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“欠点”なのか、“人間味”なのか。


強めの彼女が、サディスティックに彼をからかう。その光景がすきだ。

わたしはなぜか、「女友達+その彼氏+わたし」という座組で遊ぶことがとても多く、岡山に越してきてからも、一番にできた女友達が速攻彼氏を紹介してくれて、とてもうれしい気分になった。
(「なぜか」ととぼけてみたけれど、「いつかぶんに彼氏ができたら、ダブルデートしようね…!」と言われることもしばしばなので、シンプルにわたしのシングル期間が長く、かつずけずけとデートという聖域におじゃまするメンタルを保持してしまっている、だけなのかもしれない。。)

最近出会ったそのカップルは、中森明菜似のサバサバ系しっかり者の彼女と、人当たりが良くやわらかい雰囲気を纏った彼のバランスがうま~くマッチしていて、とてもいい感じ。

彼がマイクを持とうとすれば彼女は「音痴だからやめとき~!」と言い、彼がちょっとボケれば「全然おもろくないわ~!」とズバッと一刀両断。それは向かい側から眺めているわたしから見ても、大変いとをかしな瞬間なのである。
(テキストで読むと「ひどい彼女じゃないか…!」と誤解を抱かれてしまいそうな台詞だけど、ツッコむときの彼女は、とてもかわいく、幸せそうな顔をしている。)

だって、彼女が彼氏に”欠点”らしきものを口にするとき、その背後には「音痴(なのにすき!)」「おもしろくない(なのにすき!)」という圧倒的すき!!がひそんでる。それくらい言っても大丈夫、という信頼関係が二人の夫婦漫才を支えてる。

結局、「なのにすき」って、最強なのでは…?

「『~だからすき』より『~なのにすき』の方が本物の恋らしいよ🥺ぴえん」みたいなことは高校生の頃から恋バナで語られていたし(本物の恋ってなんやねん。教えてくれ。)、今更なにを、なのだがこの歳になっても尚、やはり逆説は強いと改めて思う。かくいうわたしも「”欠点”を旨みにすきと伝えること」は最大の愛情表現として捉えている。

だって、かっこいいからすきなわけじゃないんだもん。そこだけじゃないんだもん。あんなとこ、こんなとこ、どうしようもないところいっぱい知ってる。でも、そんなところもまるっと含めてすきだと思ったんだもん…!!!!!と、声にならない叫びとなって込み上げるこの気持ちはなんだろう状態である🌌(featuring.合唱の定番曲『COSMOS』)

愛の伝道師、角田光代先生も名著『愛がなんだ』で、「いい部分だけを好きになったのであればきらいになることなんて簡単だけれど、かっこわるいな、どうしようもないな、というところまで愛してしまったら嫌いになるのなんてもうむりぽよだよね🤷🏻‍♀️」的な名言を残している。

これはなにも恋愛に限ったことではない。

友達だって、その人だけの”持ち味”といえるものを、「どうしようもないな~~(ムフフすきっ!)」と思ってしまうから心の友になりえるのであり、物理的な距離が離れても心のディスタンスは至近距離であり、どうかこれからもそばにいさせてくれよと思うものだ。

一方で、わたしは自分自身に対しては、“欠点”はできることであれば「埋めたい」、「直したい」と思うことが多かったし、時には心の友に対しても、愛を鞭に、「それは直したほうがいいんじゃない」と言うこともあった。

「埋めなくていい」「直さなくていい」と思える“欠点”の正体とは…?

そうぼやぼや考えていたら、ゆうすけ先生がTwitterでこんなことをつぶやいていた。

※ゆうすけ先生には、今年の夏、銀座線だろうが馬道通りだろうがマイホームだろうが、常時涙だらだら女と化していた時にお世話になりまくった…。(27才のだいすきな季節に、わたしは何をやっているんや。)先生は本当に素晴らしいお仕事をされているなって、会うたび感動していた。

なるほど…!である。

”欠点”と言われる部分こそ「がわいい…!!」と愛し狂おしくなるものじゃない?という思いはあったけれど、それをパラメータでいえば「凹みこそが人としての面白さ、ということもある」と説明してくれるとは、さすが真のブレイブヒーローゆうすけ先生である。

彼が”不得意だ”と感じることも、彼女にとっては”かわいい部分””愛すべき部分”になりえる。だったら、埋めることなんてないじゃないか。大事にしていこうじゃないか

そんな風に凹みの部分をも愛し合える、互いの凸凹で埋めあえる、そんな人に出会えたら最高ですね、というお話でした。

以上、交友の輪を広げようと必死な、マッチングアプリ2連敗中のわたしからでした。根気強く、たくさんのUniqueを見つけられればと思っています。


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週1note部員のnoteはここから読めます!わたしは毎週土曜日に書きます。

みなさんよい週末を~~~!


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