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渡辺健一郎×小峰ひずみ 往復書簡(第一回)

指導者について、書くことについて 渡辺健一郎

小峰ひずみ様

 往復書簡の提案、快諾していただいて大変うれしく、ありがたく思います。……せっかくこういう形式なのにどうしても堅苦しくなってしまいそうで、適切な第一歩というのが分からなくなり、書き出しに小一時間かかってしまっている自分に苦笑しています。無理やりひねり出した書き出しが、定型的で凡庸なものになってしまうことをお許しください。
 なるほど、とりあえず書き出してしまうためにも、時候の挨拶などの「型」は用いられるのだと、今思いました。返信せねばならないメールには「お世話になっております」と書き出すなど、決まった仕方ででもとりあえずの一文目を書くと、伝えるべき話題にスッと入っていける実感がある。「型」の問題は、演劇論的にも教育学的にも大変重要で……などと書きたくなりましたが、どんどん思考の枝葉が分かれて行ってしまうのは私の悪い癖だという自覚があるので、ひとまず置いておきます。もしかしたらこの話題にはどこかで戻ってくるかもしれませんが。
 私たちは第65回群像新人評論賞でともに賞をもらい、二人ともたまたま関西在住だったということもあり、あなたから声をかけてもらって、1年ほど前から交友関係を持つようになりました。正直に言えば当初、小峰ひずみの戦闘的な文体や、インターネット上で誰とでも闘ってしまう態度に、私は結構怯えていました。遭遇したら私もやられるのではないか! などといった具合に。ただ話してみればすぐに、多くの人に好かれる、人懐っこくチャーミングな人物だということが分かって、私にしては珍しく? すぐ打ち解けることができたように思います。私の見る限り、小峰ひずみの攻撃的なスタイルと爽やかなパーソナリティとは、決して相反することなく依存しあっているようにも感じられます。闘うことと信頼の和を広げることとが一致していくという態度は、生まれ育った場所や思想的な背景が育てたものなのでしょうか。 

 さて、2021年に一旦終了となった群像新人評論賞の受賞作2作について、同時代性を見て取る人は多かったように思います。もちろん私たち自身も互いに何かを感ずるところがあったはずです。ケアの暴力性や、〈声〉への着目、文体についての反省など。しかしとりわけ重要だと感じられるのは、私たちが「指導者」を問題の中心に据えているという点です。
 自分の青春時代の話で恐縮ですが、私は大学入学が2007年で、デリダの死から3年が経っていました。いわゆる「フランス現代思想」の担い手たちがみんな他界しており、まだその熱は残っていたものの、「現代思想」はすでに過去のものとなりつつありました。講談社の「現代思想の冒険者たちシリーズ」をよく読んでいましたが、しばらくはメルロ=ポンティもデリダも、同じ「現代」思想の枠組みで捉えていました。
 私が大学で人文科学を学び始める際、多くの授業で「絶対的な正しさは存在しない」ということが強調されていたように思います。現代における人文学の基本的な前提として、教授たちもこのことは学生に伝えねばと構えていたのかもしれません。正しさの不在が正しいこととされていたわけです。
 当時、社会的正義を遵守すべき(20歳になる前に酒を飲むなんてもってのほか!といったレベルで)としていた私からすると、このテーゼはかなりショックなものでしたが、生真面目に受け取っていたと記憶しています。友人たちが何らかの正義を掲げようものなら、「その正義はあくまで相対的なものでしかありえない」と諫めたり、「いかなるポジティブな言表行為も不可能だ」と言って回っていたのを覚えています。今の言葉で言えば「冷笑主義」というやつでしょうか。
 しかし少なくとも意識の上では、決して冷笑なんてしていませんでした。高校2年くらいの時から、きわめて漠然と(当時は本当に漠然としていて、特定の強い問題意識があったわけでもなかったのですが)「社会を良くしたい」、「そのためには教育を考える必要だ」、「純然たる正義の教育が可能なはずだ」と考えていた私にとって、絶対的正義の不在という学問的正しさはなかなかに堪えるものがありました。まっとうな哲学教育を受けるよりも前に、すなわち脅迫症とでも言うべきほどに正義を探究した哲学史を学ぶ前に、脱正義の思想を習慣的に身につけさせられるという倒錯もあったとは思うのですが。
 いずれにせよ、教育や指導者をめぐる私の問いはきわめて単純です。ただし教育学も現代まで同じ問題を抱え続けているようなので、単純でも重要な問いのはずです。すなわち、「正義のない時代に(いかなる)教育が可能か」。私の好きな表現を用いるなら、正義のない時代に「それでもなお」何ができるのか——。

