神託の巫女-使者団II-

 ライセルたち使者団が丁重に案内された宿は、よくいえば庶民的で牧歌的な風情だった。

 扉を入ってすぐカウンターがあり、その右横に繋がる扉の向こうは大テーブルがふたつほど並んだ食堂。
 カウンター左側には階段があって客室階へと続いている。
 掃除は隅々までよく行き届いてはいたが、年月を感じさせる床や壁の風合いまでは消しきれてはいなかった。

「質素な宿ではございますが、代わりに食事には自信がありますよ。神官様方は、口にしてはならない食材などはおありでしょうか?」
「あぁ、いえ……そうですね、使者団は生臭なものと酒類は慎しむようにと神殿より厳命されておりますので、どうかその辺りご配慮頂きたい。……残念ですがね」

 最後の言葉はライセルの心からのものだった。
 神殿騎士が神官らと同じように精進潔斎する必要は本来ないはずであるが、神官たちが山菜や水のみの食事の傍らで自分たち騎士ばかりが肉や酒を口にする訳にもいかない。
 それが人情というものである。

 それぞれ部屋を割り振り、自室に荷物を置いたところで、ライセルは考え込むように腕を組んだ。

(あのエリシャという娘……神託の通りならあの娘が次の巫女様ではあるが……)

 ライセルの表情はどうにも曖昧なものになる。それは戸惑いとも、或いは落胆とも言えた。

(随分と普通の、イモ娘だよなぁ…… 巫女様ってのはもっと神秘的なもんだと思っていたのに、なんだかなぁ……)

 神殿騎士とはいえ、大神殿の奥深く、塔の最上階におわすとされる巫女にお目通りしたことなどライセルには無い。
 彼のみならず、多くの神官や騎士にとって、巫女とは雲の上のような存在といってもよかった。

 それゆえにかより濃く分厚い神秘のヴェールに包まれたその存在感は偶像としての側面もかなり強く、畏怖と共に言い知れぬ憧憬のような感情を抱く者も少なくない。

 どこにいっても女たちから放っておかれることのない色男と自負するライセルですら、こと巫女に対してはそうした幻想を抱かずにはいられなかったのだ。
 が、しかし。
 次代の巫女とされるエリシャの姿をライセルは脳裏に描き出す。

 着古しのごく平凡なワンピースにありがちなストール、赤茶色の髪を一本のおさげに結って垂らした姿はいかにも働き者の田舎の女そのものだ。
 元は白かったであろう肌は日に焼けてくすみ、そばかすだらけの顔は彼女を年よりも幼く見せる。

 ライセルを見て頬を染める顔など、数多の凡百の女たちと何も変わらない。
 榛色の瞳はやけに強い輝きを宿していて、性格はかなり勝気そうではあるが、それがまた神秘性を遠ざけてもいるように思える。

(巫女様の御神託を疑うわけじゃないが……同名の人違いということも……?なんてなぁ、あるわけないよなぁ……)

 この小さな村に同じ年頃の同じ名前の娘が二人以上居ると考えるのは無理があったが、どうにもライセルにはエリシャが巫女だとは納得がし難いのだった。

 使者団たちは部屋に荷物を置いたあと、一階の食堂の大テーブルに集まると、コソコソと秘密ごとめいた相談を交わしていた。

 彼らの密談の様子に宿の主は気が気でなく、ソワソワと特にいまやらなくてもいいカウンターの拭き掃除に精を出す。

 厨房ではエリシャと母と祖母が女三代で歓待のための食事作りに取り掛かっていた。

「エリシャ、あんたレイクに野菜押し付けて行ったらしいじゃないの。ダメよ、そんな雑なことしてちゃ。嫁の貰い手もなくなるんだからね!」

 ダンダンダンと菜っぱを刻む母が小言を口にする。
 エリシャは顔を顰め、あぁまたかと飽き飽きしたように溜息を吐いた。
 ここ数ヶ月、エリシャの母はことあるごとに嫁の貰い手やら結婚やらとことあるごとに口にする。

 夏に十八歳になるエリシャは、しかしその歳頃にしてはそういったことに無頓着というか興味が薄い。その様子が母から見たら奥手で幼く見えて心配だということのようだった。

「お母さんたら最近そればっかり。私まだ十八よ?こないだ行商のおじさんが言ってたけど、都会の方じゃ女だってバリバリ働いて結婚するのは大分遅いんだって。最近は」
「バカだね!ここは聖都じゃないんだよ。ただの国境の要所の村。アンタはそこの村娘。夢みたいなこと言ってないでもう少し真面目に考えないと……ハンネなんか一六になったばかりでもう婚約したってのに……」

 キノコのシチューをグツグツと煮込みながらエリシャが言うと、間髪入れず母の猛反論が飛んでくる。

(うぇぇヤブヘビ……)

 エリシャはますますげんなりしたが、シチューは少しでも目を離せば焦げ付いて味を損なうため厨房から逃げ出すこともできず、母の小言を右から左に聞き流すしかやり場がない。

 十六歳のハンネはエリシャの幼馴染のひとりで、お淑やかで少し気の弱いところのある儚げな美少女というタイプの娘だった。
 兄しか居ないエリシャにとっては可愛い妹のような存在でもある。

 そんな彼女ではあるが、この度婚約したという相手は国境警備隊の若者で、彼が非番の日に村に遊びに来た際に出会い、そこから文通や逢瀬を重ねて密かに愛を育んでいたのだ。
 村の皆が知らされた時には青天の霹靂とも言えた。

