六月に読んだ本

自分でいることに、ちょっと限界を感じてきて(いつもの自分のやり方で感じ、考えることにって意味ですよ!)。なので、新たな視点を獲得するために高校生ぶりにコンスタントに読書をすることにしました。

六月は八冊読みました。じっくり、学びながら読む本が多かったかも......?

・『AM/PM』アメリア・グレイ


買ってから二年積んでた本(なぜか)。

色んな登場人物にじつは繋がりがある...!という感じに見せておいて、それが肝では全くないという思わせぶりな小説です。
掴みどころがないんですよね。散文的?とでも言うのかしら。人が日常を過ごす上で、大小さまざまある耐えられなさみたいなものが産む、奇妙な精神状態がリアルにも空想的にも描かれてます。
わたしはあんまピンと来なかったけど、ひとつすごく心に響く文章もあったし、装丁が個人的にかなりイケてるので家に置いておくと思います笑


・『悲しくてかっこいい人』イ・ラン


韓国のシンガーソングライター... だったり、映画や執筆方面などでも活躍するイ・ランさんのエッセイ。
人と関わりたい!と強く思っていることについての話が繰り返し出てきたかな。面白かった。ドライそうに見えて、意外とウエットな人なんだな(というか、自分の生い立ちとか考えを開放的に話す時、だいたいの人がウエットな傾向になるような気もするけど)と思った。
共感しすぎて痛々しい気持ちになる話もあれば、それはちょっとどうかと思うよ、なんて引いたりもしたり笑、エッセイってそういう等身大の読み方ができるので、楽しいですね。


・『かわいいの世界 ザ・パワー・オブ・キュート』サイモン・メイ

この題名...! この題名のせいで読んでて混乱してくるんだ...! と思った一冊。(ふつうにキュートの世界、で通じるじゃないか!)
どういうことかと言うと、この本は英語の「キュート」について終始書かれておりまして、「キュート」って日本語に対訳すると「かわいい」になるわけですが、日本語の文脈で使われる「かわいい」って必ずしも英語の文脈で使われる「キュート」ではないんですよ!


噛み砕きますとね。英語で言う「キュート」なものは、日本の「かわいい」に当てはまらんものもあるってことなんです。
グロいというか、ヘンというか、奇妙というか、そういう側面もあるものも「キュート」に入るらしいんですよね(なにせ、金正日が入るらしい。ドナルド・トランプも。そうなのか?と思いましたよ)。
そこらへんの感覚を読んでるうちに叩きこまないと、現実味のない感じになっちゃう。

しかしラッキーなことに、本書には「日本のかわいい」についてフィーチャーされた章があるので、なんとかなります!
なぜ、日本で「かわいい」がこんなにブームになったのか... っていうか、どこもかしこも「かわいい」もの(官公庁にすらイメージキャラクターがいるなど)に溢れているのか?という問いに、一つの推論が立てられています。合っていそうな気もするし、批判に値する部分もある気がする... ってなるけれど、興味深いですよ。
「キュート」にはパワーがあるという主張には大いに賛成する次第ですので(そのパワーの使い所についても考えねばなるまいと一歩進んだことを思いますが!)、すてきな本でした。


・『暇と退屈の倫理学』國分功一郎


我々、上半期には暇というか「退屈」を感じる機会が売るほどありましたよね。ゆえに、本屋でこの本を見たときに、知りたい!と思いました。


「暇や退屈に倫理があるのか(つまり、道徳的に良いとか悪いとか、善とか悪とか)?」ってことです。知りたくないですか?