 あなたの受賞作「平成転向論」、それに加筆した同タイトルの書籍では、指導者や教育者という言葉は登場しません。活動家を自任するあなたは、共同体、運動体における「指導者」のあり方、あるいはその存在それ自体について、歴史的に、思想的に、様々な考察を加えているはずです。そのあなたが、集団とその運動を率いる/促す存在として、指導者よりもエッセイストという語を重用したのは、改めて考えてみるときわめて興味深いことです(菅孝行を除いて、このことをあまり話題にしていないのも興味深く感じられます)。
 語の一般的なイメージでは、エッセイストというのは勝手気ままに四方山話を書き連ねる、飄々とした個人主義者、といった感じでしょうか。「随筆」という日本文学の伝統を眺めてもそうでしょう。しかし『平成転向論』ではエッセイストが、集団を率いて運動を組織するための教育者、指導者、あるいはファシリテーター(これらの語に質的な差異があるのかは今のところ分かっていませんが)の役を担っている。
 小峰ひずみは、一般的な意味でのエッセイストには目もくれず、純粋な「試みる人」を描いているように思います。「何を試みるのか」ということについては、幅が広めにとられており、その限りでは私が「上演する」、「謀る」という言葉で言わんとしていたことと近いのだろうなと思いますが、しかし同時に差異も確認しておかねばなりません。
 私は自身の著作のなかで、教師と俳優とを同じ側に置き、思考可能な倫理の手がかりを探そうと務めました。端的に言えば、そこで教師=俳優の倫理とは、いかなる固定点をも持つことなく、絶えず自らを外に開いていくこと、しかしそれでもなお同時に、どうにか度毎の上演をはかることだという方向で論じました。
 一方、『平成転向論』であなたは自らの態度を、活動家の「狂信者[トゥルー・ビリーバー])としてふるまう」ことと言います(p.126)。狂信者とは、信仰という強烈な固定点を持つ人と言っても良いでしょう。しかし、ここに現れているのはきわめて矛盾した(そうであるが故にもしかしたら俳優的な)態度ではないかと思えるのです。「疑いなく」信仰を貫いている状態にあるならば、ことさらに自らを狂信者と宣言する(そしてそのように「ふるまう」)必要はないのですから。
 小峰ひずみは「狂信者」と書いた時点で自らの非狂信者性をすでに知っている、あるいは少なくとも、書いた瞬間に気づいてしまうのではないかと、私は見ています(大澤真幸が「アイロニカルな没入」などと呼んだものとの違いを考えてみる必要もあるだろう、などとは思いましたが、流石に広がりすぎてしまいそうなので、ひとまずは止めておきます)。あえて狂信者を自称し、演じ、狂信者であることを信じようとするその態度は、意識的であるにせよ無意識的であるにせよ、どこかに分裂をきたしているのではないかと想像します。つまり、狂信者の態度をとるならば、究極的にはエッセイストではありえないのではないかということです。自らの寄って立っているものにすら疑いをかけていくのがエッセイストなのではないかと思うからです。そうではなくエッセイストであっても、必然的に何らかの信仰には基づく、と考えられているのでしょうか。
 やや回りくどくなったので、もう少し端的に言いましょう。私は、小峰ひずみは演技があまり得意ではないこと、そしてそれこそがチャームポイントや強みになっていることをよく知っています。そして本当に活動や活動家たちのことを信じているのだろうとも感じています。しかしそれに耽溺するほど蒙昧でもないとも思っているのです。このことについて、小峰ひずみはどう考えるでしょうか。

