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【特別インタビュー】吉本ばなな「思想だけが人と人を繫ぐ――『小説家としての生き方』を語る」

〈読んだら少しだけ心が静かになった。生きやすくなった〉──そんな数々の小説を送り出してきた吉本ばななさん。

最新作『はーばーらいと』や『吹上奇譚』(全4巻)の着想から『小説家としての生き方 100箇条』で明かす自由への意志、最近気になるワードまで、未来への示唆に満ちた特別インタビュー。

◆プロフィール

吉本ばなな(よしもと・ばなな)●1964年東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、95年『アムリタ』で紫式部文学賞、2000年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞、2022年『ミトンとふびん』で谷崎潤一郎賞を受賞。著作は30か国以上で翻訳出版され海外での受賞も多数。近著に『はーばーらいと』など。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。


 ――近年の吉本さんの著作にはほぼ必ず、あとがきが付いています。どんな状況の時にどんな思いでこの作品を書いたかが記録されていて、同時代人のドキュメントとしても興味深いんです。六月に刊行された最新作『はーばーらいと』のあとがきは、冒頭で次のような記述があります。〈私はあの事件をもちろん全て報道の通りには受け止めていないけれど、そのことは置いておいて、安倍元総理が亡くなった頃、ちょうど様々なカルト集団について調べていた〉。宗教二世の問題を扱った本作の執筆経緯について、詳しくお伺いできますか。

 吉本 小説のテーマは勝手に、自分が今生きている時代のほうからやってくるんです。宗教二世に関してもそうで、いくつかのきっかけが重なって書いてみようということになったんですよね。例えば、漫画家の樹村みのりさんの作品が最近、大量に電子書籍になって、その中に新宗教についてのドキュメンタリーみたいなマンガがあったんです(※二〇一七年五月に電子書籍化された、ヤマギシ会の「特講」と呼ばれる講習会を題材にした短編「夢の入り口」。ヒロインは精神を病んでしまうものの現実社会へ帰還したが、他の参加者はそれまでの生活を捨てて集団生活を始める)。三〇年ほど前、紙の本が出た時にも読んでいたんですが、改めて読み返してみたら、昔の自分は全然わかっていなかったなと感じるポイントがたくさんありました。初めて読んだ時は、そんなに人間って弱いものなのかなというふうに思っていたんですよ。でも大人になったらわかりました。人は、弱いんです。

 ――宗教に、集団の価値観に、あっさりと飲み込まれてしまうわけですね。M・ナイト・シャマラン監督の『サーヴァント ターナー家の子守』(※二〇一九年一一月からApple TV+オリジナル作品として全世界に配信されたドラマシリーズ)を観たことも、きっかけの一つだと記されていました。

 吉本 『サーヴァント』の主人公のリアンという女の子は一八歳で、理想の親を求めてターナー家のベビーシッターになるんですね。ちょっとネタバレになってしまうのですが、彼女は両親が死んでからカルト宗教の集団で育ち、そこである事件が起きて逃げ出してきた。彼女は、幼少期からの極めて特殊な信仰によって根本の部分が歪んでしまっているから、どんなに健康的に愛情を表現しようとしてもヘンなことになってしまう。それに、超能力的なものがあるから、ターナー家の亡くなった赤ちゃんを生き返らせてしまうんです。リアンにとっての信仰と、親への愛、赤ちゃんが亡くなっているんだったら戻してあげようという間違った倫理観。信仰が人を狂わせていく様子が、めちゃくちゃリアルだなと感じたんですよね。

 ――『はーばーらいと』では、「みかん様」を中心に集団生活を営んでいる宗教的コミュニティが登場します。そこで暮らす一九歳の女の子・ひばりからのSOSの手紙を、幼馴染みの男の子・つばさが受け取って、救出に向かう。実は、ひばりは中学卒業後に自らの意思で、両親を救い出すために宗教的コミュニティに入っていったんですよね。ところが、うまくいかなかった。

 吉本 若いと、大人の弱さがわからないんですよね。すごくシンプルに、お父さんとお母さんは自分のことを愛してくれていて、一人っ子だし自分が一番に決まってるから、自分が両親のいるところへ行って説得すれば、必ず言うことを聞いてくれるはずだと思っている。でも、行ってみたら親の信仰に全然太刀打ちできなくて、相手が親だからこそ離れられなくて、きつくて悲しくて。そんな、若さゆえのおごりとつらさを書きたかった。

 ――ひばりとつばさが、一度だけキスをしたのが一五歳の時でした。それからひばりが両親のところへ行って離れ離れになり、次にひばりからつばさに手紙が来た時、二人は一九歳です。一九歳という年齢には、どんな思いが込められているのでしょうか。

『はーばーらいと』(晶文社)

 吉本 年齢には特に意味を込めていませんが、集団生活をしているグループの中で、女として見られてしまう年齢になってしまったのは、ひばりにとってすごく危機的なことだったと思います。宗教的コミュニティでは、ある年齢を迎えると少し年上の男の人とマッチングさせて、結婚して子供を産ませることで、女の子に外の世界のことを考えさせないようにする。よくできたシステムだなと思います。その集団の価値観に染まることができれば、幸せを感じることもできたかもしれない。だけど、ひばりには無理だった。しまった、そろそろまずい、ここを出なきゃいけないと思い始めた。ただ、集団の価値観に染まっているから、ここから出られる気がしなくて、人の力を借りるしかなかった。もしも実際に、故郷の沼津あたりに住む初恋の人に「助けて」とメールを出したとしても、「なに言ってるんだ、俺、今彼女いるから」とか、その人の親からも「面倒くさいことには関わらないほうがいいわよ」と言われてしまってもおかしくないですよね。でも、ひばりの中の何かが、つばさたちを動かしてしまった。