筆者は、元からこのイシュー「退屈」についてつねづね考えてきたそうな。だからでしょうか、軽快な筆致ながら内容はメチャ濃密... 哲学者たちの考えを身もふたもないツッコミでばっさり斬って行くんですよね(たまにちょっとキレてる)。おもしれー。
そもそも人類はなんで退屈をおぼえるのか?という仮説が、かるく衝撃をうけるほど面白かったです。そうなのかもしれん。
あと、ハイデガーの退屈論を一生掘ってはツッコむ章も見ものです(言い方よ)。倫理、という面ではこの章に答えがありました。


しかし、この本を読むこと自体に答えというか、ヒントがあると筆者も言っているし、まちがいなく面白かったので、かなりおすすめできる本です。みなさん、暇というか、退屈してるときに読んでみてください。


・『男らしさの終焉』グレイソン・ペリー

この本ね、誤植が多い。わたしが見つけただけで三つもあって不安になったよ。
というのは置いておいて(?)ざっくりと言うと、おおむね面白かったかな。ちょっとウーンってなるところも結構あるけどね... もちろん「男性性」って男性にほとんどまつわるものではあるんだけど、時折「男性」という生得的性別に対しての批判にすり替わっているような気がして(つまり、男に生まれたら必ずしもこう悪くなる、とでも言いたい?それはちょっと雑じゃない?と思わされる箇所があった)。


わたしはいわゆる、筆者が言及したいのであろう、古臭い「男性性」に内在されたエッセンスは大嫌いだし、生きてる間に家父長制をぶっ潰すぞという信念の持ち主で、タイトルにもなっている『男らしさの終焉』で言及される「男らしさ」を因数分解したもの... についてはマジで滅びちゃえば?と思うところもある。
しかしまず、そのひとつひとつの「男らしさ」の要素を「男らしい」と言わなくすることが大事なんじゃないかと思ったの。あくまで”その人”の特性とすることが大事だと。
何かの要素を、あるカテゴリーにとって本来的であると美化するのは(優生思想に流れてしまいがちで)危ないし... だからまるでそれを目指すべきかのような「男らしいね!」「女らしいね!」とかの褒め言葉みたいなのもやめていこう?その「らしさ」って何よ?そんなもの社会が勝手に決めたコンテクストにすぎず、時代によって変わるし、つーか、ジェンダーアイデンティティは男と女の二元論にまとめられないほど多様であると今みんな知っているだろう?!

...熱くなってしまいました。
あともう一つ、これはそうするべきと思うのは、闇雲にコンペティティブな政治や経済活動を行うのはやめようということ(こういった場での決定権のほとんどを男性が占めているのは自明ですよね)。
帝国主義(植民地主義)に始まり新自由主義とか、自分を律して戦い続けることがプライド!折れた者は敗者、野垂れ死にも仕方なし、勝者の我々が最も素晴らしいのだ、他の人間は元から劣っているか、怠け者なのだ!ウハハ!みたいなマインドは、もうやめませんか?マジで有史以来何回もやって後悔してきたやん。病める時も健やかなる時も親切にしあおうよ、世界... グループハグ......


とまあ、この本自体に「そうか?」「うーん」「あーね」「そらそう」ってなるけれども、そこからもう一歩、興味関心や使命感が生まれたのでいい読書だったと思います。
ファンキーな異性装のイギリス美大校長が書いているので、美大卒諸君もぜひどうぞ。(P.S 男性が書いているからこそ、やたらと辛辣というのもあるかもしれなかったな... と思います)


・『哲学の基礎』ナイジェル・ウォーバートン


「神の実在」「正しいことと正しくないこととは」「政治とは」「他者が自分と同じように、思考ができる人間だとなぜわかるのか」みたいに、主たる哲学思想をイシュー別にまとめた一冊!
思想→批判、また次の思想→批判って感じのつくりなので、「なるほどね」ってなってすぐに「あ〜〜〜」ってなります。ときに「いやおかしいだろ」からの「やっぱそうだよな」にもなります。面白いです。


同じ筆者の哲学史の本を読んだことがあるのですが、それを一読していたおかげで復習みたいになったのが良かった。
ミル(功利主義、結果がもたらす人の幸せの絶対量を基準とし善悪を判断することを唱えた人)とか、結構どうなの?(人が得られる快楽には質に差があって、文化的なものから得られるものが徳が高いから上っスね的な)ってこと言うけど、男女同権主義で、壮年期にロマンティックな結婚してるんですよね。コレ、いらん知識です。


