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(再掲②)2023年のモネ展をもっと楽しみたいならコレ読んで!!!

こんばんは。
豆乳鍋を作ろうとして、肝心の豆乳が半腐りしてました
ぶんぶんです。
先ほどコンビニに豆乳買いに走りました…ハァハァ(息切れ)

本日はモネさんと、ルノワールさんとバジールさん、シスレーさんの幼少期について独り言つ!!!

※参考文献は日本にある印象派の文献はほとんど読みましたが、結局、基本的には『印象派の歴史』ジョン・リウォルド著からの情報です。
タイトルにある通り、今回の展覧会をもっと楽しみたいなら、ジョン・リウォルドの『印象派の歴史』読んでからもう一回、展覧会に行くのもオススメです。文庫本出たんで、ぜひ気になった方はぜひ。特に若い頃の印象派のエピソードめっちゃ面白いので!

モネさん

モネさんは、パリから離れた田舎の港町で食料品屋の次男坊として育ちました。よく学校を抜け出しては海をながめていたやんちゃボーイだったようです。モネさんにはレオンというお兄ちゃんがいる!!!!

ちなみにモネさんがはじめて「絵画」に触れたのは、お父さんの妹(モネさんからみたら叔母)のルカドール夫人のおかげだったのでは?と個人的に思ってます。この叔母さんが、けっこう美術好きで絵画のコレクションとかもあって、モネはその作品を小さい頃に見て、絵に興味を持ち始めたようです。

あとモネさんの学校生活ですが、よく学校を抜け出しては海をながめていたらしい。モネさんが「あれ?今日はめずらしく、席について授業受けてるな??(先生)」というときは、だいたい有名人の似顔絵を皮肉って描いてました。


クロード・モネ「Jules Didier」1860年頃
https://commons.wikimedia.org/wiki/Claude_Monet?uselang=ja#/media/File:Claude_Monet_-_Caricature_of_Jules_Didier.jpg



私が先生でしたら、まずは両親呼び出しますよね。
当時の先生も、もちろんそうしました。注意&お叱りを受けたモネさん。

しかし、反省する気ゼロ!!!

さすがですわ!そういうところにシビれる、憧れるゥ!!←

あと勉強の成績はサボってる割には悪くなかったそうです。先生はさぞかし、叱りずれぇ…となったことでしょう。


あと授業中に描いてた先生の似顔絵とか、当時の政治家とか画家とか有名人を皮肉って描いた絵とかが町で評判になり、町の文房具屋のショーウィンドーに展示されて、ちょこちょこ売れたりします。モネさんのドヤ顔が目に浮かびます。

そのショーウインドーをみて、モネに声をかけたのがブータン先生でした。

でもこのときのモネさんは、結構荒れてた時期でもあって。
お母さんがこの頃、亡くなってたんですね。
それがきっかけで大学入学資格を取得する前に退校したりしています。

そんなときにブータン先生が外に連れ出してくれて、モネさんが好きだった海の美しさ、空の広大さ、それらを自分の手で絵にしていく楽しさを先生は教えてくれました。

見ること、絵の具で描くこと、
風景画を作ることを学ぶんだ。
空や海、動物、人々、樹木はこんなにも美しい。
自然が作ったままの姿で、それぞれの性格や純粋さをもっている。

ブータン先生からの有り難いお言葉

あと個人的に勝手に妄想しているのは。
モネさんはチューブ絵の具に惹かれて、戸外制作はじめた気がしています。モネさんは新しいもの好きだから!!晩年だって、車が発売されたら、すーーーぐ買って、街中乗り回してたらしいですからね!!

このとき「チューブ絵の具」は、まだめずらしくて、昔は動物のとある部位の皮(お下品な部位なので書きませんが。)を使って絵の具を持ち歩くのが普通だったので、ブータン先生に最先端のチューブ絵の具をみせてもらったモネさんは絶対大興奮だったはず。

で、このあとに色々あったけど若いモネさん「俺、パリに行って絵を学ぶ!!」って言い出した。さぁ、モネのパパが大変ですわ。
とりあえず奨学金を申請するも、その返答を待たずにパリへ行くモネさん、まじ短気。
そして美術学校の入試試験を受けるも…

まさかの不合格。


そう…未来の巨匠、当時の美術学校の入試、落ちています。
ルノさんもいい成績じゃなかったし、モネさんは落ちてるし、このときのパリの試験がいかに、モネさんたち印象派の人達と気が合わなかったか伺えますね。当時の試験官の気持ちを今風でいえば、美大向けの立体的な鉛筆デッサンしろっていう入試で、モネさんはマンガ風の激ウマ デッサン提出したみたいな感じかもしれません。

