神託の巫女-はじまり-


 エリシャは夢を見た。

 天井からはレースのカーテンが幾重にもかかり、山頂にかかる白い霞のようにその空間を曖昧なものにする。
 その霞の如きカーテンの向こうには、天蓋付きの大きな寝台があった。

 そのカーテンの向こうで。
 哀しげに目を伏せた長い黒髪の女性が寝台に座っている。

 彼女は、膝枕ですやすやと眠る少女の頭を優しく撫でていた。

(これ……夢……?)

 いったいどういう夢だろうか。エリシャには不思議でならない。見たこともない風景に、見知らぬ女と少女。どちらも姿は曖昧で、はっきりとはわからなかった。

 不意に、女がエリシャに気付いたように顔を上げる。
 その瞳はひどく哀しげだった。
 エリシャを見つめて、昏く沈んだ瞳が揺れる。

 女が口を開いた。

「   」

 エリシャに何かを言う。
 しかし、それは音としてエリシャに届くことはない。
 声が届くことはない。

「え、なに……?なんて言ってるの……?……あなたはだれ、ここは……」

 どこ、と問い掛けるエリシャの声も届いたのかどうか。

 女は、ただ緩やかに首を振る。

 そのまま彼女はまた目を伏せると、少女の頭を優しく撫でる。
 優しい手と裏腹に哀しげに伏せられた眼差しが、エリシャの心に奇妙な焦燥感を与えた。

「ねぇ……!」

 エリシャがもう一度声を上げ、カーテンの向こうに行こうと一歩踏み出したとき。

 ふいに、その風景全てがゆらゆらと揺れて靄のように崩れていく。
 そうしてそのまま二人の姿が夢幻の彼方へと搔き消えていった。

「まって……!」

 手を伸ばし声を限りに叫んでも、それは決して届かずに……。

「まっ……!」

 そこでエリシャははっと目が覚めた。
 見開いた瞳には見慣れた自室の天井。
 カーテンの隙間から漏れ入るわずかな光は、星の瞬きだった。
 外の空気を求めて窓辺に寄り、窓を開けて夜風を受ける。日頃三つ編みにしているせいで緩いウェーブの癖が残る赤茶色の髪がふわりと靡いた。

「最近よく見る、あの夢……なんなんだろう。今日のはいままでで一番……はっきりしてたかも。なんにもわかんなかったけど。あの人……私になんて言たの?……どうしてあんなに哀しそうなの……?」
 
 そうひとりごちて考えてみたところで、答えを返すものはない。
 空に瞬く満天の星々と吹き抜けていく風は、春先といえどまだ寒い。
 エリシャはふるりと震え、思わず自分の体を抱きしめた。腕をさすり、窓とカーテンを閉める。

「あーもう。やめやめ、あんなのただの夢!夢なんだから!……もう寝よう。今日の朝も早いんだから……」

 エリシャは奇妙な不安感を追い払うように勢いよく頭を振る。
 それからぱたぱたと小走りにベッドに戻ると頭から毛布を被り、ギュッと目を閉じた。
 いつまでも心にかかるあの夢を、むりやり意識の外に追い出すように。


ーー

「神託がくだりました……」

 山脈にけぶる霞のようなヴェールカーテン。その向こうから、声は落とされた。
 豪奢にして荘厳とも言える装飾に彩られた高い天井から、広く冷え冷えとしたホールに、それは神韻の如く浸透する。

 跪いて深くこうべを垂れた頭巾装束の者たちが、稲妻にでも打たれたように微かにその肩を震えさせる。ゆっくりと慎重に吐き出されるその吐息は感嘆と喜色が混ざったようなものだった。

 それは、ヴェールカーテンの向こうの声の主にも言えることだった。
 凛として厳かな声音でこそあったが、聞く者によっては、僅かばかりの歓喜に打ち震えるような気配を含み、微かに揺れてもいることが察せられただろう。

 こうべを垂れた頭巾装束の男たちのうち、先頭に跪いていた者が静かに口を開く。

「おそれながら、発言をお許し賜りたく」
「みなまで語る必要はありません。聞きたいことはわかっています。……そう……次の巫女……それは……」

 頭巾装束の男の言葉を遮って、ベールカーテンの向こうの声は続けた。

 告げられるその言葉は、新たな巫女の選出を示すもの。
 このカランサム聖教国、ひいてはトランデルシア大陸全土の平和と安寧を担う最も大切な要職の、次の代の者が決まったということであった。