なにかと日常的に「哲学」「哲学的」とか言うけど、その実、哲学的なことってどういうことなのか、最近よく考えます... そして、ちょっとわかってきました。
わたしは「正しさ」についてとか、あとは政治哲学が結構気になりますので、そう言った本を今後読んでいくつもりです。


・『ハンナ・アーレント』矢野久美子


みんな、感じてる?! この世間に漂う「ファシズム」のバイブスを。年々悪くなっているという実感があって... わたしは末恐ろしいのですが。


以前、映画『否定と肯定』(ホロコーストをなかったものとする歴史修正主義者と、学者との法廷での争いを描いたもの)を観ていたこともあり、昔誕生日に『アンネの日記』をもらって悲しみながら歳を重ねたりしたことがあることからも「ファシズム」ってかなり気になるテーマで(ファシズムとホロコーストなどで言う差別主義は、分けるならば別ですが、どちらが先でも通じる同一線上にあり、因果関係があると言えるでしょう)。


知らなければならないと思うんですね。とにかく。なぜ起こる(起きた)のか、それはどう広まり、人々を支配していくのか?
それは、思ったよりも空虚です。熱狂はあるにはありますけど、それは一部。問題は... 人が絶対に陥ってはいけなかった事態に発展した元には、徹底的なシステム化があるんですよね。
アーレントの著書にはそう言ったことが、書かれています(『エルサレムのアイヒマン』は今後読みたい一冊です)。


この本自体は、アーレントの生い立ちから死までを体系的に、著書の思想などもかいつまんで書かれており、かなり整頓された作り。
正直、涙なしには読めません。あまりに辛い。アーレント自身、ドイツに住むユダヤ人でした。彼女は「最終的解決」の前にドイツを抜け出して、亡命生活を送りますが、その生活は尽く凄惨なもの(ヨーロッパ内で、難民として国籍を与えてくれる国は存在しなかったのです)でした。


そもそも、大戦が起こる前から、ヨーロッパではユダヤ人差別が根強くあり... 第二次大戦下では言うまでもないですが、自分個人の人格よりも先に「ユダヤ人」という人種のレッテルが来て、それから逃れられなくなってしまう。自らのアイデンティティも、知らぬ間に「人種」に囚われてしまう。なお悪いことに、ユダヤ人を助けようとする人たちは、ユダヤ人以外にいなかった(『シンドラーのリスト』のシンドラーなどの個人、あるいは人権団体などはいましたが)。ゆえにアーレントはそのおよそ10年ほどはシオニズムとつるんでいたりする...
しかし大戦後は、戦時に起きたことを記すという信念こそありますが、ユダヤ主義とは決別(結果的に、そうなってしまったとも言えるけれど)していましたね...


いや、何の話?になってきたな。とにかく、これを読むと、なぜアーレントを読むべきなのか?が痛いほどわかるということです。
アンティファをうんたらとか、トランプが言ってましたけど、アンチファシズムじゃなかったら、ファシストってことですよ?って話じゃないですか。ふつうファシストなんて言われたら、こんな侮辱的なことないし、ファシズムほど、倫理に反することないですから...
「団結」とか「絆」とか「共闘」とか、煙たい反応した方がいいワードですよ。本当、今は特にね(なんてね)。


・『ユリイカ 七月号 クイズの世界』


今いちばん気になる人こと、田村正資氏が対談の司会&論考に登場していたので買いました。


対談については、体系的に競技クイズとクイズ番組の歴史について語り、今後どうあるのだろうか?という投げかけが行われていたのですが。
わたしが見ていたクイズ番組って「IQサプリ」とか「平成教育委員会」とか「クイズ!ヘキサゴン」とか「Qさま!」とかで、彼らが決めたくくりだといわゆる”常識の時代”とでも言えるようなものらしい。意識してクイズ番組を見ていたことがないので、彼らの考察を読んでいると、そうなんだ!という発見があります。