「いや美大に入りたかったら、美大向けのデッサン出してぇ~~~~(´;ω;`)」by美大試験官の叫び


そんな試験官泣かせのモネさんはシャルル・グレールという画塾(今でいう予備校的な)で、ルノワールさんやバジールさん、シスレーさんと出会うんですね。


ルノワールさん


ルノワールさんは印象派の中でも特にお金がなかった組で、両親は仕立屋でした。9歳のときに聖歌隊に入って「天才か!?」と言われましたが、スケッチでも目を見張るものがあったので、父親が「これは早いうちから手に職をつければ食いっぱぐれない!!」という精神のもと、13歳で磁器の絵付け職人へ奉公に出されるルノワールさん。
そのあと装飾家として扇子や器や壁に絵を描いて飯代を稼いでいたらしいんですが、それも束の間。産業革命の影響で絵付けという仕事が機械化され、機械に職を奪われたルノワールさん、はやくも10代で失業することに(´;ω;`)

それで、どうすんべ~って思ってたときに、パリの街中にあった女性の美しい銅像とか、ルーブル美術館にあるワトー、ランクレ、ブーシェといった先人の画家たちの作品をみて、女性の美しさに目覚め、画家になるんだーーーー!!ってなったそうです。国立美術学校の学費は自分で稼いで、出しました。えらいよ、ルノさん…。
そしてあまりに有名すぎる、ルノさんの名言をどうぞ。

「もし女に乳房と尻がなかったら、私は絵描きにならなかっただろう」

ほんとにおっぱい好きだったんだねっ…。あと東京富士美術館にあるブーシェさんの「田園の奏楽」っていう作品を見たときに、これがルノワールさんが魅了されたおっぱいか…ってけっこう見入ってしまって、作品鑑賞どころじゃなかったよ…(知らねえよ)

そんなこんなでルノさん。苦労して入った美術学校の入学時の成績は

80名中68番目の成績。まじかよ。

そしてシャルル・グレールという画塾にも通うんですが、そこでも一時は12人中 9位の成績でした。けっこう成績低い!?

未来の愛され巨匠やぞ!?!?


当時はそんな低評価だった人が未来の巨匠って、なんだか励まされるエピソードで、ほっこりします。いまが上手くいかなくっても、それはそれ。人生、人の評価ばかり気にしてもアカンってやつですね。あと画塾に入って、お金がないから、画塾で捨てられていた、まだまだ使える絵の具を拾って再利用していたルノワールさんのエピソードは泣く。

バジールさん

バジールさんは、もともとパリには医学の勉強をするために来ていました。はじめは医者になるのが目標だったので、絵は趣味の範囲で頑張る的なノリだったんだと思います。しかしモネさんたちと同じ画塾に入ったのが運のツキ。
モネさんがバジールさんと出会って「こいつ!!金持ちや!!絶対離さねぇぞ!!」って思ったのかどうかは知りませんが、モネさんに目をつけられまして(言い方)。
一緒にシャイイに絵を描きに行こうぜ~とモネさんに写生旅行とかに誘われたバジールさんは、だんだん美術の世界の面白さに引き込まれ、画家を本格的に目指すようになっていきます。
1864年~65年頃には(モネさん達に会って1、2年経ったぐらいのとき)画家になりたいから、医者になれないという話をバジールさんは親にしたそうです。

バジールさんは、モンペリエというフランスの南の方の出身で、お父さんが上流階級出身の由緒ある家柄でした。で、伯父のルイ・バジールが町でも有名な芸術愛好家だったので、小さい頃からバジールは一級品の芸術作品に触れて育ちました。なんで、もともと美術系の素質があったっちゃ、あった。
でもお父様的には、金にならん絵描きより、医者になって堅実な生活をしてもらいたい…長男だし…。という思いがあったことでしょう。

ドンマイ、お父様。

モネさんやルノワールさん、シスレーさんの才能に触れて、絵の面白さを知っちゃったら、そりゃ画家目指しちゃうって…。


ほんとこれが未来の巨匠達じゃなかったら、バジールさんは普通に医者になっていたかもしれませんが…。

あとバジールさんがいると上流階級の人と繋がりができるから、金銭的にも、コネ的にも、モネさん達にとってバジールさんは大変有り難い存在だった。

あとバジールさんは

モネさん達よりも1歳年下。

なのに、このメンツの中では誰よりもしっかりしていた説。キャラ立ちすぎでは???

シスレーさん

シスレーさんの参考文献だけは
2015年に練馬区立美術館で開催されたシスレー展のカタログを参考に書いています。

再掲したので、シスレーさんの幼少期も書いちゃお~

シスレーさんは、お父さんとお母さんが英国籍の夫婦で4人兄弟の末っ子でした。お父さんが高級品を取り扱う輸入会社の経営者だったので、けっこう裕福な暮らしで青年期を過ごします。
18歳のときにお父さんが「商業を学びなさい!!」と言うので、ロンドンへ4年間滞在するんですが、ここでまさかの「学業よりもシェイクスピアや美術に情熱を傾けた」シスレーさん(笑)
パパの「うそやん…」という表情が思い浮かびますね…( ˘ω˘)

