【往復書簡】やさしさって何だと思う?
アヤノさん、新月の夜に素敵すぎるラブレターをありがとう・・・!
LINEで往復書簡のお誘いをいただいたとき、「ぶんちゃんと、新しい試みをしたらどうなるのかなぁと降りてきたのです」という言葉にすごくワクワクした。きっとこの往復書簡の中でいつか触れるに違いないのだけれど、アヤノさんの”新しい試み”を絶やさない姿勢がわたしはだいすきなのです。きっとアヤノさんに憧れてしまう理由も、一番はそこにあるんだろうと思ってます。
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さてさて、友達(わたしは敬意を込めてアヤノさんを「友達」と呼んでいる!)と“交換日記”をするのなんて何年ぶりだろう・・・。
昔の、いわゆる紙の交換日記には、おもちゃの(それはそれはちゃっちい)”鍵付き”のものなんかもあったりしたけれど、公の場で交換日記をする日が来るなんて思ってもいなかった。すきな人の名前は「Kくん」とかイニシャルで書けばいい?笑
正解はわからないけれど、それが”新しい試み”の醍醐味なので!ラフにたのしんでみま~す。
誰かとnoteを書いてみたい。そう思ったときに一番最初に顔が浮かんだのがぶんちゃんでした。まだ出会って1年も経ってないわたしたちではあるけれど、近しい感性を持っている気がしてる。
ぶんちゃんの書くnoteはとてもみずみずしくて繊細。その表現どこから浮かんだのってよく嫉妬してるくらい。その感情のひだをよくぞ拾ってくれたなって、よく思ってる。(めっちゃ褒めてる)
「誰かとnoteを書いてみたい。そう思ったときに一番最初に顔が浮かんだのがぶんちゃんでした」そんな特上の殺し文句、わたしが受け取っちゃっていいんですか・・・?!これもあざとい技の一種?汗 いやいや、ここは本気モードのアヤノさんと信じてる!笑
(ひとりボケツッコミかましてしまうほど喜び狂った)
アヤノさんが書く文章は、なんかもう、「いい女感」が言葉の端々からフェロモンのごとく香ってるんだよね。。お子様思考のわたしからは決して生まれない言葉たち。読むたびにアヤノさんの文章というよりも、アヤノさんという女性を「スキ!」になってる気がする。
だから、そんなアヤノさんに「近しい感性」と言ってもらえるのはものすごくうれしい。片思いより両思いがいいに決まってるもんねぇ。
HSS型HSPとか、感受性の強さとかそういう部分もそうだけど、それだけではなく、美しいと思う対象がきっと同じなのではないでしょうか?
実はアヤノさんと知り合ってすぐ、プロフィール欄に書いてある「美しい面と豊かな面をみていたい」という言葉を目にしたときに、「同じこと考えている人がいるもんだなぁ、アヤノさんが万物の何に『美しい』『豊か』だと感じるのか気になる・・・!」とソワソワしたのを覚えてる。
その対象が似ていて、一人分の感情を分かちあえるのだとしたら、知り合えてより親しい友達になれたのは、めちゃくちゃラッキー&ハッピーなこと。
「美しい面と豊かな面をみていたい」のは、共感性強めのHSPならではなのかもしれないね。
HSPで生きづらいという前提が暗黙の了解としてあって、それがちょっとわたしには合わなかったみたい。
(中略)
なんでも良いんだけれど、「●●だから生きづらい」はちょっとずるいと思う。●●という性質もあって、その上でどう生きたいかってことだけが大事なんじゃないかと。理想論かな?