クイズ番組って、やっぱり番組だから「テレビ」が求める方向性で進むんですよ。だから、もっと趣味的にクイズを愛する人たちとは趣が異なる。テレビは、社会の時流に乗ってニーズを捉え番組の作り方を変えるし、テレビがまだ影響力のありあまっていた頃はそれがリアルなクイズ愛好家たちにも変化があったところもあったりして。みたいな話に「自分の知らない(体験していない)あるある」を聞いてるかのような面白さがあった。


現在、間違いなくクイズ界の変化の中心にいる男・伊沢拓司が「俺のせいですね」と言い切る潔さ。なぜ彼がその中心にいるのか?というのが、今までのテレビでのクイズ番組(または、競技クイズそのもの)への、ネタバラシをしているから、というのがまた。
人気出すぎると、自分の存在がハンドリングできなくなって苦しいこともあるのでつい心配してしまいますが、なんというか、伊沢さんは大丈夫そうだな...... と、続いて彼の論考を読むと思いました(「クイズの暴力性について」まだクイズというものが一種の娯楽として、人々の営みの文脈に根付いていないせいで、反感を買いがちだよね。という内容)。


そして肝心の田村さんの論考、「予感を飼い慣らす」。タイトルがかっこよすぎるやろ。くすぐられる... ロマンが......
田村さんは哲学の研究者をされていますが、現象学(意味をわたしはまだきちんとわかっていない)を専門にしていらっしゃるので、競技クイズの「早押し」にまつわる一連を、現象学から紐解いて立論されています。


これがとにかく読みやすい。
まず、競技クイズの早押しっていうのは、どれだけ人より早く押せるかっていうのが勝つために必要。問題を最後まで聞いて答えられるかどうかっていうのは割と論外で、問題のはじめの方にあるキーワードで、どれだけ早く答えを導き出せるかという勝負。それに勝つには、クイズ問題集やら各大会やらで傾向と対策を身につけていったりするわけなんですけど、そうやって数を重ねていけば、特定の問題だとわかる”確定ワード”さえ出れば、反射的に答えが出るようになるんですよ。
でも、みんなその域に達する可能性があるわけです。そうなると、さらに早く押すことが求められる。そして必然的にどうなるかって言えば「わかった!」ってなる前に、ボタンを押してしまう事態が起きるんです。


言い換えれば「わかりそう」の段階で押すということ。
え、どういうこと?と冷静に思うわけですが、ふだんQuizKnockのチャンネルを見てるとクイズプレーヤーのみんなは自然とやっている。

“ここまで聞けば考えればわかるかもしれない”という予感を、まさに「飼い慣ら」しているんです、彼らは。予感なんてふつう舞い降りてくるものだと思っていたけど。研ぎ澄ませることでいち早く掴み取るとでもいうか、いや、やっぱり首輪をつけてニオイを嗅がせてるんかしら、予感に。
田村さんのずるいところは、そうだと僕は思うので、これを発端にみなさん論じてもらえれば、とシメているところ。いや、もっと読みたいです... 元プレーヤーなのだからきっと書けるだろうに(!)あえてネタバラシはしませんよ、とあしらわれてしまったような気持ちになります笑


とはいえ、自分が今からクイズプレーヤーになって解き明かすぞ!というのはなかなか難しいので、自分の生活にこういったことはないかしら?と探してみています。物の見方がひとつ増えて、ステキな論考でした。
そのほかの寄稿も読んで思うところあるけど、これ以上だらだら書くのはしまりが悪いのでやめておきます。笑


以上八冊でした、久々に読書の習慣を復活させるぞ!と思い立ったので、七月も頑張れたらよいのですが。本を読むのって楽しいですね。


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