いや、真面目な話。シスレーさん、ほんとそういうところある。
この仲良し4人組の中でシスレーさんは一番の年上さんなのに、この中で一番ぼんやりしていると私は思う…。怒ったところあんま見たことないというか…。感情を剝き出しにした!みたいなエピソードや手紙とかを、あんまり目にしたことないですね。(晩年は貧乏だったので、ちょっと穏やかでないときもありましたが。)
例えば、モネさんとかモネさんとかモネさんとかは、若い時から自殺をほのめかしたり、画塾のシャルル・グレール先生にブチ切れたりするんですけどね。シスレーさんは、「なのだぁ~~~」ってかんじでけっこう穏やかな性格だったようで、友人としてけっこう付き合いやすかったんじゃないかなと思っています。

女の子好きでしたけど。

たぶんルノワールさんより好きだったのでは??杉全美帆子様が執筆された「イラストで読む 印象派の画家たち」という名著の中に、シスレーさんのエピソードとしてこんなのがありましたんで紹介しときます。↓

ルノワール談「ペティコートの誘惑」
①シスレーは、友人たちが天気の話など些細な話をしていると、
②すぐにいなくなり、
③女の子といちゃついているのでした。

杉全美帆子「イラストで読む 印象派の画家たち」河出書房新社 2013年
この本も素晴らしい本なので、ぜひ読んでみてください。

ちなみにいなくなった理由が下記です。

「だって、天気の話よりこっち(女性)の方が楽しいから…」

by シスレー

うん…シスレーさん、あのさ…。
もしかしてルノワールさんより女の子好きだったりする??(笑)

あと。面白いといえば。
モネさんとシスレーさんって若い頃の絵のモチーフが「空」や「海」とか、けっこう似てて、パッと見、二人の絵を見比べると似てるかも??と一瞬錯覚するのに、描いている人の性格が全然違うってのがおもろい。

おっと話がずれた。

その後ですね。
そんな ぼんやりシスレーさんはイギリス滞在が終わり、フランスへ戻ると「ベートーヴェンが好きなのだぁ~~~」と今度はコンサートとかに足を運ぶようになりました。

パパ…(´;ω;`)

お父さんの複雑そうな表情が目に浮かび…ry

それでシスレーさんは、このあとモネさん達に出会うんですが。
どうやって出会ったかといえば…

バジールさんが紹介したシャルル・グレールのアトリエで、出会ったようです。

はい、これで様々な出自だった仲良し4人組メンバーは、パリに大集合をし、めでたく出会いましたと。よかった、よかった。

いやしかし。バジールさん、印象派メンバーを繋げるという面ではいい仕事してますよね~
バジールさんがいなかったら、シスレーさんはモネさん達に会ってないわけですから、違う人生を歩んでたかもしれませんね。執筆活動とかしてそう。

そしてついでに言えば、バジールさんの人脈はこれだけではない。
バジールさんは、ピサロ父さんやセザンヌとも仲良くなって、仲良し4人組メンバーに紹介したりしてます。バジールさんの遠縁にルジョーヌ少佐という人がいるんですが、セザンヌはそのルジョーヌ少佐の前衛画家の集まりみたいなところに出入りしていたので、そこでバジールさんと繋がりがあったんですね。

さらに、このルジョーヌ少佐がボードレールやマネさんとも友人だった。
なのでここでもバジールさんは、マネさんとも繋がりがあって、後にモネさんやルノワールさん、シスレーさん達がマネさん達と会ったときに、橋渡しをするという役割を果たします。

<結論>バジールさんの人脈エグくね??

(あれ、シスレーさんの話はどこにいったし…)


てゆうか、ルジョーヌ少佐は何者??
印象派のスパイか、なんかですか??????
結局、印象派メンバーの人脈探るとルジョーヌ少佐に行き着くのですが、どゆこと????少佐???少佐という地位がそうさせるの???(混乱)

あと最後に。シスレーさんは、仲良し4人組メンバーの中で唯一の秋生まれ組。でも10月30日だから、冬っちゃ冬(笑)
モネさんの誕生日は11月14日、バジールさんは12月6日、ルノワールさんは2月25日。みんな冬生まれ。

あとこれ個人的に不思議だなと思ってるんですが、ルノワールさんが亡くなったのが12月3日、モネさんは12月5日で、亡くなった年は違うけど、日にちは二人とも近いんですよね。ちなみにバジールさんが亡くなったのは11月28日、シスレーさんは1月29日に亡くなったんで、けっこう生誕・没年が冬に集まっている。昔は今みたいに冬を温かく過ごせることも難しかったんで、そういう理由も もちろんあるとは思うんですが。ちょっと「縁」みたいなのを感じて面白いです。

他にもマネさんグループとモネさんグループの出会い編も、面白いんですが。それはまた今度かな~
あとマネさんグループの幼少期編もいつか書けたらいいな~

画像だけ、せっかくなんで載せちゃお。えいっ!!

マネさんグループ(個人的見解)


以上、幼少期編でした!!

明日は1867年、パリ万博の頃の仲良し4人組メンバーについて!!
バジールさんが官展にブチ切れる編!!(笑)


よろしくお願いいたします~


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