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ふるかわさん

同じ中学に通っていても、ほとんど交流のないまま卒業してしまい、まったく記憶に残っていないひとも少なくない。

ふるかわさんにとってのわたしはまさにそういう人間だったと思う。

しかしこちらはふるかわさんを覚えている。バレーボール部で活躍したハンサムウーマンだから、ということもある。

短く刈り上げた髪に上気してピンクも染まる頬。
いつも笑っているような目、しんこ細工のしんこをハサミでひゅーと引っ張ったような筋の通った鼻、点在するそばかす、おちょぼ口、ビーバーのような前歯。

べたべたした女っぽさはなく、こだわりなくさばさばと、何があってもドンマイと笑顔で乗り切る快活なひと、そんなイメージを持っていた。

しかし、まったく交流のなかったふるかわさんのことを、なぜこんなに長くくっきり覚えているかといえば、そういうイメージだけではなく、偶然職員室で見かけた彼女の泣き顔のせいだ。

ふるかわさんが生まれたときから、ずっといっしょに暮らしてきた飼い犬が死んでしまった、という連絡が入りふるかわさんへ知らせが職員室でされていた。

その犬の死はつらく悲しいことなのだけれど、それは犬を飼い始めたときから存在する未来の悲しみでもあって、それぞれにその「時」を想いの底で覚悟しているものだ。

それでも長年家族同様に暮らしてきた犬だから、ふるかわさんの悲しみは深かったのだろう。中学生のこころは振幅が大きく揺れる。ふるかわさんはそのあと早退したらしかった。

かわいそうね、と誰かが言った。

しかし、長年飼った犬の死を悲しむ姿にはそこにいたる家族の豊かな時間が内包されていて、そういうものを持たないわたしには、それはひとつのしあわせのかたちのように思えた。

そのあこがれのようなしあわせのかたちが、ふるかわさんを忘れえぬひとにしているのかもしれないと思ったりする。

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何年か前、風の便りにふるかわさんが亡くなったと聞いた。ガンだったとか。

愛犬と再会しただろうか。


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