見出し画像

わかるまでは、揺らいでいよう(2月21日〜27日)

2月21日(月)曇り時々雨

朝一番の便で岡山に帰る。高松空港に着陸する直前、もうタイヤも出ているだろうタイミングで機体が急上昇した。あと数分で彼に会える!と秒刻みで着陸を待っていた矢先の出来事で、それまで存在していなかった死への恐怖に突然襲われる。飛行機に乗ってふわりと体が浮くたびに、「今死んでも悔いはないだろうか?」と滅多に考えないビッグクエスチョンが頭に浮かぶ。何も成し遂げていなくってもいいから、愛し愛される人生がいい、と29歳の私は思っている。

飛行機は空を迂回し、40分ほど遅れて空港に着陸した(体感としてはもっともっと長かった)。到着ロビーで待っていてくれた彼の顔を見て、これ以上ないほどの安心感に包まれる。毎晩顔を合わせているせいか、2日間会わないだけで、一週間くらいは会っていなかったような心地がする。車内では、咳を切ったように東京での出来事を話し続けた。彼といると、私は元来おしゃべりなんだなということを思い出す。

せっかく高松空港まで来たし、ということで、辺鄙な土地にあるうどん屋さんを梯子して、大好きな喫茶店『半空』へ。東京と高松で流れる時間は、同じ日本とは思えないほどにまるで違う。まだ心はふわふわと浮ついているけど、どうしたってこの時間が尊い。

2月22日(火)晴れ

今夜も彼がご飯を作っていてくれた(仕事で急に呼び出されたというのに!)。アンチョビパスタとかぼちゃポタージュが絶品だった。

夜、彼がなんとなく付けたYouTubeのジョン・バティステの映像が素晴らしすぎて見入る。かっこいいとはこういうこと。予期せずこんな出会いをもたらしてくれる彼だから、代わりなんて効かないなぁと思う。

ジャズは即興の芸術。バンドメンバーとその場で音を創り上げるアーティスト達は、まさに「音を楽しんでいる」。人種も性別も関係ない。
彼らを見ていると、音楽は自己表現を飛び越えて、他人と繋がるために存在しているのだという気がしてくる。

私たちは現世でプレイヤー側にはなれなさそうだけれど、こんな空間を作れたら最高だよね、という会話をして眠った。

2月23日(水)極寒

つい先日岡山に移住してきた前職の後輩と過ごした。好きな人と好きな人が繋がっていくのって、この上なく嬉しい。彼女のこれからが楽しみ。

2月24日(木)晴れ

今日は朝から、突然脳裏に「ウクライナ」の五文字が貼り付いていた。真下の国であるはずの日本でも、すっかり時事に疎くなってしまった私にとっては、一層「突然」だった。世界はいつも、にゅるりとしれっと突然変わる。

世界がショッキングな“非常事態”に陥った時、どう動くのが正しいのだろうと「正しさ」を探してしまう。だって、まさに今、私が暮らしている地球で起きていることだから。一人ひとりの行動が、ある結果を招くはずだから。

まずは、知識を得て、自分で考えて、できることをしたい。小倉紀蔵さんの『歴史認識を乗り越える―日中韓の対話を阻むものは何か』で唱えられていた、「右派でも左派でもなく、真上にジャンプするという選択肢もあるのだ」という考えに、今は救われている。わかるまでは、どちらにもつかず存分に揺られて、ひたすら真上にジャンプしながら、考える。

秋田のおばとは久しぶりに電話で話して、毎度のように気づいたら2時間近く経っていた。この頃、「豊かな暮らしってなんだろう」ということをよく考える。今暮らしている家は、築年数も古く(この辺りのアパート一体で一番古い建物らしい)、広いキッチンもない。それでもひとつひとつ二人で悩みながら購入を決めた家具も、コロコロ変えている一輪の花も愛おしく、この家にいるときの私は幸せだ。

お金は大事だけど、お金に囚われたくはない。私の両親は、私と兄のためにきっとずいぶんと無理をしていた。「それが親の愛ってもんでしょ」とは片付けられない。私は母にも父にも、もっといい思いをしてほしかった。一度くらい二人で海外旅行に出かけて、たまには高級な外食もしてほしかった。

愛ゆえに、できることは全部したいと無理してしまう。家族のような身近な存在にこそ、本音も弱音も吐き出しづらかったりする。だけどみんな機嫌いいのが一番だから、誰かひとりがこっそりと我慢するのではなく、うれしいことも苦しいことも分け合いたい。なるべく素直なままで、本当に苦しい時は苦しいと言い合えるような関係がいい。

こんな綺麗事は、数年後の私が見たらぶっ飛ばしたくなるんだろうか。でも現実を見るのは現実がやってきたときでいい、とも思う。

2月25日(金)晴れ

同世代で話題のAbema TVドラマ「30までにとうるさくて」にハマる。渋谷で生きる同い年の女の子たちの物語は、少しだけ別世界のように思える。もしあのまま東京に居続けていたら、首がもげるほどに共感しているんだろうけれど。今は、「大変そうだけど、なんだか楽しそうねぇ」というテンションでみている。

東京しかりニューヨークしかり、都会で仕事に恋に全力投球!☆な物語は、どうしてこうもおもしろいのだろうか(東京女子図鑑も東京独身男子も、ちゃんとハマった。デビルウェアーズプラダもSATCも…)。

このドラマでは「焦る」という言葉が頻出する。大学生くらいから、焦っていなかったときなんてあっただろうか?と思い返す。でも29歳の焦りはどうやらそれとは比べ物にならないっぽいぞ?という実感も得始めている昨今なので、岡山で暮らす私もなんやかんや自分の物語としてみているのかもしれない。

画像1

2月26日(土)晴れ

今日は女友達とランチ。彼女とはいつも決まって会った途端にマシンガントークが始まる。彼女とは岡山に移住してきて1ヶ月ほどで出会い、急速に仲良くなった(出会ってすぐの人に「ゆっくりおしゃべりしたいから今度ご飯行きませんか!」と言えるのが彼女の素敵なところで、グン!と距離が縮まったのはそのアクションのおかげだ)。もし岡山に彼女が居なかったら(今は福岡と2拠点生活をしているけれど)、「新しい土地で価値観の合う女友達作るのむずいっっ」と嘆いている自分が容易に想像できる。

彼女とは、仕事に関する話をすることが多い。今日は「欲望はそれを叶えられる可能性のある者にしか訪れないのでは?」という話をした。「試練は乗り越えられる者にしか訪れない」というように。自分にもできそうなのにできていないから悔しいし嫉妬する。自分の欲望が何なのかすら見えないときもあるから、欲望の正体を把握できているときは健康的だと思う。

2月27日(日)晴れ

ウクライナ侵攻の件、問題の根本はわからないけれど、おうちに帰れない状況はつらいに間違いないはずだと思い、微力ながらUNHCRに寄付をした(この雫ほどの日本円が、何に変わるのだろう)。

昼間からは、女友達とジンだのハイボールだのを片手にしゃべり倒し、夜は温泉とサウナでシメた。ユーモアの塊みたいな女の子なのに、驚くほど真面目で他人のために尽くしまくっていて、まぶしい(料理がとびっきり上手だという点だけで尊敬してしまうのに、それは彼女の魅力のほんの一部)。大人になってから、チャーミングな女友達がこんなにできるだなんて、うれしい。

今週末は、女友達とひたすらしゃべりまくった2日間だった。友達と話すと、今の自分がわかる。自分が揺らいでいることが、わかる。答えが出るまでは、存分に揺られていよう。びょんびょーん!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?