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好きな人たちと生きていきたい(2月14日〜2月20日)

2月14日(月)晴れ

昨晩どうにかこうにか完成したあんこマフィンとコーヒーが朝食。味は、やっぱりまあまあだった。まずいというわけでもなく、すごくおいしいというわけでもない。私が作りたかったのは、こんな風にふわっとやわらかいものではなく、ずっしりしっとりした重厚系マフィン。手作りのお菓子を渡したとて、私のバレンタインは終われなかった。

マフィン製作に取り憑かれた私は、仕事が終わるやいなや、おいしそうなマフィンのレシピを探し、再び材料を揃えた。今夜も夜な夜なマフィンづくり。

粉の種類を変えて、理想のマフィンのレシピを忠実に守ったら、生地の段階から成功を確信。焼き上がったマフィンは溶岩流のように溢れておらず、まんまるとかわいらしい。かじると求めていたマフィンの味と食感がした。今朝の蒸しパンみたいなマフィンとはちがう食べ物のようだった。明日の彼の反応がたのしみ。

2月15日(火)濃霧のち曇り

今朝は大成功チョコマフィンとコーヒーではじまる。彼もやっぱり昨日よりもおいしそうに食べている。もう一度作って、本当によかった。

夜は、彼のおすすめ映画『あん』を観た。写真で瞬間瞬間を切り取ったように美しい画が続いて、でも確実に時は流れていて、刹那を描いた映画だなぁと思った。人間が作る「世間」の眼差しによって、人生の選択肢を奪われることの切実なつらさ。自分の意思で選べる自由を手にしているときとそうでないときで、人間は本当に目の色が変わる。

私だっていつ自由を奪われるかわからないし、もしそうなったとき、どう立ち振る舞い対処できるのか、正直想像ができない。反対に、無意識の偏見や弱さから、目に見えない人を苦しめてしまう可能性はいくらだってある。

自分の想像力なんてたかがしれている。それでも、いつだって被害者にも加害者にもなりうる可能性があることを自覚していたい。

2月16日(水)晴れ

今日はタスクがパツンパツンだったけれど、月に一度のNO残業デーだったため、早く帰る。彼が用意してくれていた夜ご飯を食べ、映画『ゴースト/ニューヨークの幻』を観る。この作品は幼い時、主題歌の『Unchained Melody』が車の中でいつも流れていて、無性に懐かしい心地がする。

二人でろくろを回すシーンは、映画史に残る官能的シーンであることに間違いない。でも私は「エロい」よりも、どちらかというと「ヘルシー」だと感じる。愛する人を求め、触れ合い、光る生命力があるのだ。伝説のろくろシーンがあるからこそ、サムの死後、モリーの「もう一度触れたい」という切なる願いに、こちらまで痛いほど共感してしまうのだと思う。

それにしても、いやはや、久々に映画で大号泣してしまった。観たことのある映画だったのに、昔はこんな気持ちにはならなかった。当時は、まだ愛を知らなかったのだ。愛する人に愛されることの喜びを、まだ。今の私は、この手の映画にめっぽう弱いらしい。「前に観たときはこんな気持ちにならなかったのに」と同じく隣でしとしと泣く、彼のせいにした。

2月17日(木)晴れ時々雪

昨日泣きすぎたせいで、重たいまぶたで目覚める。今日は一日撮影。現場の進行係はどう考えても向いていない仕事だとずっと思っているけれど、なんやかんやで現場は楽しい。美しいものが生み出される場所の「中側」にいられることは幸せで、私がその場にいる限り、なるべくいい環境を準備したい。

夜は疲れ果て、韓国ドラマを観ながらビールを開けた。油揚げに納豆チーズを乗せて、オーブントースターで焼いたピザ風のものをおつまみに。「夜とか何食べてんの?」と聞かれたとき、答えられないのはこういうことをしているからだ。だからといって、納豆チーズ油揚げピザがごはんとして認められないのであれば、もう自炊なんてお手上げ、という気持ちだ。

この頃、料理が上手になりたいという気持ちが未だかつてないほどに募っている。きっとうん百年前から言われていることだろうけど、料理は一番身近な愛情表現だと思うようになったからだ。今まで、愛や感謝を伝えたい人に贈り物や手紙は渡してきたけれど、それじゃあ足りない。料理はコツコツ、毎日こまめにできる愛情表現。

今まで“ちゃんとした料理”をサボってきた私でも、できるだろうか。食べたいものから、作りたいものから。納豆チーズ油揚げピザを否定しないまま、レパートリーを増やしていきたい。

2月18日(金)晴れ

今週は少しバタバタしていて嵐のように過ぎ去った。気づけば金曜日の夜に着地していた。

夜は韓国ドラマの最終回を楽しみにしていたけれど、ちょっと期待外れでショック。散りばめた伏線はきちんと回収してほしい。明日は朝が早いので大人しく眠る。

2月19日(土)雨

移住してから三度目の東京。彼が仕事前に、高松空港まで車で送ってくれた。別れる時、子供みたいに寂しくて泣きたい気持ちになった。

今夜は、急遽会えることになった元同期(「元同期」は今となっては心の友なのに「友達」と言い切れないもどかしさがある)と後輩と上野で韓国料理、ベトナム料理を食べた。ザ・多国籍!

移住してから今まで、東京に対して“未練”のようなものは感じなくて安心していた。でも考えてみれば、私はホームだった“東京の右側”には帰っていなかった。2020年ぶりの台東区は、理屈を抜きに、とてつもなく魅惑的だった。

たくさんの国籍を持った人間が入り混じるカオスな街は、不思議な匂いがして、どうしようもなく私をゾクゾクさせる。さらに、かつては働いた後この街に帰ってきていたな、という安心感さえもある。

本場っぽい人たちが作る外国の料理を食べながら、「人は声だけで人を好きになれるのか」、「腹を割って話すためにはまず何から」などをだらだらと話した。帰りの電車で、あぁ、この人たちと笑い飛ばして過ごす毎日がたまらなく楽しかったから、この居場所を失いたくなかったから、ここで生きていたんだ、ということを思い出した。

2月20日(日)曇り時々雨

昨日から、感情がグラグラしている。まだ言葉にできない気持ちが渦巻いている。こういうとき、「毎日」日記を書くと決めた自分を呪う。まだ、言葉にできていないけど、無理やり文字にする。

昨日から感じていることだけれど、私が東京を好きだったのは、心底好きな人たちが東京にいたからだ。知りたがりで、欲深くて、そのためストイック。理想と現実の狭間で揺れながら、自立している大人と過ごす毎日は刺激的で飽きたらなかった。けれど、私にとってその混沌シティーで走り続けるのはいささか息苦しく、「よりしっくり来る方」として選んだのが岡山だった。

その決断には、微塵の後悔もない。大成功、あっぱれ!と思っている。けれど、私はこの先の人生で、やっぱりこの人たちとも色濃く関わり続けたい。「誰と過ごすかが大事」なんていうけれど、「一緒に生きていきたい人」が多くはなくとも西にも東にも散らばっている。

大切なものを失わないままに、自分の人生を歩めるだろうか。今日、結婚式を挙げた大好きな先輩がくれた「この先どの道を進んでも私たちは交差するだろうから」という嬉しすぎる言葉の通り、好きな人たちと交わり続けられるだろうか。二者択一でなく、私にとっての最適解を見つけられるだろうか。私は今、とっても揺れている。



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