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汝、星のごとく | 凪良 ゆう


久しぶり男女の恋愛ものを読みました。
最近は自分に置き換えられるものを読むのは少し億劫で、かといって「女一人でも楽しい」みたいなエッセイも億劫で、もっぱらBLばっかり読んでいたのですが
上記作品を読み終わってから一週間くらい経つのですが、今なおじわじわとダメージを負い続けています。

彼らの選択や葛藤を何度も何度も反芻しています。

私がこの本に出会った時目についたキャッチコピーは「ヤングケアラー」
正直「小説として読むには」興味を持てませんでしたが、口コミの強さに背中を押されて購入のクリックを押していました。
(ヤングケアラーについては社会福祉関係などの本の方が造詣が深くなるのでは?と思ったので)

汝、星のごとく | 凪良 ゆう あらすじ
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
その愛は、あまりにも切ない。

正しさに縛られ、愛に呪われ、それでもわたしたちは生きていく。

ーーわたしは愛する男のために人生を誤りたい。

風光明媚な瀬戸内の島に育った高校生の暁海(あきみ)と、自由奔放な母の恋愛に振り回され島に転校してきた櫂(かい)。

ともに心に孤独と欠落を抱えた二人は、惹かれ合い、すれ違い、そして成長していく。

生きることの自由さと不自由さを描き続けてきた著者が紡ぐ、ひとつではない愛の物語。

ーーまともな人間なんてものは幻想だ。俺たちは自らを生きるしかない。

Amazonより



Threadsでも書いたのですがプロローグの帰結がとてつもなく気持ちよかったです。
衝撃の結末も、大どんでん返しもない穏やかな風景。
その全てがプロローグとこんなにも違って見えるのかと感動で思わず胸を手で抑えてしまいました。
私たちその人や出来事を見えているようで、理解っているようで、その実、何も見えていないし理解っていないのだわ。

【親】
私はまだ親になった経験がありませんが、私から見たらこの作品に登場する親たちのように自分の都合・自分の感情のままに生きる方が難しいと思いました。
正しい家庭・いい親・いい子。その全て「誰にとって」なのでしょうか?
旦那は妻を捨てられる。それは他人だからだ。
では子は親を捨てられるのか?
本当の意味で捨てることは不可能なのではないか?
血の繋がりはそんなに大事なことなのかと問う。
環境と一緒で当たり前だが血も選べないのだな。
例え清々しく親を捨てられたとしても、流れる血がある限り捨てることは出来ないと思った。
呪いと祝福は同じ。立場によって変わる万華鏡にようだ。

【暁海】
色んなことを背負い込むね。その全部捨ててもいいのにね。
私も「正しくない」恋愛をたくさんしてきましたし、地元や家族に閉塞感を覚えていましたので共感する箇所はたくさんありました。
(好きと一緒にいられるは別物。家族を愛しているけれど、一緒にいるのは1年に数回/1回3時間で充分)

人生はたとえ1㎜づつだったとしても進み続けていくことが大切なのだと、身をもって教えてくれたようだ。

【櫂】
弱さと優しさは違うと作中でも言われていたけれど、その決断は責任を伴う事だから直視したくない。お金で解決できるなら安いと思うある種の甘さ・だらしなさは自分を見ているようで苦しかったです。

男性とお付き合いする度に(あぁ男性って哀れなくらい優しい生き物だな)と思わず目頭に力が入る瞬間に出くわすのですが
櫂を見ているとずっとその感傷的な部分をつつかれているので、彼に対してずっと愛しさと不快感が目まぐるしかったです。

自分と近い環境で働いているのも逃げ場がなくてイヤでした。

【正しさ】
そもそも情勢が変われば真逆になることに何の価値があるのでしょうか?
私は正しくありたい、優しくありたい、誠実でありたいと願いながら
実際はその反対のことしか選べず毎度自己嫌悪に陥ります。
北原先生と瞳子さんの持論に戸惑う暁海と櫂にビックリしました。笑

僕のいうことはおかしいですか。身勝手ですか。でもそれは誰と比べておかしいんでしょう。
その誰かが正しいという証明は誰がしてくれるんでしょう。

汝、星のごとく | 凪良 ゆうより

もちろんお金で買えないものはある。でもお金があるから自由でいられることもある。たとえば誰かに依存しなくていい。いやいや従わなくていい。それはすごく大事なことだと思う。

汝、星のごとく | 凪良 ゆうより

今までの人生を振り返って、わたし所謂「愛人」になるチャンスはいくらでもありました。
提案としては「生活の保障」と引き換えの「恋愛関係」が多かったように思います。
(もちろん普通に恋愛した結果が愛人の場合もあるかと思います。「せめてもの贖罪」だったり、「共犯の意図」だったり、その人たちの数だけその人たちの事情がありますがここでは割愛。)
(愛人関係についての是非も問いません。)

あの時その手を取っていたら、今より「余裕のある暮らし」だったのは間違いないでしょう。(自分の給料は貯金にまわせますし等)
けれど私はそれを選べなかったのです。
絶対に私の立場が弱くなるもの。
欲しいものを買う時にご機嫌をとりたくない。
何かを選ぶときに毅然としていたい。
自由でいたかったので不自由な暮らしを私は選びました。

なので作中で暁海|母親たちの課題として出てくる【女性の経済的自立】についての問いかけが、まるで自分に問われているようで。

自立したいよぉ。税金くらい易々と支払えるくらいになりたいよぅ。


普段持ち歩くときはカバー外す派。

中盤はずっとずっと苦しくて、全然ページが進まないのですが
ラストにむけてのカタルシスがものすごいです。

渋滞を抜けた感覚。笑

瀬戸内の美しい景色、丁寧な生活の様子は何一つ変わらないのに
まったく違う見え方になるので、このための長いトンネルだったのだなと思いページを閉じました。

でもページの先にも彼女たちの人生は続いていく。
私の明日も勝手にやってくる。

私たちはその波に攫われないように、折り合いをつけながら歩いていくしかないんですね。

続編はいいかな。と読み終わった直後は思っていたのですが(ダメージがあったし、この美しい瞬間のままで終わりが良かった)

やっぱりその先に触れたくなってしまってポチってしまいました。
驚きの意志の弱さ。

読むのが楽しみです☻



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