■小説と呼ばれるものからこぼれ落ちるものを書いている

 ――『はーばーらいと』はスリルに満ちた救出劇、脱出劇でもあるんですが、おそらく多くの人が想像するであろう展開とは異なるものが書かれていると思います。例えば、ひばりの脱会手続きを取ろうとするつばさに対して、宗教的コミュニティは妨害工作のようなことはしないんですよね。

 吉本 もっと面白い書き方があることはわかっているんです。初恋の相手がヤンキーになっていて、「俺、今はもう全然興味ねぇや」と思っている。彼のお母さんも「関わるのはやめときなさい」と止める。その状況が覆っていくのが、たとえば韓流ドラマじゃないですか。すっかり忘れていた初恋の気持ちが再燃して、今の彼女と別れてひばりを取る……そんなふうに書けば盛り上がるし一般ウケするんだけれども、それは他の人に任せて、自分は自分の得意なことをやろうと思いました。

 ――ストーリーが大事だ、という考え方を取るならば発想がそちらに進むけれども、と。

 吉本 私は今まで一度も、ストーリーを意識して書いたことはないんです。私の特色だと思うんですけれども、書き始めた時からずっとテーマだけを書いているんですよね。それは考え方、生き方っていうことだと思うんです。今回であれば、「思想だけが人と人を繋ぐ」ということ。結局この作品の中で一番強かったのは、家族の絆とか恋愛感情ではなくて、思想なんですよね。つばさやお母さんの思想と、ひばりさん個人の思想がフィットして、繋がって生きていくことができるようになった。そのことが書きたかっただけなので。これに限らずなんですが、もしかしたら私の作品は小説と呼ばれるものからはこぼれ落ちるものなのかもしれません。「小説家」とは違う、名前がない職業に就いているのかも。

 ――今のお話は、昨年一〇月に全四巻(全四話)で完結した『吹上奇譚』と共鳴する部分があるように思います。「吹上町」という架空の街を舞台とする群像劇であり、ファンタジーです。第一巻のあとがきでは、〈私がファンタジーを書くなんて、世も末だなあと思う〉と記されていました。〈しかしこのような時代になると、もうこういうものでしか人の心に力をあげられないなと思った〉と。

 吉本 いびつな人たちがいっぱい出てくるお話だったので、現実の設定にしちゃうとまずいことが出てくるかなと思ったんです。過剰な差別用語への配慮とか、誰かを傷付けてしまうことへの配慮を世の中から要請されている時代なので、第一巻を書き始めた当時は特に、芸術というものを殺そうとしているんじゃないかぐらいの圧力を感じていました。自分が芸術の側にいるためには、表出の形を変えなきゃダメだろうと思ったんですよね。今はまた別のやり方があるかなと思っているんですが、とりあえずこの作品に関してははっきりファンタジーです、としておいたほうがいいかなと判断しました。

『吹上奇譚』全4巻(幻冬舎)

 ――主人公のミミは東京で暮らしていましたが、双子の妹のこだちが失踪したことをきっかけに、故郷の吹上町に向かいます。「眠り病」にかかった母、異世界人、屍人、夢見の才能……。カラフルな奇想あふれるファンタジーではあるんですが、自由に生きるとはどういうことか、そのうえで、どのようにして他者と気持ちよく一緒にい続けることができるか。読者の現実に染み込むテーマが探求されていますよね。

 吉本 登場人物がみんな、自由ですよね。ミミは妹のこだちが「美女と野獣」の野獣みたいな街いちばんの大地主と結婚したあと、自分もそのお屋敷に住み込んでしまう。「ここに引っ越すんだ!」って、書いている私もびっくりしました。彼らにしたら、助け合える人がいるって思ったから、みんな少しずつ自由になったのかもしれません。孤独だとかなりきつそうな人たちだけれど、一人、また一人と増えていって、塊になったらちょっと生きやすくなる。「近隣に知り合いがいて、何人かで助け合えれば、生きてはいけるんじゃない?」と。あまり肩肘張らずに、リラックスして読めるものをつらつら書いていきたかったんです。幻冬舎なら、時間をかけてつらつら書いても本を出してくれそうだな、と思ったんです(笑)。

 ――自由になった人を見て、隣の人が自由になれる。そんな心地いい連鎖を描いたシリーズだなと思います。

 吉本 人間である限り、社会の中で生きている限りは、常に不自由がつきまとうとは思っています。その中で、自由であるためにはどうしたらいいのかは、よく考えますね。

 ――小説に出てくるさまざまな思想は、ご自分の実感として繋がっているのでしょうか?

 吉本 小説に出てくる人たちは赤の他人で、他人のことを書いてはいるんですけど、友達になれないところまで自分から離れてしまう人のことは書けないなと思うんです。友達になれない人も出てはきますが、その人の一人称で書くのはちょっと難しい。登場人物と私も、どこか「思想で繋がる」部分が必要なんだと思うんです。

構成●吉田大助


(続きは、「文學界」2023年11月号でお楽しみください)

文學界11月号は10月6日(金)発売です。

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