「お金のために働く」の意味
仲良しの女の子とふたりで話していると、「私たちって本当に考え方真逆だよねぇ」なんて話になったりする。
「類友」という言葉があるように、どこかしら自分と共鳴する部分があるからこれだけ一緒にいるのだろうけれど、単なる気持ちいい共感だけでは物足りないのは、異なる価値観をもっと知りたいという好奇心から来てるのかもしれない。どうしたってないものねだりで、自分が持ち得ないものを持っている人に惹かれてしまう。
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「何のために働くのか」という議論がある。仕事終わりに飲んでたりすると、誰が議題設定するわけでもなく「今週はほんとよく頑張ったよ~」だとか「別に会社のために働いてるんじゃないし」なんてぼやきから自然と「何のために働くのか問題」についてのディスカッションが始まったりする。
その答えとして「お金のために働いている」と聞くたび、私はどこか寂しいなぁと感じていた。
お給料をもらえなかったら生活がままならないのは当然だしそれが現実と言ってしまえばそこまでだ。けれど一年前はできなかったことができるようになったり、一人ではできないことも個が集まったらできたり、もっともっと夢のあるものじゃない?!という仕事に対する過剰な期待がどこかにあったのだろう。
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ところが先日大学時代の女友達とふたりで華金を過ごしていた時。
IT企業で営業を勤めて5年目に突入した彼女は、私にとっては目からウロコの台詞を解き放った。
「給料のために働いてるんだし、給料以上のことはしない」と。はっきりと言った。
お給料以上のことはしないけど、お給料をもらっている分は仕事する。
「お給料をもらっている分は仕事する」だなんて当たり前のことすぎて、幾度も頭によぎったであろう、会話にも出たであろう、そんな聞き慣れたフレーズ。それでも「お給料以上のことはしないけど」という前置きをつけてみると、同じことを言っていても理解の深度がまるで違う。
お客さんのため、社会のため、自分のため・・・エモーショナルな部分から一旦離れて、働く対価としてそのまま存在するお金に目を向けてみる。シンプルに、「仕事だからやるんじゃい」というドライな割り切りをする。こんがらがった気持ちだって数字に置き換えて考えてみると意外とすっとほどけたりするように。
右脳人間の私が、数学的発想から学ぶことはあまりにも多い。
似ているようで全く似ていない女友達と、これからも一緒に生きていきたいと思う。
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