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喪失と再生の1週間 ~M-1よ、ありがとう~



社会人になってからできた親友が、転職のために遠く離れたアメリカという国に行った。今のところ1年半は向こうで過ごすという。

彼女の名前を、ちえという。


ちえは会社の同期であり、いつの間にかかけがえのない友達になっていた。常にLINEでやり取りしあう、みたいなべったりとした関係ではなかったし、これといった遠出も出会って半年ほど経った時に行ったインド旅行くらいだった。


けれどたまーに、それは中学時代のように、会社からの帰り道お互いの家への分かれ道で寒空の下互いの相談を聞いたり、休日はジムで一緒に走ったり、平日休日問わずゆるゆる繋がりながら、空気のように彼女は傍にいた。


「ちえちゃんいなくなって、ぶんちゃん大丈夫?」と沢山の人に言われた。「大丈夫じゃないです~」とその時はなんの実感なしにでもおそらく大丈夫ではないだろうという予想をもとに返していたが、案の定、まったく大丈夫じゃなかった。


ちえがいなくなって、大げさに聞こえるかもしれないが、3日間くらい上手に笑うことができなかった。笑顔ってどうやって作るんだっけ?こんな必死に作らなきゃいけないんだっけ?と真剣に考えた。

何か手を動かしていないと喪失感の沼に飲み込まれそうで、でも結局ぼーっとすることしかできないから飲み込まれかかって、めちゃくちゃ失礼だけど人と話している時も心ここにあらずだった。

やべー私このまま病気になるのかも、と心配になり始めた矢先、手帳に「18:30~M-1」と書き込んでたイベントに救われることになる。

自宅でビールと漬物を食べながら、テレビにしがみついてみたM-1グランプリ。

これはもう、お腹を抱えて笑えたのだ。

笑えない人を笑わせるってプロやん、笑わせてくれて本当にありがとうーーーって思った。


もともとお笑いにはほぼほぼ興味がなかった(生粋のミーハーなので小学校の時はエンタとはねトビにはちゃんとハマっていた)。


けれどこれまた会社の同期に、お笑い芸人を目指していた男の子がたまたまいて、応援に行って漫才というものを間近で観たりして、M-1くらいは楽しみにするようになった。

人の出会いによって自分の世界は良くも悪くもどんどん広がっていくんだから、いい人にはたくさん会った方がいい、ね。


決勝の最後まで進んだ3組はどのコンビも本当に面白かった。これこそみんな違ってみんないい、甲乙つけがたいってやつじゃないかと思った。


自分と同い年にしてトップの座を手にしてしまった霜降り明星の苦労を私は知らない。
和牛の、ジャルジャルの、決勝まで行けなかった4631組の、出場すらしなかった芸人の悔しさを私は知らない。


けれど、誰かが自分のやりたいことをやってやりたいように生きて目標に向かって泥臭く生きてるおかげで、私は私の一日を頑張ろうと思える。

寂しくて寂しくて自分がちっぽけな人間に思える時も、他人を応援することで生きる力をもらう。不思議なほどに。


それでええじゃないかと思った。超ハッピー&ピースなエコシステム。

人との出会い、文化との出会い、言葉との出会い・・・ご縁はそこら中にあって、生かすも殺すも自分の考え方ひとつだよなと感じる師走であります。


寂しいも苦しいも無視したらもっと辛いから吐き出せる人の前だけで吐き出させてもらう。

けれどここぞというときは無理やりにでも笑っていたいし、楽しめないなら楽しむための工夫を試し続けたい。


そんなことをしているうちに、たぶん気付いたら心から笑ってるんだろうなって思う。



もう夜も深いので宇多田ヒカルのgood nightを聴いて寝ます。いい夢を見れる保証付きです。



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