 狂信者という一語にややこだわりすぎているように見えるかもしれませんが、こだわるのは「書くこと」についての問いがあるからです。

 われわれは幸か不幸か、書くことを仕事にすることができるようになってしまいました。私は、書くことでしか考えられず、必ずしも「書きたいこと」が最初からあるわけではありません……少なくとも「書きたいことを書く」というイデオロギーには強烈な違和感を覚えています。書くことに喜びを覚えている(少なくともそのように見える)あなたは、何故そうであることができるのでしょう。あなたは肩書きをエッセイストとすることもあるようですが、(脱)信仰のまわりで、書くという「試み」はいかにして可能になっているのでしょうか。自分の目下の課題として、このことは色んな人に聞いてみたいと思っています。
 十分な反省を経ることなしには発言することのできない私からすると、反射的に感じてしまったこと、考えてしまったことを力強く発信し、その瞬間に反省(総括?)するという小峰ひずみのスタイルは……単純に羨ましいとか、ひやひやするとか、世界に必要なのはまさにこういう力だろうとか、それは危うくないかとか、しかし勇気づけられるとか、いろいろな想いを同時に抱いています。一方の私は、「十分な反省」を「達成」することは原理的に不可能なため、いつまでたっても書き始めることができず、ぐずぐずしてしまうわけですが(千葉雅也が「有限化」ということで言わんとしているのが、まさに「反省をどこかで切り上げろ」ということです。そしてそういう切り上げ(切断)の技術が問題にされるのですが、私はこの思考にはだいぶ救われています。技術が追いついておらず、あまり実践はできていないにせよ)。
 何かを知ることと書くことが一致しており、それこそが喜びである、といったタイプの文筆家も多いと思います。しかし小峰ひずみは、書くことそれ自体よりも、「教育のために書く」ことを欲望していることでしょう。アジテーション的な文体がまさにそれを表しています。
 私は、おそらくあなたよりも「教育者」としての立場を積極的にとっておきながら、書くこと=教育の喜びに身を浸すことがあまりできていません。文体について言えば、私はですます調の「教育的な」文体を面白がってもらえたところがあると思いますが、積極的な戦略に基づいた選択だったというよりは、である調という「客観性」を演じるのは耐えられなかった、という理由によります(ちなみにこの文体は、ロームシアター京都の紀要に載せる文章を書いているときに獲得したものです。形式に強い縛りのないところで論文を書かせてもらえたことが大きな追い風となりました)。
 友人に、あなたはどういうモチベーションで執筆しているの? と聞かれたことが二回あります。きわめて広義の教育効果を目指しているのだとは自分でも思うのですが、イマイチ判然としないため、ちゃんと応えられませんでした。今でもよく分かっていません。書くことでお金や名声を得たいという気持ちも0ではないですが、私の場合はきわめて小さい。もちろん、他人を解放してやろう、知を伝達してやろう、と言える豪胆さも持ち合わせてはいません。とはいえしかし、勝手気ままにふらふらと書き進めたのでも決してない。自分にとって重要と思われたいくつかの事柄を通じて、読者の様々な思考を促せたら良いなとは思っている……と思います。
 自らの有している知の伝達を試みるのではなく、自らも把捉しえない「何らかの」知に向かわせようとする限りで、まさにランシエールの「無知な教師」(『自由が上演される』p.42-)たらんとしている、とは言えるかもしれません。ただ実践してみて分かったのは、「無知な教師」であり続けるというのはあまりに大変だ、ということです。
 まず自らの「無知な教師」性を前面に押し出すと、誰もついてきてくれなくなるため、どこかにこの人だったら信用できると思わせる要素が必要であるということ。次に、似たような内容で教育を続けていると、だんだん「分かって」きてしまい、「無知」の維持が難しくなるということ。最後に、分からないことに身をさらし続けていると、心身ともに疲弊するということです。

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