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デラウェアから始まる

今季初デラウェア。
このブドウを見てると
なんとなくシジミを連想する。
めんどくさいのお、と。

美味しいんだけど
一粒ずつ味わって食べればよいのだけど
種なしぶどうは画期的だったんだけど
皮も食べられるらしいんだけど
それでも少々めんどくさい。

めんどくさいを解消するために
さまざまに知恵をしぼって
ここまできてるのだな、と思い至る。
ほんとにひとはどこまでも
わがままになっていくな。
どこまでも手抜きの怠け者にもなるなあ。

人が為す丁寧な仕事と
めんどくさいのバランスを思う。
機械に任せきれないところに
ひとの出番がありその価値があるんだろうな。

転職した息子2が
チャットGTPを使っているらしい。
わからないところを聞くと
答えくれるそうだ。
頭の使い方も怠け者になってきてるわけだ。
ひとの出番はますます減っていくな。

「でも、やつも時々間違うから
そこを判断するのがひとなんだよ」
と息子は言う。
つまり上をいくわけだな。

それにしても
シジミの佃煮をつくるひとは
手仕事でひとつひとつ殻から外してるんだろうか。
気が遠くなるな。甘栗剥くよりたいへんだな。

ハンドメイドなるものも
ひとのてまひまの価値をはかるものだな。
むろん完成度の問題もあるけど
その熟練までにかかった年月も
価値の中に含まれるんだな。

シャインマスカットが高価なのは
その開発や育て方に
てまひまがかかってるからだな。

だれでもができることではない
という価値を目指すわけだ。
ハンドメイドで言えば
オリジナルということか。

近隣の国の悪者たちが
シャインマスカットや苺の苗を盗んで
自国のものだと安価で売り出したとき
開発したひとたち、
世話して育てたひとたちは
どれだけ腹が立っただろう。

しかし育成の過程を
知らないひとたちの育てたものは、
次第にそのクオリティが下がっていき
価値なきものになっていったらしい。

デザインや製法を盗用するひとの
クオリティはどうだろう。
器用にコピーできるのも才能かもしれないけど
次の新しいものを生み出せるのか
ってところが正念場だろうな。

ていうか、誇りの問題かもしれんな。
作品は自分の投影だから。
自分を捨てたらあかんやろ、と思ったりする。
ま、きれいごとですが。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️