 実のところエリシャも何度か相談に乗ったことがある。もちろんエリシャには大したことは何も言えなかったのだが。

 しかしエリシャも、ハンネのことが全く羨ましくないと言えば嘘になる。村から国境の関所までは馬車で半日ほどで、警備隊の者たちは非番ともなれば一番近いこの村に来て羽を伸ばしていくのだ。
 エリシャも彼らに何度か声を掛けられたことはあったし、交際を申し込まれたことだってある。
 行商人たちとは違った観点での村の外の話は面白く興味を惹かれもした。

(でもねぇ……そういうことになりたいかっていうとねぇ……)

 違うな、と思う。
 エリシャはもっと何か、強い刺激やときめきを求めていた。それこそ夢見る乙女のように。
 恥ずかしいので誰にも、ハンネにさえ言ったことはなかったが、エリシャも人並みに恋に憧れはある。
 しかし憧れているからこそ、幼馴染や警備隊ではなんとなくピンと来ないのかもしれない。

「なんだい呆れた。まぁたやってんのかい?せっかく聖都から御一行様がいらしてんだから、口より手を動かす!ほれ仕込み仕込み」

 外に出ていた祖母が戻るなり呆れたように言って、母の延々と続いていたお小言をやめさせた。エリシャは内心ホッとする。
 そこではたと気付き、はて、と首を傾げた。

(それにしてもあの御一行様、本当に何しに来たんだろ?)

 誰も彼も彼らを歓待する栄誉のことばかりに目が眩み、すっかり目的を聞き忘れていたのだ。

ーー

 キノコのシチューからふわりと優しい香りが立ち昇り、豆を刻んでパン粉でカラッと揚げたものに山の中で採取されたノイチゴのソースが彩りを添え、山菜のサラダとそれを練り込んだパンが並ぶ食堂の大テーブル。

 使者団は一様にほうと息を吐き、感嘆のそぶりを見せる。
 こんな片田舎の辺鄙な村の宿で、なかなかの見栄えの料理だな、といういわば偏見というマイナスからのプラスの補正めいた感嘆ではあったが。

「さぁさ、どうぞお召し上がりください!どれも新鮮な食材を使っております自慢の料理でして!この宿の看板娘三代がせっせと仕込みを……ほらエリシャ!水とはいえお酌お酌!」

 使者団に自信を持って勧める口振りのかたわら、父はエリシャを酌婦にして点数を稼ごうということらしい。
 その様子に呆れたようにエリシャの目が冷たいものになる。

 父は血気盛んで喧嘩っ早いわりには気が弱く権威にも弱い。実にごくありふれた田舎の男であった。
 エリシャはそれでも父の言いつけに逆らわず、水差しを手に大テーブルを回る。

「皆さま、ただのお水ではありますが、ワイレンの天然の湧き水は本当に美味しくて、このためだけにわざわざ使いを寄越して水を買っていくひともいるんですよ」

 エリシャが努めて淑やかににこやかにそう言って水をグラスに注いで回ろうとすると、にわかに使者団の面々が慌て出した。

「あ、いや!こ、このようなこと……恐縮な……!ど、どうなさいます団長!?」
「あ?あぁ〜……ぅうん、……いや、うん、……そうだなぁ。せっかくのご好意だし、こんな機会なかなか無かろう。せめてこのくらいバチは当たるまい、お受けしておこう」

 下っ端の騎士が狼狽えたように使者団代表であるライセルに指示を仰ぐ。
 ライセルも眉を寄せて苦渋の顔と共に腕を組みながら、絞り出すような声で決断を口にした。
 そのやけに重々しいもったいぶった口振りに、エリシャは訝しむように眉根を寄せる。

(なんなの?たかが水を給仕する程度でおおげさな……)

 使者団は精進潔斎に加えて女人との交友禁止なのだろうか。
 神官ばかりとはいえ都会の煌びやかな女に慣れているだろう男たちが、今更田舎の娘のお酌ごときに狼狽えすぎだろうと呆れもする。

 そうして騎士のひとりは、やや震えがちの手でグラスを押し頂くと、実にかたじけないと言いながら水を受け入れた。その光景と雰囲気は異様なものにエリシャには見える。

「あの、……団長さまも、お水、よろしいでしょうか?」

 エリシャの榛色の瞳がライセルに向く。渋面を湛えたその顔がエリシャに向き直ると、彼の顔はすぐににこりと微笑みに変わった。
 やはりよく整った男らしくも美しい顔立ちに、エリシャはそれだけでドキリと心臓が跳ね、顔が熱を持つのを自覚しないではおれなかった。

「ありがとうお嬢さん……頂きますよ。……はは、すまないね。我々は大神殿の奥に詰めっきりだからね、若い娘さんにはめっきり耐性がないのさ。水の給仕ひとつに狼狽えるほどにね」

 エリシャの訝しむ様子を察したのだろう、明るく軽やかな表情で冗談めかしてライセルは言うと、片目を瞑ってみせた。

(な、軟派ぁ!!)

 その仕草は、とても若い娘に耐性のない男のものとは思えなかった。
 少なくともこの美丈夫の騎士は、その見た目から女たちに放っておかれることもなく、そしてそれをおおいに享受し満喫しているのだろうことが窺える。
 自信がなければできない態度だ。

 都会の空気をそのまま纏うかのようなこの男に、エリシャは年頃の娘相応のときめきを感じて頬が熱くなる。
 しかしその熱を振り払うように軽く頭を振って気を確かに持つよう自分に言い聞かせた。

(こういう都会の遊び人に恋をして泣きを見る田舎娘のパターン、ありがちよね)

 エリシャは、ライセルへの警戒と用心を誓うのだった。

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https://note.com/bunbukutyan/n/n7d904a75698b


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