ーートランデルシア大陸カランサム聖教国ーー

 女神カランに守護される大陸の中心にその国はある。
 女神を奉りその力を大陸全土に及ぼす、絶対不可侵の国。

 今日、この国の聖都にて最も重大な神託がくだされたのだった。
 女神と巫女がおわすべき塔、そしてそれを守る大神殿は朝からおおわらわだった。


「ふ、わぁぁあ。あー終わった終わった。あとは非番だ〜」

 大神殿を守る騎士ライセルは、夜間から昼まで続く警備の任務を終えてその均整の取れた長身を大きく伸ばした。
 やや垂れがちの目尻からは欠伸の際に涙が滲む。
 夜通しの任務を終えてやや崩れた金色の短い髪を手櫛で整え、さてどうするか、と晴れた春の空を見上げる。
 澄んだ湖水のように青い目を眩しげに細めて。

「そういえば、こないだエイミちゃんに誘われていたっけな。今日は天気もいいし、誘ってみるのもありかもしれんなぁ。それともジェシカちゃん……セレナちゃん……」

 知り合いの女の子の顔を次々と思い浮かべながらひとりごちるも、ぐぅと鳴る腹の虫についその端正な顔が歪む。

「あぁ、まずは昼飯だな!」

 とライセルは急ぎ足で食堂へと足を向けた。
 しかしいざ食堂に至ったところで「騎士長殿!」と下級神官に呼び止められた。
 
 普段はしゃなしゃなと足音も立てず歩く神官が、あろうことか走り寄ってくる。その様子になにか嫌な予感を覚えて、ライセルの凛々しい眉はぐっと寄った。 
 警戒も露わに足を止め神官に向き直る。

「神殿長様が、はぁ、可及的速やかに、はぁ、大広間に来るようにとの、はぁ、仰せです」

 果たして。ライセルの嫌な予感は見事に的中した。
 夜間から昼までの長い警備任務からやっと解放され、いざこれから空腹を満たそうというその時にかかった命に、彼の端正な顔はごく当然ながら曇る。

「あー、もちろん、神殿長様のお召しに歯向かう気はそりゃないが、それにしたって……。なぁ?飯くらい食わせてくれる時間の猶予はあってもいいんじゃないか?」

 キリリと男らしい眉が中央に寄り、澄んだ湖水の色を思わせる青い瞳は曇り、いかにも気の進まないというように頭を掻く。
 伝令に来た若い神官は、ライセルのその気持ちに理解と同情を示しもしたが、かといって承服することもなかった。

「申し訳ありません、騎士長殿。お気持ちはよくわかりますが、しかし、神殿長閣下は一刻の猶予もなし、と厳命されておりますので……」

 ライセルの通った鼻筋に皺が寄る。不服を露わに口をひん曲げてまでみせたが、伝言役の下っ端に八つ当たりしたところで意味もないと理解もしていた。
 広く逞しい肩を大袈裟に竦めてみせてから、溜息と共にわかったわかったと言うと、ライセルは空腹を慰めながら大神殿へと向かうよりなかった。

「単刀直入にいう。神殿騎士ライセルよ、そなたは大神殿の使者団を率いワイレン山脈の山間の村フィラへと赴いて、神託の巫女をお迎えにあがるのだ」

 大神殿広間。
 高い天井からは煌びやかにして荘厳な装飾が降り注ぎ、ここに立つ者に敬虔な信徒としての在り方を否が応でも思い出させてくれる。

 祭壇の前に立った頭巾装束の神殿長が、その宣言通り実に簡潔に伝えた命に、しかしライセルは青天の霹靂をその身に受けたかのように驚き、二の句をつぐのに随分と努力を要したのだった。

「し、神殿長殿……、いくらなんでも単刀直入に過ぎませんか。ということは、まさか神託がくだされたのですか?」

 ライセルの確認の問いに、しかし祭壇の頭巾装束の男は、頭巾の間から唯一覗く怜悧な目元を険しく細めた。
 その視線は、何を当たり前のことをわざわざ尋ねるのか、耳どころか頭の中にまでおがくずでも詰まっているのか?とでも言っているようにライセルには感じられた。

「……はぁ、わかりました。……新たな巫女様をお迎えにあがる大役、実に光栄の至り。謹んでお受け致します」
 親しみのかけらもないこの神殿長に内心で舌打ちしながら、しかしライセルは完璧な騎士の礼を取ってその命を受けたのだった。

第二話へ

https://note.com/bunbukutyan/n/n84479b07bef1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?