すごく、すごくわかる・・・。理想論じゃないってわたしも思いたい。
HSPとやらの気質を知ったとき、「どうしてわたしはこんなにめんどうくさい人間なのだろう」とこれまで自分を責めていたことに対して、「悪いことばっかじゃないんやでぇ、その分いいこともいっぱいあるんやでぇ」と肯定してもらえた気がして、たしかに気が楽になった。けれど一方で、絶対にこれを”言い訳”には使ってやらねぇぞ、と心に誓ったんだよね。
というか、わたしは「その分いいこともいっぱいあるんやでぇ」の方ばかりに目を向けてしまった、のかもしれない。笑
「繊細であるがゆえの生きにくさ」なんて、人生をより深く味わうためのスパイスが増し増しになってるってことでしょ?と捉えている(ごめん根っからの桜井教ではある)。
むしろ、ぼーっとしていたら日々見逃してしまいがちなあらゆる些事に、もっと敏感に、気づきたいと願いながら生きている。疲れたら、休めばいいんだ。
最近考えるわたしの理想の世界をちょっと最後に語ろうと思います。それは、みんなが自分のタイミングで自分のやりたいことをやっている世界。食べたいものを食べたいときには食べるし、会いたい人に会いたいときに会う。そして、約束をしていても気持ちが乗らなかったら断ってもいいし、それを誰も咎めないそんな世界です。●●警察みたいなのもそうだと思うけど、自分が我慢してることを誰かにされるとイライラする。だから、みんなが我慢することなく自分のやりたいことをやれたらいいなぁと思ってる。
アヤノさんの”理想の世界”を聞いて、「なんとなく」感じていたシンパシーが確かなものに変わった。
ちょっと話は逸れるのだけど、普段仕事をするうえで、「日々、目の前の人の役に立つ」の先に、自分は何を目指してるんだろう?を考えたときに、「世界が、今よりほんの少しでもやさしい世界になればいいなぁ・・・」、そんなことをぼんやりと思って、それ以来心の半地下に「よりやさしい世界にする」という祈りにも似た掛け軸をかけるようになった。
実際のところは、日々起こる小さなことにギャースカピー言ってしまって、世の中の風向きをガラリと変えるような仕事なんてまだできていないし、会社の人からしたら「世界平和の前にメールのミスなくせ」となるかもしれないけれど(笑)そう、こんなたいそうなことを言うのはおこがましいのだけれど、それでも「このコミュニケーションは、人を傷つけることなく、世界をやさしい方向に向かわせているか?」ということは考えているつもり。
前置きが長くなってしまったけれど、ここからが本題。この間友達とオンライン飲みをしているときに「やさしさって何だろう」という話になった。
(それだけ話すとどんな集団やねんと思うかもしれないけど、「リ・ジョンヒョクがやさしい男すぎる」という話から派生したの。笑)
何がやさしさかなんて未だにわからないし、無意識に人を傷つけて自分を恨むこともある。「もっとやさしくなりたい」という願望からは一生逃れられないのかもしれないとさえ思うのだけど、そのときわたしから出てきたのは「その人の意思を尊重して応援すること」とやらだった。
友達の一人は「間違ってることはちゃんと正直に言ってあげること」と言っていて、それも間違いなく、ひとつの「やさしさ」だと思った。それでも、わたしが2020年時点で考えている「やさしさ」は、「意思を尊重して応援すること」だった。
もちろん、本人が自分自身の発言に納得していなさそうなとき、わたしの倫理観・道徳観とそぐわないことをしようとしているとき、それは自分が感じたこととして伝えたい。
それでも大切な人には、極力、その人らしくのびのびと生きてほしい。周囲のノイズに惑わされることなく。それが一番の願いなのかもしれない、と思うこの頃なのです。
他の多くの人とはちがう道に進もうとしていたり、”常識”からしたら「え?大丈夫?」と思われてしまうような選択をしようとしているときこそ、彼、彼女を信じて、背中を押せる自分でありたいなぁと思う。
そういうおおらかで優しい世界になれば、誰かを傷つけたい気持ちになる人もいなくなるんじゃないかな。誰かに執着したくなる人も減るんじゃないかな。
そんな優しい世界をわたしは夢見ています。
昨日はエンタメ、SNSの怖さを目の当たりにする、とても悲しいニュースがあって、気を紛らわせるために散歩したり料理したり踊ったりしてみたけれど、実はずっと分厚いどんより雲をぬぐえない午後だった。
みんなが発信の術を手にした21世紀に、アヤノさんが夢見るようなやさしい世界を作るのは、どこぞの魔法使いでもなく、総理大臣でもなく、わたしたち全員だって改めて突きつけられたなぁ。
ちょっと最後鼻息荒くなっちゃったけど、アヤノさんが考えるやさしさって何だと思う?
気が向いたときにアネゴのお考えを教えてつかぁさい。晴れやかな日曜日を!
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