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ピンクドレスおじさん

僕はよく公園へ散歩をしに行く。というのも、コロナや就活、将来の不安によるストレス、また、大学の授業がほぼ0なので家から一歩も出なくて済んでしまう大学生ニート状態による運動不足が重なったせいか、去年からアトピーがひどくて、首や胸にいぼができてしまった。怠惰の結晶である。
さすがに治したいとジョギングを開始。週三日、一日三十分きっかり。家から走り始め、公園の中をめぐり、また家へと戻るのだが、これがなかなか心地いい。縦に長い公園を埋め尽くす緑と、その中心を穏やかに流れる川、そこで優雅に泳ぐカモ。ゆったりと時間が流れる中を、醜いいぼを治そうと必死に走るニートがもがく。すまぬ、公園。

とまあそんなこんなで春から続いているジョギングなのだが、公園にいるのは、もちろんカモだけでも、ニートだけでもない。嬉々として走るラブラドールレトリバーや、リハビリなのだろうか、足を引きずりながらも懸命に歩くおじいさん、顔を真っ赤にしながら、すごいスピードでランニングする白人男性や、楽しそうに自転車を漕ぎまくる小学生軍団。平日の昼間とは言え、多種多様な人間が公園には集まってくる。そんな彼らに混じってニートも懸命に汗を流していたある日、いつものように川沿いを走っていると、草むらに誰かいるのが分かった。さしあたり飲酒老人か釣り人だろうと思い、そのまま直進した私の目に入ってきた光景は、僕の軽快な足運びを急激に鈍らせるものだった。

曇天の川辺、丁寧に茣蓙を敷き、上品に座りながら緑茶ハイ片手にピンクのドレスを着て黄昏るおじさんは、その圧倒的な存在感をもって、僕の心をがっちりと掴んで離さなかった。

多様性の時代、女装したおじさんくらいでは驚かないし、人の趣味を馬鹿にするほど落ちぶれちゃいない。大学生ニートだけど。
だが、とても好きな服を着ている人とは思えない、この世ではないどこかを眺めているかのような表情、背中から漂う、異常なまでの憂い、色気、哀愁と、それらを余計に引き立たせる緑茶ハイを見て、興味を引かれない人間がいるだろうか。こんなに熟成された人間を、これまで見たことがあっただろうか。
僕は今すぐにでも話しかけたかった。その人が送ってきた人生について、持っている価値観について、事細かに聞いてみたかった。
しかし、そんな勇気はないし、せっかくのひと時をニートに邪魔されては、あっちもたまらないだろう。

泣く泣くその場を去った僕だったが、当然頭の中はおじさんでいっぱいだった。何がおじさんをピンクのドレスへと導いたのか、何を一体考えているのか、おじさんには何が見えているのか、ひたすら想像したけれど、結局僕には何もわからず、ただ荒い息と共に足を運ぶことしかできなかった。

憂いを帯びた人は、魅力的に映る(ニート的価値観)。どこか人間的な魅力を感じる。ただ、誰もが纏うものではないし、なきゃないで別にどうってことはない。人間的な魅力を感じさせるものは、他にもいろいろある。ただ、おじさんのような魅力(魔力と言ってもいいかもしれない)を持つ人間は、そうはいないだろう。その後、僕は一度たりともそのおじさんを見かけていない。



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