が寒いと思う」という表明ではなくて、まるで現象があるかのように、主語を省略して「絡みづらい」「寒い」などと言う。

主語や目的語を失った言葉というものは、キャッチフレーズのような強さを、時に持つ事がある。主語-述語-目的語といった形式を逸脱すると、主語や目的語が曖昧になり、「(ここにいるみんな、お前の事)絡みづらい(と思ってるよ)」といった、括弧内の含意を暗黙のうちに共有するような事になる。

これは日本語特有の問題ではなくて、外国語においてもそうだと思う。言語の乱れ…というより、俗語というのがそういうものであろうし、日本の古文なんか読まされた時、何が主語で、何が目的語なのか、それを読解する事が問題になる。

絡みづらい、寒い、と思っているのは、「自分だけ」なのか、「ここにいる皆」なのか。ここまで書いて思う事があるのだが、かつてのダウンタウンの松ちゃんは、「絡みづらい」「寒い」と言う時、あくまで自分だけがそう思う、といった印象を受けたのだが、最近は、「隠された主語」が大きくなっているように思う。これは当人だけの責任だけではなくて、大御所になりつつある…という事もあるだろうとは思う。受け取り方が変わってくるのだ。

だけど、我々も、安易に「絡みづらい」「寒い」などと言った場合、言われた相手は、主語や目的語を、大きく捉えるかも知れない。言葉を省略する怖さはここにある。


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